弱虫ペダル
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四月、始まりの季節。桜の花びらが風に乗って ひらひらと、空高く舞っていく。花びらの行き先が気になるが、今は家庭科室へ向かわねば。去年の十月頃に苗植えをした家庭科部の畑で、実 は小ぶりなものの 愛情一杯に育てた苺を収穫したのだ。中くらいの竹かごいっぱいに乗った真っ赤な苺に 思わず笑みが溢れる。外の畑から、校内の家庭科室へ向かう途中だった。偶然にも通り掛かった自転車競技部の部室の中から、それは大きな声が聞こえきて。
『だあ、もう。無理、何も思いつかねえ!』
うめき声にも似たそれは、かなり切羽詰まった声色で、こちらまで心がそわそわしてしまう。腕に抱いた竹かごに目を落とすと、赤赤とした苺が「早く調理してよ」と言っているように思えたが。私は 家庭科室へ向かいたい気持ちを一旦落ち着かせ、数センチ程開いていた部室のドアを隙間から覗いた。
「手嶋くん?」
そこには同じクラスで、今年から自転車競技部の主将となった 手嶋純太が頭を抱えて悩む姿があった。気配に勘づいたのか、手嶋が振り返ると同時に 隙間から部室を覗いていた私と視線が重なる。
『んあ、名前? …おいおい悪趣味だなあ、まさか着替えの覗きか? えっち』
両手で胸を隠すような素振りと からかうような口調で言われ、そんな訳ないのに咄嗟に慌ててしまう。覗き見だと思われたくなく、今度はしっかりドアを開け 部室内に足を踏み入れた。
「そ、そんなんじゃないって。たまたま通ったら、手嶋くんの大きな声が聞こえたから」
『ああ、悪い悪い。実は悩んでてさあ』
手嶋はノートにペンを落とし、何かを書き込んでいるようだった。主将になったのだ、部員の統括や練習メニューなど、私には想像の付かないような 主将業で手一杯だろう。特に力になれる事はないが、話だけなら聞けるはず。
「何に悩んでるの? 私じゃ役不足だけど、話しなら聞けるよ」
すると手嶋は私の胸に抱かれた竹かごに目を配る。
『名前、それ 苺か?』
「これ?うん、そうだよ。家庭科部で、去年の秋口に苗植えして さっき収穫したばかりなの」
『ちなみに苺使って、何作んだ?』
何故そんな事が気になるのだろう。手嶋の“悩み”とは程遠いように思えたが、素直にその問いに答えた。
「沢山穫れたから、半分はテリーヌにして、もう半分はジャムにしようと思って」
私の返答に、手嶋は座っていた椅子から勢いよく立ち上がった。
『……それだっ!ジャム…ジャムだよ』
「えっ、なに…どういう事…」
目を丸くする私に、彼は書きかけのノートを開いて見せてくれた。そこには。
「……“新入部員歓迎会の出し物”?」
『そうなんだ。毎年、自転車部に新入部員が入ると、三年がその年の一年に 歓迎会を開くんだけどさ。そこで出し物をする決まりになっててよ』
ふと部室の壁際を見ると、去年のインターハイで優勝した大きなトロフィーと旗。その近くには写真が飾られていて。写真には 手嶋の前に主将を務めていたサングラスの先輩が、タキシードを着てマジックをしている楽しそうな一枚があった。なるほど、と合致がいく。
「でも何でジャムなの?」
何かを閃いたようだったが、さっぱり分からず、私は首を傾げた。その問いに、手嶋はポケットから携帯を取り出し、ウェブで検索した画面を目の前に差し出す。
『ロシアンティーだ』
「ロシアンティー? 紅茶にジャムを入れて飲む、あれ?」
『そうそう。ロシアンティーの王道のジャムは苺だろ? 実は俺、紅茶を高い所から淹れるパフォーマンスが得意でさ。それを今回の歓迎会の出し物にしようと思ってたんだ』
「なるほど。ただのパフォーマンスだけじゃなくて、ちゃんと紅茶も楽しめるように ジャムを加えてフレバーティーみたいにするんだ」
『そうだよ、それそれ。さすが分かってんじゃん! 紅茶だけじゃ何か物足りねえと思ってたんだよ、名前、ありがとな』
