弱虫ペダル
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『……だからァ、ベプシと唐揚げっつったじゃん』
むくり、と床に伏していた身体を起こすその顔は、熱で火照っているせいか 迫力はいつもの三分の一程度になっている。
「睨んでもダメ。全然怖くないんだから」
私は細いため息をつき、ベッドの横にあるローテーブルへ スーパーのビニール袋を乗せた。荒北から事の連絡を貰ったのは早朝だった。聞けば、雨にも関わらず“揃えたい物”があるからと愛車のビアンキで町なかを走っていたらしい。その夜から身体が重く、熱があるとか。何故、昨日の時点で連絡をくれなかったのか。心配よりも先に 半ば怒りのメールを送るも。
――連絡したら名前チャン来るじゃん、夜中に女一人で出歩かせてたまるか。
なんて。自分の方が辛い癖に、いつも私の心配を先にする。不器用ながら、それが荒北の優しさだと思うと 攻める気持ちは一気に消えてしまっていて。代わりに早々と支度をし、何か欲しい物はないかと聞けば 例により“ベプシと唐揚げ”と送られて来たのだが。
「そもそも 熱で寝てる人が口にする物じゃないでしょ、ベプシはともかく唐揚げなんて」
『俺は それ食 や治んのオ』
「いいから。はい、スポドリと解熱剤。あと、おでこに貼るやつね」
スポーツドリンクの蓋を外し、スーパーで貰って来た曲がるストローを差す。これならあまり身体を起こさずにでも飲めるだろう。風邪の時は 思った以上に汗をかく。脱水にならないよう多めに水分を摂らなければ。三本買ったうちのペットボトル一本を手渡すと、やはり喉が乾いていたのか、喉をゴクリと鳴らしながら 半分以上を飲み干していく。
「靖友、解熱剤も一緒に飲んで」
パッケージから取り出した白い錠剤を手のひらに乗せると 大人しくポイ、と口に放り込み スポーツドリンクで流し込んだ。
『…………………あんがとネェ…』
枕に頭を付けながら、視線だけを送ってくる。それはいつも見せる野性動物のような ギラついた瞳ではなく、照れるも優しい瞳。
「いつも このくらい素直だといいのにね」
『あンだってえ?』
「ふふ、何でもない。食欲はあるんだよね、お粥作るから寝てて」
『……おう』
唐揚げが食べたいと言っていたくらいだ。食欲はあるのだろう。本当は好きな物を食べさせたいのだが、油物はどうしても消化に負担が掛かってしまう。私は彼の部屋のキッチンを借り、お粥を作る事にした。
「まあ 土鍋なんて…ある訳ないか」
小さな一人用の鍋があればいいのが、大学生 男の一人暮らしだ。必要最低限の食器しかないだろう。以前も彼の部屋へ泊まった時に、夕飯を作ったのだが 野菜を取り分ける小皿も 魚を乗せるような魚皿もなく、笑いながら全てを大皿に盛り付けたのを思い出した。思い出し笑いをし、小さく吹き出しながら戸棚を開けると、そこに置かれた物に 思わず目を丸くしてしまう。
「…え」
この前まで 大皿と、不揃いな柄の味噌汁茶碗しかなかった戸棚には。
「……なんで…」
銘々皿 に魚皿と、深皿。同じ柄のご飯茶碗に 味噌汁茶碗、そして二人用の土鍋があった。よく見ればその全てが。
「…二人分なの」
お世辞にも綺麗な部屋とは言えない彼の家に、買ったばかりのピカピカの食器たち。奥の方にはお揃いの猫のマグカップもある。それは以前 二人でデートへ行った際 通りかかった雑貨屋にあった物で。私が「あの猫のマグカップ可愛いね」そう声を掛けた時、彼はただ横目で見て 空返事で「おう」と答えただけの物。
「…どこの雑貨屋だったなんて、私ですら覚えてないのに…」
瞬間に ハッとする。
「もしかして、“揃えたい物”って…これ…?」
彼だって どこの店の物だったか、なんて店の名前だったか、なんて覚えてなかったはず。見つけるのは容易な事じゃない。それでも、これを食器棚へ置く為に、あの日二人で歩いた道を 何度も何度も自転車で走ったのだろう。雨の日も 真っ直ぐに自転車を走らせ、ただ私が“可愛い”と言ったマグカップを探しに行くだけの為に こうして風邪を引くなんて。
