弱虫ペダル
name change
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「………くしゅ」
何度目かのくしゃみをすると同時に、鳥肌が立ち 身体が小さく震えた。
口を塞いだつもりが、電話越しに彼に聞こえてしまったらしい。耳に当てた携帯から、イギリスに居る巻島の声が響いた。
『ああ悪い、また長電話になっちまった』
「ううん、平気。私も巻ちゃんと話してると楽しくて。いつも時間忘れちゃうから」
ふと時計を見ると、短い針は既に次の日を指している。他愛もない話をしていただけなのに、あっという間に時間が過ぎてしまっていた。日本に居る時は顔を合せて会話やデートが出来ていたが、巻島がいるのは今や遠いイギリス。手の届かない場所に行ってしまった彼を少しでも近くに感じたい…その気持ちからか、いつも長電話になってしまうのだ。
『クハッ、俺なんかと話して楽しいかよ』
苦笑した巻島の声が耳をくすぐる。どんな顔をしているか すぐに想像がついた。
「楽しいよ。なんか一緒の空間にいるみたいで」
『……ったく。……あのなぁ。そんな会いたくなるような台詞言うなよ。今 どう手え伸ばしても、お前には届かねえんだから』
日本からイギリスまで約9,500キロ以上。会いたいと思って手を伸ばしても、12時間はかかる距離。数字にすると、途端に彼との距離に寂しさを覚える。それでも仕方がない事だと割り切るしかない。彼が選んだ道を 精一杯応援しよう、と留学が決まった時から心に決めていたのだ。
きっと「寂しい」なんて言ったら、優しい巻島の事だ。時間の合間を縫って無理矢理 帰国するかもしれない。せっかくイギリスで頑張っているのだ。余計な不安を感じさせたくなかった為、私は からかうように言った。
「ええ、嬉しい。巻ちゃん 私に会いたいの?」
『……会いたいに決まってるッショ』
たじろぎながら「からかうなよ」と言われると思っていたのだが、予想もしない反応に私は次の言葉に詰まってしまった。
『…ん?おい、名前、聞こえてんのか』
「あ、うん。き、聞こえてるよ。巻ちゃんが 凄い素直で…びっくりしただけ」
『そりゃ、嘘言ったって仕方ないッショ。こんな離れてて 何かの拍子に
「ふふ、そうだね。あ、そうだ 巻ちゃん」
『ん、何ショ』
私はふと思い出したかのように聞いてみる。今の巻島なら嘘はつかないはずだ。
「イギリスのグラビアって、日本のよりも良いの?」
『…ブッ…!…急に何言って…そもそも俺はっ…』
「嘘はナシなんでしょ?」
悪戯心の質問に、巻島が慌てる様子が伺える。少しの空白のあと、彼が呟いた。電話越しには髪の毛を掻く音がして、きっと玉虫色の長い髪をガシガシ掻いているんだろうなと笑ってしまった。
『だから買ってないショ』
「嘘っぽい」
『うっ……嘘言わねえって!さっきそう言ったばっかだろ』
「ふうん」
『ふうん…て。だー、もう。いいか、俺はこっちでグラビアなんか買ってねえ。大体グラビア見るくらいなら、お前の写真で………っ……』
「…!…」
言葉を詰らせた巻島に、続いて私も沈黙する。顔が急に熱くなり、先程まで寒くて くしゃみをしていたのが嘘のようだ。
「…つ、続きは?」
私はおずおずと 次の言葉の催促をする。ここまで言ってしまったのだ、彼は観念したかのように口にした。
『…お前の写真で抜いてるッショ』
「…さ、さすがにそこまでは、聞いてないというか。…ま、巻ちゃん……エッチ……」
『…聞いてきたのは名前のくせに……ったく。』
「す、素直過ぎるのもあれだね…。ちょっと、私の心臓が持たないかも…」
胸を擦ると、鼓動が手のひらに伝わる。彼からの直球な言葉に心臓の躍動が大きくなっていた。遠く離れていても 彼が私をそんな風に思っていると考えるだけで、会いたい気持ちが増していく。
『…そうか?俺は今、言葉がどれだけ大事か、本当。改めて感じてる』
「…?」
『今までは 言葉で伝わらない事も全部、
巻島は、きっと小野田から送られている何通ものエアメールに目を落としいるのだろう。
『坂道からの手紙だってそうだ。封は開けちゃいねえがな。だからよ名前…』
「ん?」
『必ず迎えに行く』
「……!…」
力強い彼の言葉は、なぜか一瞬で私の瞳に涙の膜を張らせた。目の前がどんどんぼやけて、次第に頬を伝って溢れていく。まるで、我慢していた物が、あふれるように。
「……うん……ま、巻ちゃん…うん。私、待ってる……ま、待ってるね…」
ぐずぐず鼻声になる私に、巻島は続けた。
『いつも寂しい思いさせて ごめん』
ずっと前から気付いていたのだろう。言わなくとも 声の抑揚や言葉の雰囲気で 私が寂しさを感じている事を。
「ううん、私、巻ちゃんを一番に応援してるから…だから、大丈夫。待ってる、もう泣かないよ…」
『ああ、もう泣くな。お前が泣くの、俺 すげえ苦手だからよ。そんでさ、名前。待ってる間に ちゃんと考えとけよ』
「…ん…何を?」
『どんなドレス着てえか、考えとけ』
「………!…」
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何度目かの季節を巡って、ちょっと奇抜なタキシードを着た彼が迎えに来た。私は選んだドレスに袖を通し、彼の隣に並び そっと腕を組む。晴天に恵まれたその日は、まるで絵に描いたような サイクリング日和で。
『もっと独特なヤツでも良かったんだぞ…。でもまあ、控えめに言って。世界一 綺麗ッショ』
もう泣かない、そう決めたはずなのに。彼は本当に私を涙させるのが得意らしい。
『クハッ…。だから泣くなよお。……なあ……名前、待っててくれてありがとな。さ、行こうぜ』
今、バージンロードに繋がる扉が ゆっくりと開いた。