褒められたようで何だか嬉しく 顔に熱が籠もり、胸がじんわりと温まる。部活の練習メニューの事なら 力になれそうになかったが、料理の事なら話は別だ。せっかく彼がこうして褒めてくれたのだ、最後まで力になりたい。
「ねえ、手嶋くん。良ければ私、歓迎会の時に合わせて苺ジャム作るよ」
『マジで。……いや待てよ。せっかく家庭科部のやつらと名前が育てた大切な苺だろ。俺たちの歓迎会に使うようじゃ、何か悪 いって』
苦笑し遠慮する手嶋だったが、私は彼の目の前に身を乗り出す。
「ううん。私が手嶋くんの力になりたいの。迷惑じゃなければ 作らせて貰えないかな」
『…うーん…いいのか?』
それでもどこか、眉を八の字にし 遠慮する 素振りを見せる彼に、ハッと思い浮かんだ提案をする。
「勿論。その代わり 美味しく出来たら、今度予定してる家庭科部のライブクッキングのギャラリーとして部員の皆で来てくれないかな。家庭科部の一大イベントなんだけど、実はビラ配りの集まりが良くなくて」
その言葉に 手嶋は肩を降ろし 安堵の表情で微笑んだ。
『それならウィンウィンってやつだな。なら、早速ジャム作り頼めるか』
「うん、少量の試作品が出来たら、またここに持って来てもいいかな?」
『いつでも大歓迎。あ、でも今度は覗き見ナシな、マジで着替えってかもしんねえぞ? 裸が見てえなら別だけど』
「だ、だからっ、覗いてなんてないってば…!」
意地の悪い目を向けられ 赤面しながら言い返すと、彼の大きなゴツゴツした手が私の頭を ふわりと撫でた。
『冗談』
からかわれているだけなのに、何故か鼓動が早まった。
___________________
先日、自転車競技部の部室の目の前を通った時は 竹かごに新鮮な苺を手にしていたが。今日は 透明の耐熱容器に出来たてのジャムを持っている。少量の苺で試作品を作ったのだ。予め手嶋には、この日作ったジャムを食べて貰いたいと連絡をしていた。すると 空いた昼休みの時間を使って、部室に来て欲しいと連絡があり こうして再び部室の前にいる。
「ドア、よし」
今度はドアに隙間のない事を指さし確認をした。前回のように“覗き”の疑いをかけらる訳にはいかない。私はノックのあと、ゆっくりとドアノブを回した。
「……失礼します、手嶋くん 居る…?」
そっと遠慮がちに顔を覗かせると、手嶋は部室にある椅子に座っていて。
『よ、名前。わざわざ悪いな。せっかくの昼休みに』
「ううん、そんな事ない」
手嶋の明るい表情を見て安堵し、部室へと足を踏み入れる。私は机の上へ耐熱容器に入った 赤赤とした苺ジャムを乗せた。
「少しだけど、食べてみて。この味で良ければ、歓迎会の日に多めに作って渡すから」
『おお、すげえ。苺の良い匂い、これ売り物じゃんか』
「大袈裟なんだから。はい、スプーン」
『え?』
早速 試食をして貰いたくて、ケースに入れて来たスプーンを手渡すが、手嶋は何故か受け取ろうとせず。
「……? 手嶋くん……スプーン」
不思議に首を傾げる私の目の前で、彼は薄い唇を開けて見せた。
『名前が食わしてくれるんじゃねえの?』
「…えっ…!…」
慌てふためく私の顔は、きっと苺のように赤くなっているに違いない。からかわれているのか、本気なのか……「手嶋純太」という男が良く分からない。それでも、少し悪戯な目をしているのは確かで。黙って固まっている私に 彼は自分の口元を指さして言った。
『ほら。早くしねえと昼休み終わっちまうぞ。あーん、してくれよ』
「―……っ」
私は 恥ずかしさに耐えるよう、震える手で とろみの付いたジャムをすくい 彼の口元へ運ぶ。薄い唇から 濡れた舌が見え、それがスプーンを乗せるように口の中へと消えていく。静かにスプーンを引いて口元から離すと、彼の喉仏が小さく上下に動き、途端に 鼓動が早まるのを感じた。
『うま』
舌先で唇の端をぺろりと舐めるその姿は 異様なくらい色っぽくて。静かな部室に この煩い鼓動が聞こえてしまうのでは、とひやりとしてしまう。すると、ふと何かに気付いたのか 手嶋が私の手元を指さした。
