弱虫ペダル
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
五日間で千キロを走るといった過酷な合宿。今年、最後のインターハイを迎える俺にとって 過ごす全ての時間が“最後”となっていく。灼熱の太陽のもと走る九十九折の山も、冷房も効かない部室で回す三本ローラーも、総北自転車競技部の部員である事も、全部。無事に一日目を終えた夜。息をしているか たまに不安になる金城と、喉が裂けるようないびきを響かせる田所っちが両隣で眠りについていて。この二人とも、こうして過ごせるのが最後だと思うと、柄にも無く少し寂しいような気もしたり。
『…明日も早えし、寝るか』
合宿は始まったばかり。一日目のペースは悪くないが、あと八百キロ以上残っている。この過酷な合宿を三回経験しているからと言って 油断は禁物だ。急な悪天候、風、メカトラブル。常に何が起こるか分からないのが自転車だ。体力は有り余ってるくらいが丁度いい。
目を瞑る際、カーテンが少し空いていた事に気付く。薄っすらと月明かりを覗かせていた。明かりが気になるが もう動くのが面倒だったので、そのまま眠りにつこうとした瞬間。聞こえるはずのない声が耳に響いた。
「巻ちゃん」
気の所為…だろう。自分でも気付かないうちに、余程体力を消耗していたのか、幻聴に近いそれが聞こえる。こんな事でへばってしまうなんて、まだまだ練習が足りない証拠だ。
「ねえ、巻ちゃんてば…」
いや、幻聴なんかじゃない。耳元でクリアに聞こえる声に 俺は瞑っていた瞼を開いた。
『…名前っ…、ちょ…何してるッショ…』
そこには、枕元で しゃがみ込み小さく身体を丸めた名前の姿。驚きで身体を勢いよく起こす。両隣で 金城と田所っちが寝ているため、限りなく小さな声にしなければ。
『お前、ここ男子部屋だぞ…っ…。夜中に何考えてんだ』
彼女は恋人であり、自転車競技部のマネージャーだ。三年間、俺や部員たちを 縁の下から支え、苦楽を共にして来た。しかし、この過酷な合宿へマネージャーとして参加するのは初めてで 今日は朝から緊張した面持ちだった事を思い出す。彼女は、不安気な表情をしながら 小さな声で呟いた。
「だって、怖くて……」
『はあ?』
今にも泣きそうな彼女には申し訳ないが、思わず そんな返事をしてしまう。
「皆 二人とか三人で寝てるのに、私だけ一人部屋で…」
『馬鹿、男部屋に女居れられる訳ねえだろ』
合宿所の風呂にあったシャンプーが髪に合わないのか、頭を掻くと 髪の毛が指に引っ掛かり嫌な感じがする。五日間 こんな事になるなら家にあるシャンプーを持ってくればよかった。そんな事を思いながら前髪を掻き上げる。
『…で。何が怖えって?』
半ば飽きれた表情を諭されないよう、視線を反らしながら問うと、彼女は震えた声でそれに答えた。
「…く、草むらを ぴょんって何かが跳ねる音がしたり」
――そりゃ、蛙だ。
「ホーホーって、不気味な声が聞こえたり」
――そりゃ、フクロウな。
「挙句の果てにっ…地を這うような地響が聞こえて」
――………すまん。それは田所っちのいびきだ、許してやってくれ。
どれもこれも 怪奇現象でも何でもなく、彼女が ただの怖がりなだけで。しかし、唇を噛むその様子は、冗談にもふざけているようには見えなくて。俺は深いため息をついたあと、自分の布団を上げて見せた。
「…巻ちゃん…?」
『いいか、お前が落ち着くまでだからな。間違っても寝るんじゃねえぞ』
「…!…うん」
そう言って、彼女は静かに俺の布団へ入る。枕は一つしかないので、代わりに腕を伸ばし そこに頭を乗せるよう合図した。ふわりと彼女の頭が腕に乗り、互いの身体が向かい合い近づく。服を挟んでも伝わる肌の温もりに、瞬間 どきりと心臓が跳ねた。相変わらず柔らかくて、いい匂いがする。彼女が俺の胸に顔を埋めた。
「…凄い安心する。あーあ。一生こうしてたい」
『クハッ…何言ってんショ。名前の怖えのが落ち着くまでっつったろオ。マジで寝んなよ』
「もし寝ちゃったら?」
『叩き起こして、部屋から放る』
「対応が 塩過ぎるよ」
頬を ぷくっと膨らませる名前の声から、震えが消えていた。
――“一生こうしたいたい”か。そりゃ俺も同じだ。
柔らかな身体を抱きしめると、彼女は先程まで胸に埋めていた顔を静かに上げる。ふいに視線が重なった。
