弱虫ペダル
name change
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「花火、凄い綺麗だったね。特に終盤のスターマイン」
下駄をカラコロ鳴らし、小幅で歩く彼女に合わせ、ゆっくりと花火会場をあとにする。丁度夏休みの最終日、熱海で行われた花火大会へと足を運んでいたのだ。蒸し暑いが、互いに手を離そうとはせず、絡ませた指から熱が伝わる。
『ああ、途中で打ち上がった 冠菊には少々肝が冷えたがな』
その言葉に彼女は、眉を八の字にしながら思い出し笑いをした。
「尽八ったら、“危険だ!花火が落ちてくるではないかあ!”って騒ぐんだもん…本当、おかしいったら」
『仕方がないだろう。最前列で観たのは初めてなのだ。本当に火の玉が降ってくるかと思ったよ』
「…そうだね。席、取ってくれてありがとう。有料席だったから高かったでしょう、ごめんね」
そう彼女が申し訳なさそうに顔を覗き込んでくる。確かに、有料席は学割が利いても二人で一万二千円だった。高校生活 部活ばかりでバイトの一つもせず、ましてや 小遣いが月 四千五百円の俺にとって 決して安物などではなかった。しかし、彼女が喜んでくれるとあらば別である。この日の為に 馬車馬のように実家の旅館を手伝い 無事に目標金額を手に入れる事が出来た。
『何故謝る。名前が喜んでくれる以上に 嬉しい事などないのだ。そこは素直に“ありがとう”と言って貰える方が俺も嬉しい』
「……尽八…」
繋ぐ手に力が入ると、彼女は嬉しそうに小さく「ありがとう」と呟いた。ふと周りに目を配ると、花火大会帰りの客でどこも道が混んでいる。なるべく人混みを避けて帰りたいものだ。どこか抜け道はなかったかと 辺りを見渡すと、彼女が控えめに手を引いた。
『名前、どうした?』
「尽八、ごめんね。鼻緒に当たる所、擦れて痛くて…」
『…!……気付かなかった、痛むのか』
膝を折り、
「へ、平気だよ…ただ 絆創膏だけ貼りたくて。あそこのお手洗いに行って来てもいいかな?」
指さした すぐ先に、女性用の手洗いがあった。
『勿論だ。すぐに気付いてやれず、すまなかった』
「ううん、私の歩き方が変だったのかも。下駄、履きなれなくて」
恥ずかしそうに苦笑する彼女の足元を見ると、確かに鼻緒部分が痛々しそうで。自分が履き慣れているからと 考えが及ばず…もっと早く気が付くべきだった。
「あ、尽八。どこで待ってる?」
その言葉にふと考える。こう人が多いと その分色んな人間がいる。心配もあり、本当は近くまで着いて行きたいが、手洗い前で 男に待たれるのは嫌であろう。どこか人混みでも目立つ場所を探す。そうしてたまたま目先に止まった的屋を指さした。
『ならば、目の前の的屋に居よう。ついでに名前に何か取ってやろうではないか』
「ええ、本当? じゃあ 何が当たるか楽しみにしてるね」
くすりと笑い、彼女は小幅で手洗いへと向って行った。
花火大会の帰りという事もあり、的屋は意外と空いていて 客は子連れが一組だった。景品を見ると、一等から六等まであるようだ。皆が欲しがる一等は やはり人気のゲーム機器。特に興味はないが、テレビのCMなどで良く見る物だった。ふと、ある景品が目に止まる。
「らっしゃい、お兄さんも ゲームが目当てかい?」
『…まあ、そんな所です。射的、一回分で』
「あいよ、五百円ね」
財布からなけなしの小銭を取り出し、代わりに 玩具の鉄砲を握りしめる。片目を塞ぎ、狙いを定める。瞬間 弾ける音と共に 的屋の親父が 残念そうに笑った。
「ああ、残念。はいこれ 景品ね」
『ありがとうございます』
「……?…外れなのに、随分嬉しそうだね」
首を傾げる親父から、景品を受け取る。皆が欲しがるゲームは勿論 的が外れた。本当は的屋の親父の言う通り、残念がる所なのかもしれない。しかし、手にした景品は まるで自分の心を投影しているかのような物だ。それは笑ってしまいたくもなる。