『…名前、右手の小指』
「え…」
『ジャム付いてる』
小指に目を向けると、先程 スプーンでジャムをすくった時だろう。緊張で震えた手が 容器のふちに付いていたジャムに触れてしまっていた。ハンカチで拭おうとポケットに手を伸ばした時、それを制するように彼の手が私の手首を掴んだ。
「…て…しま…くん」
『拭くなよ、勿体ねえじゃん』
そうして手首を引き寄せ、彼の唇が私の小指に触れる。瞳を反らさず、視線はずっとこちらへ向けられている。まるで私の反応を確かめるかのように。キスするような優しい感触のあと、瞬間に唇から舌先が伸びて熱い潤いを感じた。全身が熱くなり、頭が沸騰してしまいそうだった。
「…っ……」
恥ずかしさで顔を背けると。
『なら、これで頼むわ』
「……え?」
唐突な言葉で 固まった私に、彼は瓶に入ったジャムへと視線向ける。
『一年の歓迎会で使うジャム』
「……あ…う、うん……分かっ…た…」
飄々としたその 涼しい瞳は、もう全てを見透かしているのかもしれない。心臓の鼓動も、赤面する顔も、私の気持ちでさえ。
「………私、手嶋くんと居ると…。ドキドキして、心臓が いくつあっても足りないかも」
消え入るような、小さな声で呟くと。手嶋は椅子の背もたれに身を預け、ふむ、と考える素振りを見せた。そうして、思いついたかのように またあの意地の悪い視線が送られる。
『じゃあ ここで問題な』
彼の舌の感触が まだ小指に残っている。熱い。
『俺にドキドキする名前の心臓は、このあと いくつあれば足りるでしょう』
視線は反らされる事なく送られ続け。これ以上見つめられたら身体に穴が開いてしまいそうだった。私は控えめな声で その問いに答える。
「………わ、分かんないよ………」
『答えになってねえよ。不正解』
そう言うと、身を乗り出した彼の手が伸び それは私の熱い頬に当てられた。
「…手嶋くん…っ…」
頬をなぞられた指先で、私の顎を優しく掴み ほんの少しだけ 上へと上げられる。前髪同士が触れ合い、互いの息遣いを感じる距離。瞬間に 彼の唇が私のそれに重なる。甘くて熱い、苺の匂い。
『正解は “これから二人で数える”…だ』
――そんな事、分かるはずない。この人は本当に、悪戯 だ。
『まずは、“1 ”。だろ?』
『だあ、もう。無理、何も思いつかねえ!』
うめき声にも似たそれは、かなり切羽詰まった声色で、こちらまで心がそわそわしてしまう。腕に抱いた竹かごに目を落とすと、赤赤とした苺が「早く調理してよ」と言っているように思えたが。私は 家庭科室へ向かいたい気持ちを一旦落ち着かせ、数センチ程開いていた部室のドアを隙間から覗いた。
「手嶋くん?」
そこには同じクラスで、今年から自転車競技部の主将となった 手嶋純太が頭を抱えて悩む姿があった。気配に勘づいたのか、手嶋が振り返ると同時に 隙間から部室を覗いていた私と視線が重なる。
『んあ、名前? …おいおい悪趣味だなあ、まさか着替えの覗きか? えっち』
両手で胸を隠すような素振りと からかうような口調で言われ、そんな訳ないのに咄嗟に慌ててしまう。覗き見だと思われたくなく、今度はしっかりドアを開け 部室内に足を踏み入れた。
「そ、そんなんじゃないって。たまたま通ったら、手嶋くんの大きな声が聞こえたから」
『ああ、悪い悪い。実は悩んでてさあ』
手嶋はノートにペンを落とし、何かを書き込んでいるようだった。主将になったのだ、部員の統括や練習メニューなど、私には想像の付かないような 主将業で手一杯だろう。特に力になれる事はないが、話だけなら聞けるはず。
「何に悩んでるの? 私じゃ役不足だけど、話しなら聞けるよ」
すると手嶋は私の胸に抱かれた竹かごに目を配る。
『名前、それ 苺か?』
「これ?うん、そうだよ。家庭科部で、去年の秋口に苗植えして さっき収穫したばかりなの」
『ちなみに苺使って、何作んだ?』