「巻ちゃん……」
見上げられた熱い眼差し。これはキスが欲しい時の瞳だ。次の言葉を遮るように、俺は自分の唇を近づける。が、
『……っぶねえ…!…いや、キス は…駄目ッショ』
「…ええ…どうして?」
胸元のシャツを短く クイ、と引っ張られる。こうやって自覚なしに煽ってくるのが、堪らなく辛い。
『…駄目なモンは駄目』
「理由がないと納得出来ないよ。嘘…まさか…………嫌いになっちゃった……とか」
『…!…嫌いな訳っ………』
青ざめた表情でこちらを見つめる彼女に心が痛む。俺は口ごもりながら伝えた。
『………い……一回したら、多分俺が暴走しちまう』
「―っ…」
『横には金城や田所っちが居るし。だからそういうのは、二人で居る時 限定だ。……………納得は?』
「し……しました」
『ヨシ』
俺は再び彼女を腕に抱き、頭を優しく撫でてやる。幸せそうに胸に顔を埋める姿に苦笑した。本当、何で俺なんかにしちまったんだか。どう考えても勿体なさ過ぎだろ。
『――“一生”か』
長いんだか短いんだか、良く分からない人生。それでも、“一生こうしたいたい”。それが彼女の望む物なら、俺を選んだ事を後悔させないよう 全力でそれに応えるだけだ。
カーテンの隙間から月明かりか星明かりが覗いて 部屋を薄っすら青く照らした。星が綺麗に見えた次の日は、何故か晴天になると言われている。
『明日も熱っちい中、馬鹿みてえに走んだろうなあ』
選んだ事を後悔させないよう、まずはこのインターハイ。最高に格好いい所を見せてやらないとな。
『名前、明日も晴れて熱ちいから。ちゃんと日陰にいろよ。…………………名前?』
返事のない彼女に目を向けると、それは幸せそうに 俺の胸で寝息を立てていて。寝たら叩き起こして部屋から放ると言ったものの。こんな幸せそうな顔を見せられたら、もう少しの間 彼女の寝顔を眺めていたくなってしまった。
『……クハッ、俺も大概。…お前と離れたくねえらしい』
俺は 静かに眠る彼女の額に、触れるだけのキスをした。
_________________
「おい、金城」
「…田所。…起きていたか」
「ああ、俺もさっき自分のいびきで目え覚めちまった」
「…………………。巻島は……名前と寝たようだな」
「そうみてえだな。それにしても巻島の奴、あそこで踏み留まるとは。男の中の男だぜ」
「そうだな。………田所」
「ああ?」
「確か、マウスピース持って来ていたな」
「…………付けるかあ。地響みてえに、うるせえらしいからな」
「ふ…。そうしてやるといい」
『…明日も早えし、寝るか』
合宿は始まったばかり。一日目のペースは悪くないが、あと八百キロ以上残っている。この過酷な合宿を三回経験しているからと言って 油断は禁物だ。急な悪天候、風、メカトラブル。常に何が起こるか分からないのが自転車だ。体力は有り余ってるくらいが丁度いい。
目を瞑る際、カーテンが少し空いていた事に気付く。薄っすらと月明かりを覗かせていた。明かりが気になるが もう動くのが面倒だったので、そのまま眠りにつこうとした瞬間。聞こえるはずのない声が耳に響いた。
「巻ちゃん」
気の所為…だろう。自分でも気付かないうちに、余程体力を消耗していたのか、幻聴に近いそれが聞こえる。こんな事でへばってしまうなんて、まだまだ練習が足りない証拠だ。
「ねえ、巻ちゃんてば…」
いや、幻聴なんかじゃない。耳元でクリアに聞こえる声に 俺は瞑っていた瞼を開いた。
『…名前っ…、ちょ…何してるッショ…』
そこには、枕元で しゃがみ込み小さく身体を丸めた名前の姿。驚きで身体を勢いよく起こす。両隣で 金城と田所っちが寝ているため、限りなく小さな声にしなければ。
『お前、ここ男子部屋だぞ…っ…。夜中に何考えてんだ』
彼女は恋人であり、自転車競技部のマネージャーだ。三年間、俺や部員たちを 縁の下から支え、苦楽を共にして来た。しかし、この過酷な合宿へマネージャーとして参加するのは初めてで 今日は朝から緊張した面持ちだった事を思い出す。彼女は、不安気な表情をしながら 小さな声で呟いた。
「だって、怖くて……」
『はあ?』
今にも泣きそうな彼女には申し訳ないが、思わず そんな返事をしてしまう。
「皆 二人とか三人で寝てるのに、私だけ一人部屋で…」
『馬鹿、男部屋に女居れられる訳ねえだろ』