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「お待たせ、尽八。ごめんね、個室が混んでて 遅くなっちゃった」
『
彼女の足には鼻緒部分に小さめの絆創膏が二枚程貼られている。歩けば剥がれてしまうかもしれないが、応急処置としては懸命だった。もしも剥がれたら どこか近くのコンビニで、大きめの絆創膏を買ってやろう。
「うん、平気。歩くの遅くなっちゃうけど……ごめんね」
『構わんよ。その方が名前と長く居れる』
彼女は少し頬を染め、消え入るような か細い声で「ありがとう」と呟いた。再び手を繋ぎ、指を絡ませる。夜風が気持ち良く頬を撫で、夏の匂いを運んで来る。いつの間にか 花火大会帰りの客もまばらになり、道幅は二人並んでも歩いても 余裕がある程になっていた。すると、彼女は思い出したかのように 口を開いた。
「そうだ、尽八。さっきの的屋さんで、何か取れたの?」
覗いてくるその目は期待の眼差し。一等は無理でも 何か良い物が取れたのでは、と伺うように顔を覗かれた。俺は、苦笑しながら彼女の頭を撫でてやる。
『すまんな。六等中、六等の外れだ』
「そうなんだ」
『ああ。せっかく名前に何か取って渡そうと思ったが、あれでは駄目だ。お前には、また今度 別な物を買ってやろう』
撫でた手が離れると同時に、ふいに手を差し出される。何だろう。
「取った景品、見せてよ」
『外れの玩具だぞ』
「いいから」
何故か嬉しそうに催促され、俺は細いため息のあと ポケットにしまっていた的屋の景品を彼女の手のひらへ預けた。それは、子供が身に付ける玩具のネックレス。百円くらいで売っていそうな お粗末な外れの景品だ。申し訳程度に、先端には小さな貝殻のモチーフが 今にも取れてしまいそうなくらい 頼りなさ気に揺れている。
『言ったろう、外れだと。分かったらそれを寄越すんだ。お前には俺が、もっといい物を』
「これ、貰っていい?」
言い掛けた途端、言葉の最後は彼女に遮られていた。嬉しそうに玩具のネックレスと、俺を交互に見つめてくる。
「ダメ?」
『…………構わんが。子供が付けるような玩具だぞ』
「いいの。だって尽八が私の為に取って来てくれたんでしょう」
『……外れてしまったがな』
「なら、これがいい。尽八からのプレゼントだもん、凄く嬉しい」
なんて嬉しそうに笑うのだろう。こんな子供の玩具一つを まるで宝物を見つめるように瞳を輝かせて。彼女の前では少なからず格好付けて居たいものだ。本当なら 少々強引にでも取り返して、意地でも良い物を渡してやりたい所だが。そんな顔をされては 到底断る事など出来ない。
『…全く敵わんな。本当にそれで良いのか? すぐに壊れてしまうかもしれんぞ』
「壊れたら、また直して付けるから大丈夫。これが欲しいの。ね、いいでしょう?」
苦笑する俺の目の前で、彼女は返事を待たずして 玩具のネックレスを首に掛けた。白く綺麗な鎖骨の間に、ゆらゆらと小さな貝殻が揺れる。
「……尽八、ありがとう。大切にするね」
花火大会の帰り道、人がまばらになった道を 彼女は嬉しそうに歩き始める。すぐにその背中を追いかけ、手を取り、繋ぎ、絡ませた。
『コンビニで、絆創膏を買いに寄ろう』
「うん。アイス買ってもいい?」
『ならん。さっきも かき氷を食べたではないか』
二人で笑いあい、花火会場をあとにする。カラコロと鳴る下駄が、心地よく耳に響いた。ふと、的屋で景品を手にした時、外れなのに何故か嬉しそうだと言われた事を思い出す。それは“ネックレスと貝殻”という その組み合わせが、自分の心を投影しているかのように思え、思わず苦笑に近い笑いをしてしまった為だ。
――名前。知ってか知らずか、お前が“欲しい”と言った物は、俺の独占欲。そのものなのだよ。
――ネックレスに込められる意 “あなたは私だけの物”
貝殻の石言葉 “美しい契り”…。