何故そんな事が気になるのだろう。手嶋の“悩み”とは程遠いように思えたが、素直にその問いに答えた。
「沢山穫れたから、半分はテリーヌにして、もう半分はジャムにしようと思って」
私の返答に、手嶋は座っていた椅子から勢いよく立ち上がった。
『……それだっ!ジャム…ジャムだよ』
「えっ、なに…どういう事…」
目を丸くする私に、彼は書きかけのノートを開いて見せてくれた。そこには。
「……“新入部員歓迎会の出し物”?」
『そうなんだ。毎年、自転車部に新入部員が入ると、三年がその年の一年に 歓迎会を開くんだけどさ。そこで出し物をする決まりになっててよ』
ふと部室の壁際を見ると、去年のインターハイで優勝した大きなトロフィーと旗。その近くには写真が飾られていて。写真には 手嶋の前に主将を務めていたサングラスの先輩が、タキシードを着てマジックをしている楽しそうな一枚があった。なるほど、と合致がいく。
「でも何でジャムなの?」
何かを閃いたようだったが、さっぱり分からず、私は首を傾げた。その問いに、手嶋はポケットから携帯を取り出し、ウェブで検索した画面を目の前に差し出す。
『ロシアンティーだ』
「ロシアンティー? 紅茶にジャムを入れて飲む、あれ?」
『そうそう。ロシアンティーの王道のジャムは苺だろ? 実は俺、紅茶を高い所から淹れるパフォーマンスが得意でさ。それを今回の歓迎会の出し物にしようと思ってたんだ』
「なるほど。ただのパフォーマンスだけじゃなくて、ちゃんと紅茶も楽しめるように ジャムを加えてフレバーティーみたいにするんだ」
『そうだよ、それそれ。さすが分かってんじゃん! 紅茶だけじゃ何か物足りねえと思ってたんだよ、名前、ありがとな』
褒められたようで何だか嬉しく 顔に熱が籠もり、胸がじんわりと温まる。部活の練習メニューの事なら 力になれそうになかったが、料理の事なら話は別だ。せっかく彼がこうして褒めてくれたのだ、最後まで力になりたい。
「ねえ、手嶋くん。良ければ私、歓迎会の時に合わせて苺ジャム作るよ」
『マジで。……いや待てよ。せっかく家庭科部のやつらと名前が育てた大切な苺だろ。俺たちの歓迎会に使うようじゃ、何か
苦笑し遠慮する手嶋だったが、私は彼の目の前に身を乗り出す。
「ううん。私が手嶋くんの力になりたいの。迷惑じゃなければ 作らせて貰えないかな」
『…うーん…いいのか?』
それでもどこか、眉を八の字にし 遠慮する 素振りを見せる彼に、ハッと思い浮かんだ提案をする。
「勿論。その代わり 美味しく出来たら、今度予定してる家庭科部のライブクッキングのギャラリーとして部員の皆で来てくれないかな。家庭科部の一大イベントなんだけど、実はビラ配りの集まりが良くなくて」
その言葉に 手嶋は肩を降ろし 安堵の表情で微笑んだ。
『それならウィンウィンってやつだな。なら、早速ジャム作り頼めるか』
「うん、少量の試作品が出来たら、またここに持って来てもいいかな?」
『いつでも大歓迎。あ、でも今度は覗き見ナシな、マジで着替えってかもしんねえぞ? 裸が見てえなら別だけど』
「だ、だからっ、覗いてなんてないってば…!」
意地の悪い目を向けられ 赤面しながら言い返すと、彼の大きなゴツゴツした手が私の頭を ふわりと撫でた。
『冗談』
からかわれているだけなのに、何故か鼓動が早まった。
___________________
先日、自転車競技部の部室の目の前を通った時は 竹かごに新鮮な苺を手にしていたが。今日は 透明の耐熱容器に出来たてのジャムを持っている。少量の苺で試作品を作ったのだ。予め手嶋には、この日作ったジャムを食べて貰いたいと連絡をしていた。すると 空いた昼休みの時間を使って、部室に来て欲しいと連絡があり こうして再び部室の前にいる。
「ドア、よし」
今度はドアに隙間のない事を指さし確認をした。前回のように“覗き”の疑いをかけらる訳にはいかない。私はノックのあと、ゆっくりとドアノブを回した。
「……失礼します、手嶋くん 居る…?」
