弱虫ペダル
name change
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「間違っちゃった」
既に
「熱々のが良かったのに」
手の熱をさらに奪うよう。これでは皮膚の感覚が無くなってしまう、と慌ててセーターの袖を引っ張り出してドリンクを覆う。――…この日、帰りのホームルームが長引いた
『名前ちゃん』
ふと届いた声に顔をあげる。そこには、寒さなど殆ど感じていないよう。薄いユニフォームを纏った彼が、走らせて来たであろう自転車を止め 瞳をこちらへ向けていた。
「び…、っくりした」
『驚かせてごめん、姿が見えた物だからつい。それと』
彼は跨って居た自転車から下り、浮かんだ汗を掌で払い落とした。
『ここの自販機、良く給水で使うんだ』
そう言って、ユニフォームの後ろポケットから小銭を取り出す。見間違いじゃなければ、先程 私が触れて飛び出したスポーツドリンクへと指先が向かっていく気がして。その様子に咄嗟と 握り締めていたキンキンに冷えた物を近づける。
「あ、泉田くん待って、これ良かったら」
『え、ああ。平気だよ、もうお金入れちゃったからね、自分の分は自分で買えるから』
「…そうじゃなくて」
私は寒空の下、事の経緯を話すと。彼は普段見せる真面目な顔を崩して、楽し気に、それでも私に気を遣ってか、控えめと笑い始めた。
『ホームルームも遅れるし、バスは逃すし、欲しいココアが冷たいドリンクになってしまったなんて、災難だったね』
「そうなの」
『それなら遠慮なく頂くよ』
手渡したスポーツドリンク。瞬間、
『そうだ。もし良ければ、名前ちゃんが欲しかったココア、僕が買おうか』
「え、いいよ、悪いから」
『このスポーツドリンクだって、君が買ってくれた物じゃないか。もうお金も入れてしまったし、“交換こ”にしよう』
鍛えられ盛り上がった肉体から、“交換こ”なんて可愛いらしい言葉が出て来た事に、なんだかおかしくなって。はて、と首を傾げられたが当然、彼だって男性なのだ。どうせ言われるなら「可愛い」より「格好いい」と声にされる方が嬉しいだろう、そう口を
「温かい、泉田くん、ありがとう」
『僕の方こそ』
礼のあとだ、ふと何か無言で考えた
『………そう言えば、バスの時間なんだけど』
「ん」
『…今日から改訂されるって、帰りのホームルームで言ってたよね』
「え、嘘、全然聞いてなかった」
ただに長い世間話くらいとしか耳を傾けていなかったそれは、割と重要な知らせも含んでいたよう。聞けば、時間が十分程 後ろ倒しになり、頼りにしていた時刻表の張り紙も、明日から張替えとなるそうで。なんてついてない。ホットココアを一口 喉奥へ流し込んだあと、ため息と共、深く息を溢した。腕時計に視線を落とせば、バスが来るまでまだ遠く。待っている時間程、遅く感じてしまう謎の現象は、恐らくどうにもならない事だ。しかし。
「教えてくれてありがとう、泉田くんと交換したココアのお陰様で、時間まで頑張れそう」
ホームルームで、しかと耳を傾けていなかった自分の所為なのだ。掌のココアで暖を取り、時間まで待つとしよう。彼だって、強豪、箱根学園自転車競技部の立派な主将なのだ。こんな所で油を売っている暇はないし、そろそろ先を急ぐだろう。
「明日から時間、気を付けるね。あと、先生の話もちゃんと聞かなきゃ。…あ、ほら、泉田くんも、もう走りに行く時間なんじゃない」
二口目のココアを唇に充てようとした時だった。彼はユニフォームのポケットからまた少しの小銭を取り出しては。自販機に投入したあと、もう一本、熱々のホットココアのボタンを押している。冷え冷えとする夕方、やはり、運動していても 冷たいスポーツドリンクでは身体が冷えるのだろうか。
「泉田くんも、寒くなっちゃった」
『いや、これは名前ちゃんに』
「……」
そうして、ぬるま湯になりかける手前、飲みかけのホットココアの元へ またも熱々のそれが私のセーターの袖元に乗せられる。
「えっと、私、そんなに喉乾いてる訳じゃなくてね。ただ、寒いから暖を取ろうと」
言いかけた矢先。彼は停めていた自転車に再度と跨っては、早速走る準備を始めていて。強く吹いた冷える風、きっと、耳をすまさなければ聞き逃していた事。彼は、大きな身体に似つかわしくない、消え入りそうな声で呟くのだ。
『手……』
「……え」
『……きっと、恋人なら暖めてあげられるんだろうけど』
「…」
『生憎、僕はそうじゃないから。代わりに』
踏み出したペダルは力強く。『バスが来るまで冷えないでいてね』そう言い残した声は、もう風に流れて彼方。言葉に詰まって礼を逃したと、彼の背中を瞳に映すも それもまた既に彼方へと。残されたのは、ぬるま湯のココアと、熱々のココア。ふと僅か、彼と指先が触れた感触を思い出す。
「………熱い」
疼くようこの熱は。指先だけに留まらないような、そんな気がしている。