合宿所の風呂にあったシャンプーが髪に合わないのか、頭を掻くと 髪の毛が指に引っ掛かり嫌な感じがする。五日間 こんな事になるなら家にあるシャンプーを持ってくればよかった。そんな事を思いながら前髪を掻き上げる。
『…で。何が怖えって?』
半ば飽きれた表情を諭されないよう、視線を反らしながら問うと、彼女は震えた声でそれに答えた。
「…く、草むらを ぴょんって何かが跳ねる音がしたり」
――そりゃ、蛙だ。
「ホーホーって、不気味な声が聞こえたり」
――そりゃ、フクロウな。
「挙句の果てにっ…地を這うような地響が聞こえて」
――………すまん。それは田所っちのいびきだ、許してやってくれ。
どれもこれも 怪奇現象でも何でもなく、彼女が ただの怖がりなだけで。しかし、唇を噛むその様子は、冗談にもふざけているようには見えなくて。俺は深いため息をついたあと、自分の布団を上げて見せた。
「…巻ちゃん…?」
『いいか、お前が落ち着くまでだからな。間違っても寝るんじゃねえぞ』
「…!…うん」
そう言って、彼女は静かに俺の布団へ入る。枕は一つしかないので、代わりに腕を伸ばし そこに頭を乗せるよう合図した。ふわりと彼女の頭が腕に乗り、互いの身体が向かい合い近づく。服を挟んでも伝わる肌の温もりに、瞬間 どきりと心臓が跳ねた。相変わらず柔らかくて、いい匂いがする。彼女が俺の胸に顔を埋めた。
「…凄い安心する。あーあ。一生こうしてたい」
『クハッ…何言ってんショ。名前の怖えのが落ち着くまでっつったろオ。マジで寝んなよ』
「もし寝ちゃったら?」
『叩き起こして、部屋から放る』
「対応が 塩過ぎるよ」
頬を ぷくっと膨らませる名前の声から、震えが消えていた。
――“一生こうしたいたい”か。そりゃ俺も同じだ。
柔らかな身体を抱きしめると、彼女は先程まで胸に埋めていた顔を静かに上げる。ふいに視線が重なった。
「巻ちゃん……」
見上げられた熱い眼差し。これはキスが欲しい時の瞳だ。次の言葉を遮るように、俺は自分の唇を近づける。が、
『……っぶねえ…!…いや、
「…ええ…どうして?」
胸元のシャツを短く クイ、と引っ張られる。こうやって自覚なしに煽ってくるのが、堪らなく辛い。
『…駄目なモンは駄目』
「理由がないと納得出来ないよ。嘘…まさか…………嫌いになっちゃった……とか」
『…!…嫌いな訳っ………』
青ざめた表情でこちらを見つめる彼女に心が痛む。俺は口ごもりながら伝えた。
『………い……一回したら、多分俺が暴走しちまう』
「―っ…」
『横には金城や田所っちが居るし。だからそういうのは、二人で居る時 限定だ。……………納得は?』
「し……しました」
『ヨシ』
俺は再び彼女を腕に抱き、頭を優しく撫でてやる。幸せそうに胸に顔を埋める姿に苦笑した。本当、何で俺なんかにしちまったんだか。どう考えても勿体なさ過ぎだろ。
『――“一生”か』
長いんだか短いんだか、良く分からない人生。それでも、“一生こうしたいたい”。それが彼女の望む物なら、俺を選んだ事を後悔させないよう 全力でそれに応えるだけだ。
カーテンの隙間から月明かりか星明かりが覗いて 部屋を薄っすら青く照らした。星が綺麗に見えた次の日は、何故か晴天になると言われている。
『明日も熱っちい中、馬鹿みてえに走んだろうなあ』
選んだ事を後悔させないよう、まずはこのインターハイ。最高に格好いい所を見せてやらないとな。
『名前、明日も晴れて熱ちいから。ちゃんと日陰にいろよ。…………………名前?』
返事のない彼女に目を向けると、それは幸せそうに 俺の胸で寝息を立てていて。寝たら叩き起こして部屋から放ると言ったものの。こんな幸せそうな顔を見せられたら、もう少しの間 彼女の寝顔を眺めていたくなってしまった。
『……クハッ、俺も大概。…お前と離れたくねえらしい』
俺は 静かに眠る彼女の額に、触れるだけのキスをした。
_________________
「おい、金城」
「…田所。…起きていたか」
「ああ、俺もさっき自分のいびきで目え覚めちまった」
「…………………。巻島は……名前と寝たようだな」
「そうみてえだな。それにしても巻島の奴、あそこで踏み留まるとは。男の中の男だぜ」
「そうだな。………田所」
「ああ?」
「確か、マウスピース持って来ていたな」
「…………付けるかあ。地響みてえに、うるせえらしいからな」
「ふ…。そうしてやるといい」