「………ホント。バカなんだから」
愛おしく 手に取ったマグカップは、よく見ると 隣同士に並べる事でオスとメスの猫が向き合うようになっていた。
_________________
「靖友、お粥出来たよ。起きて食べれそう?」
二人用の土鍋を彼の元へ運ぶ。ミトンをして土鍋の蓋を開けると、勢いよく湯気が上がった。
『……頭痛てェけど、さっきよりマシ。メシも食えそう』
少し辛そうに起き上がる彼は、私の持ってきた土鍋に目を向ける。
『ちゃんと、揃えたかンな』
「うん、見た。……マグカップも」
『…ハッ。……ありゃ ちと骨が折れたぜ。全然見つかンんねえんだもんよオ…』
「ちなみに、どこにあったの?」
『小田原駅前の雑貨屋ァ』
「…そっか…そうなんだ…ありがとう。…ふふ…でも雨の中走るなんて。本当、バカ」
『……っせエ…』
照れているのか、まだ熱があるのか。彼は頬を染めながら 私の手渡したレンゲで熱々のお粥をつついた。
「味、大丈夫?」
『名前チャンの作るメシは 全部旨めエっつうの。いちいち聞いてくンな』
「なら良かった」
くすりと笑う私を横目に、彼は口に運んだレンゲを持つ手を止めた。
「…靖友?」
『……食器。揃えたじゃん』
「…え…うん…?…」
脈絡もない彼の言葉に首を傾げると、少し考えたあとに 頭をガシガシと掻きながら口を開いた。
『………だから。一緒に暮らしてさ、物が多くなったら ここより広い部屋に引っ越してよオ、暫くしたら賃貸じゃなくて家買って。そんで そのうちガキでも増えたら、なんか良いよな』
「……やす…とも…それって」
『中に入ってる この赤い豆なに』
「え……小豆 だけど」
『旨い』
しまった、話を逸らされた。彼の言葉の真意を聞きそびれてしまう。そう思ったが、黙々と熱いお粥を頬張るその姿を見ながら 私はふと 彼のさっきの言葉通りに想像を重ねた。
途端に胸が熱くなる。“真意”なんて物は もう既に さっきの言葉で十分なのだ。
「ねえ、靖友」
『ア?』
「熱に浮かされて…。あとで譫言 でした、なんて言ったら怒るんだからね」
私の言葉の最後の方で、彼は既に空になった土鍋に レンゲを荒く放る。
『…言うかよ………バァカ』
そうして二本目のスポーツドリンクの蓋を 勢いよく空けた。
むくり、と床に伏していた身体を起こすその顔は、熱で火照っているせいか 迫力はいつもの三分の一程度になっている。
「睨んでもダメ。全然怖くないんだから」
私は細いため息をつき、ベッドの横にあるローテーブルへ スーパーのビニール袋を乗せた。荒北から事の連絡を貰ったのは早朝だった。聞けば、雨にも関わらず“揃えたい物”があるからと愛車のビアンキで町なかを走っていたらしい。その夜から身体が重く、熱があるとか。何故、昨日の時点で連絡をくれなかったのか。心配よりも先に 半ば怒りのメールを送るも。
――連絡したら名前チャン来るじゃん、夜中に女一人で出歩かせてたまるか。
なんて。自分の方が辛い癖に、いつも私の心配を先にする。不器用ながら、それが荒北の優しさだと思うと 攻める気持ちは一気に消えてしまっていて。代わりに早々と支度をし、何か欲しい物はないかと聞けば 例により“ベプシと唐揚げ”と送られて来たのだが。
「そもそも 熱で寝てる人が口にする物じゃないでしょ、ベプシはともかく唐揚げなんて」
『俺は それ
「いいから。はい、スポドリと解熱剤。あと、おでこに貼るやつね」
スポーツドリンクの蓋を外し、スーパーで貰って来た曲がるストローを差す。これならあまり身体を起こさずにでも飲めるだろう。風邪の時は 思った以上に汗をかく。脱水にならないよう多めに水分を摂らなければ。三本買ったうちのペットボトル一本を手渡すと、やはり喉が乾いていたのか、喉をゴクリと鳴らしながら 半分以上を飲み干していく。
「靖友、解熱剤も一緒に飲んで」
パッケージから取り出した白い錠剤を手のひらに乗せると 大人しくポイ、と口に放り込み スポーツドリンクで流し込んだ。
『…………………あんがとネェ…』
枕に頭を付けながら、視線だけを送ってくる。それはいつも見せる野性動物のような ギラついた瞳ではなく、照れるも優しい瞳。