そっと遠慮がちに顔を覗かせると、手嶋は部室にある椅子に座っていて。
『よ、名前。わざわざ悪いな。せっかくの昼休みに』
「ううん、そんな事ない」
手嶋の明るい表情を見て安堵し、部室へと足を踏み入れる。私は机の上へ耐熱容器に入った 赤赤とした苺ジャムを乗せた。
「少しだけど、食べてみて。この味で良ければ、歓迎会の日に多めに作って渡すから」
『おお、すげえ。苺の良い匂い、これ売り物じゃんか』
「大袈裟なんだから。はい、スプーン」
『え?』
早速 試食をして貰いたくて、ケースに入れて来たスプーンを手渡すが、手嶋は何故か受け取ろうとせず。
「……? 手嶋くん……スプーン」
不思議に首を傾げる私の目の前で、彼は薄い唇を開けて見せた。
『名前が食わしてくれるんじゃねえの?』
「…えっ…!…」
慌てふためく私の顔は、きっと苺のように赤くなっているに違いない。からかわれているのか、本気なのか……「手嶋純太」という男が良く分からない。それでも、少し悪戯な目をしているのは確かで。黙って固まっている私に 彼は自分の口元を指さして言った。
『ほら。早くしねえと昼休み終わっちまうぞ。あーん、してくれよ』
「―……っ」
私は 恥ずかしさに耐えるよう、震える手で とろみの付いたジャムをすくい 彼の口元へ運ぶ。薄い唇から 濡れた舌が見え、それがスプーンを乗せるように口の中へと消えていく。静かにスプーンを引いて口元から離すと、彼の喉仏が小さく上下に動き、途端に 鼓動が早まるのを感じた。
『うま』
舌先で唇の端をぺろりと舐めるその姿は 異様なくらい色っぽくて。静かな部室に この煩い鼓動が聞こえてしまうのでは、とひやりとしてしまう。すると、ふと何かに気付いたのか 手嶋が私の手元を指さした。
『…名前、右手の小指』
「え…」
『ジャム付いてる』
小指に目を向けると、先程 スプーンでジャムをすくった時だろう。緊張で震えた手が 容器のふちに付いていたジャムに触れてしまっていた。ハンカチで拭おうとポケットに手を伸ばした時、それを制するように彼の手が私の手首を掴んだ。
「…て…しま…くん」
『拭くなよ、勿体ねえじゃん』
そうして手首を引き寄せ、彼の唇が私の小指に触れる。瞳を反らさず、視線はずっとこちらへ向けられている。まるで私の反応を確かめるかのように。キスするような優しい感触のあと、瞬間に唇から舌先が伸びて熱い潤いを感じた。全身が熱くなり、頭が沸騰してしまいそうだった。
「…っ……」
恥ずかしさで顔を背けると。
『なら、これで頼むわ』
「……え?」
唐突な言葉で 固まった私に、彼は瓶に入ったジャムへと視線向ける。
『一年の歓迎会で使うジャム』
「……あ…う、うん……分かっ…た…」
飄々としたその 涼しい瞳は、もう全てを見透かしているのかもしれない。心臓の鼓動も、赤面する顔も、私の気持ちでさえ。
「………私、手嶋くんと居ると…。ドキドキして、心臓が いくつあっても足りないかも」
消え入るような、小さな声で呟くと。手嶋は椅子の背もたれに身を預け、ふむ、と考える素振りを見せた。そうして、思いついたかのように またあの意地の悪い視線が送られる。
『じゃあ ここで問題な』
彼の舌の感触が まだ小指に残っている。熱い。
『俺にドキドキする名前の心臓は、このあと いくつあれば足りるでしょう』
視線は反らされる事なく送られ続け。これ以上見つめられたら身体に穴が開いてしまいそうだった。私は控えめな声で その問いに答える。
「………わ、分かんないよ………」
『答えになってねえよ。不正解』
そう言うと、身を乗り出した彼の手が伸び それは私の熱い頬に当てられた。
「…手嶋くん…っ…」
頬をなぞられた指先で、私の顎を優しく掴み ほんの少しだけ 上へと上げられる。前髪同士が触れ合い、互いの息遣いを感じる距離。瞬間に 彼の唇が私のそれに重なる。甘くて熱い、苺の匂い。
『正解は “これから二人で数える”…だ』
――そんな事、分かるはずない。この人は本当に、
『まずは、“