「いつも このくらい素直だといいのにね」
『あンだってえ?』
「ふふ、何でもない。食欲はあるんだよね、お粥作るから寝てて」
『……おう』
唐揚げが食べたいと言っていたくらいだ。食欲はあるのだろう。本当は好きな物を食べさせたいのだが、油物はどうしても消化に負担が掛かってしまう。私は彼の部屋のキッチンを借り、お粥を作る事にした。
「まあ 土鍋なんて…ある訳ないか」
小さな一人用の鍋があればいいのが、大学生 男の一人暮らしだ。必要最低限の食器しかないだろう。以前も彼の部屋へ泊まった時に、夕飯を作ったのだが 野菜を取り分ける小皿も 魚を乗せるような魚皿もなく、笑いながら全てを大皿に盛り付けたのを思い出した。思い出し笑いをし、小さく吹き出しながら戸棚を開けると、そこに置かれた物に 思わず目を丸くしてしまう。
「…え」
この前まで 大皿と、不揃いな柄の味噌汁茶碗しかなかった戸棚には。
「……なんで…」
「…二人分なの」
お世辞にも綺麗な部屋とは言えない彼の家に、買ったばかりのピカピカの食器たち。奥の方にはお揃いの猫のマグカップもある。それは以前 二人でデートへ行った際 通りかかった雑貨屋にあった物で。私が「あの猫のマグカップ可愛いね」そう声を掛けた時、彼はただ横目で見て 空返事で「おう」と答えただけの物。
「…どこの雑貨屋だったなんて、私ですら覚えてないのに…」
瞬間に ハッとする。
「もしかして、“揃えたい物”って…これ…?」
彼だって どこの店の物だったか、なんて店の名前だったか、なんて覚えてなかったはず。見つけるのは容易な事じゃない。それでも、これを食器棚へ置く為に、あの日二人で歩いた道を 何度も何度も自転車で走ったのだろう。雨の日も 真っ直ぐに自転車を走らせ、ただ私が“可愛い”と言ったマグカップを探しに行くだけの為に こうして風邪を引くなんて。
「………ホント。バカなんだから」
愛おしく 手に取ったマグカップは、よく見ると 隣同士に並べる事でオスとメスの猫が向き合うようになっていた。
_________________
「靖友、お粥出来たよ。起きて食べれそう?」
二人用の土鍋を彼の元へ運ぶ。ミトンをして土鍋の蓋を開けると、勢いよく湯気が上がった。
『……頭痛てェけど、さっきよりマシ。メシも食えそう』
少し辛そうに起き上がる彼は、私の持ってきた土鍋に目を向ける。
『ちゃんと、揃えたかンな』
「うん、見た。……マグカップも」
『…ハッ。……ありゃ ちと骨が折れたぜ。全然見つかンんねえんだもんよオ…』
「ちなみに、どこにあったの?」
『小田原駅前の雑貨屋ァ』
「…そっか…そうなんだ…ありがとう。…ふふ…でも雨の中走るなんて。本当、バカ」
『……っせエ…』
照れているのか、まだ熱があるのか。彼は頬を染めながら 私の手渡したレンゲで熱々のお粥をつついた。
「味、大丈夫?」
『名前チャンの作るメシは 全部旨めエっつうの。いちいち聞いてくンな』
「なら良かった」
くすりと笑う私を横目に、彼は口に運んだレンゲを持つ手を止めた。
「…靖友?」
『……食器。揃えたじゃん』
「…え…うん…?…」
脈絡もない彼の言葉に首を傾げると、少し考えたあとに 頭をガシガシと掻きながら口を開いた。
『………だから。一緒に暮らしてさ、物が多くなったら ここより広い部屋に引っ越してよオ、暫くしたら賃貸じゃなくて家買って。そんで そのうちガキでも増えたら、なんか良いよな』
「……やす…とも…それって」
『中に入ってる この赤い豆なに』
「え……
『旨い』
しまった、話を逸らされた。彼の言葉の真意を聞きそびれてしまう。そう思ったが、黙々と熱いお粥を頬張るその姿を見ながら 私はふと 彼のさっきの言葉通りに想像を重ねた。
途端に胸が熱くなる。“真意”なんて物は もう既に さっきの言葉で十分なのだ。
「ねえ、靖友」
『ア?』
「熱に浮かされて…。あとで
私の言葉の最後の方で、彼は既に空になった土鍋に レンゲを荒く放る。
『…言うかよ………バァカ』
そうして二本目のスポーツドリンクの蓋を 勢いよく空けた。