弱虫ペダル
name change
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「それで銅橋。折り入って話というのは何だ」
部室の椅子に座ったキャプテンの泉田さんは、真剣な目で俺の瞳を覗いている。
座っているだけなのに、物凄い迫力だ。それがこの箱根学園を率いるキャプテンの風貌。
泉田さんの両隣には、黒田さんと葦木場さんがそれぞれ立っている。俺は、ピリついた雰囲気の中、泉田さんに意を決してあるお願いをした。
『泉田さん、すいません。マネージャーの事なんですが…』
「名前がどうかしたか? マネージャーとしての仕事に不満があればボクに言うといい。マネージャーも我が部員と一緒だ。厳しく育てたい」
『いえ…。マネージャーの仕事に不満はありません。ただ』
「なんだ」
奥歯を噛み締めたあと、ここ数ヶ月の悩みを歯切れ悪く伝えた。
『…女がいると…集中出来ません』
瞬間、部室がしん、と静まり返った。すると、さっきのピリついた雰囲気から一転、泉田は涙目で堪えるように笑い始めた。
「ブワッハッ!…ああ、すまない。ウワッハッ!…おっと すまない。銅橋、真剣な顔で何を言うかと思えば」
確かにそうだ。恥ずかしい頼みだと言うことは一番自分が良く分かっている。
ただ、女は女でも ただの女じゃない。名前さんは誰が見ても……綺麗な人だ。そんな人が部活中ずっといると、そわそわして仕方がない。何故皆、普通にして居られるのか、逆に教えて欲しいものだ。
「だが、銅橋。集中出来ないと言っていたが、マネージャーが入ってからの数ヶ月。銅橋の練習や個人のタイムが落ちるような事は一度もなかった。逆に伸びているとボクは感じたが」
『それは。女を見てタイムが落ちたなんて思われないように、逆に意識が…。でも、タイムが伸びたとしても、精神的に集中出来ません…!』
「ふうむ」
腕を組んで考える泉田さんの両隣にいる 黒田さんと葦木場さんも口を開いた。
「バッシー、最近調子良さそうだなあ、って思ってたよ〜?タイム伸びてるなら良くない?凄いじゃん」
「そうだぞ銅橋。別に下着や水着でその辺 歩いてる訳じゃねぇし。服着てりゃ特に 意識する必要ねえだろ」
「…うわあ〜。ユキちゃん貞操観念やばそお〜」
「コ、コホン。ユキ…それはボクもどうかと…」
「……厶。とにかく、銅橋。タイムは伸びてんだ、それはここに居る俺らが認めてる。な、塔一郎」
分が悪くなった黒田さんが、泉田さんに話を戻した。
「ああ。現にマネージャーがまとめた記録が、そう証明している」
『…はい』
「もちろん今後、タイムが伸び悩んだり、精神的に安定しないようであれば、その時また話そう。これで良いか?」
『……分かりました。時間取って頂きありがとうございました』
ダメ元だったが、やはり意を決っした頼みはタイムを理由に取り下げられた。頭を下げ部室を後にしようとした時。
葦木場さんが まるで名案思いついたかのように「あ!」と声を上げた。何故か悪い予感がする。
「良いこと思いついた!」
『何ですか…』
「意識しちゃうなら、いっその事 仲良くなっちゃえばいいんじゃない?」
『はい!?』
予感は的中した。正直、葦木場さんの“良いこと思いついた”は全然良いことではない。
泉田さんも黒田さんも、口をポカンと開け、葦木場さんを見つめていた。そうだ、この意味の分からない提案を二人なら きっと止めてくれる。そう思った矢先。
「おお!そりゃあ、ナイスアイデアじゃねえか!」
「ああ!ボクも賛成だよ!」
――終わった。
俺は、ワイワイと盛り上がり始めた三人に一礼し、部室を後にした。肩を下すと、深いため息が出る。泉田さんに相談したのが間違いだったのか、両脇に葦木場さんと黒田さんが居たのが そもそもの問題だったか…もう何が何だか分からない。
もう考えるのをよそう、どうせタイムは伸びている。女を意識して実力が落ちる俺じゃない。そう自分に言い聞かせ、練習で汗をかいたユニフォームを着替えに更衣室へ向かい、ドアを開けた。すると、ドアのすぐ先に誰か居たのか、開けた途端 人がぶつかる感触を覚える。
「きゃっ…!」
そこには小さな悲鳴を上げ、ドアに押されて よろめく名前さんがいた。
『…!名前さん!?』
彼女は俺が勢いよく開いたドアに押され、体勢を崩してしまい、重心が後ろに傾いていた。
――このままじゃ、頭打っちまう。
『ッ!…名前さん、危ねえ!』
俺は咄嗟に手を伸ばし、転びそうになる彼女の頭を抱えた。間一髪、名前さんが床に頭を打つこ事は免れたが。
『…クッソ…!』
瞬間、俺自身がバランスを崩してしまった。反射的に、彼女の頭と身体を抱き寄せたまま、俺が下敷きになるよう身体を回転させ床に背中から倒れ込んだ。
「やだっ、ど…銅橋くん、銅橋くん!ねえ、大丈夫!?」
『…ッ…痛ってえ…。はい俺は全然、この通り頑丈なんで。名前さんは怪我ないですか?』
「うん…。銅橋くんが下になって支えてくれたから どこも何ともない」
『…良かった』
安堵する俺に、名前さんはわたわたと慌て始める。
「全然良くない…!私が選手に怪我でもさせたらマネージャー失格よ…。ねえ、本当にどこも怪我してない?ほら、ちょっと見せて」
『……!ちょっ…。あの、本当に俺は何ともないですから!…というか、何で名前さんが更衣室に…』
心配してくれるのは有り難いが、ふいに身体を触ろうとする名前さんを止めようと、必死に話題を反らした。
「…え…ああ、うん。これをね、皆のロッカーにこっそり入れようと思ってて」
『…? お守りですか』
名前さんは紙袋から、部員数あるお守りを取り出した。
「ん。この前、箱根神社に行った時買ったんだけど、凄くご利益あるみたいで。皆にもインターハイに向けて、私からの願掛け」
『へえ。』
「ちなみに、勝運守護とかのお守りなの。ね、インターハイにぴったりでしょう」
名前さんも、やはり部員の一員だ。箱根学園がインターハイで今年は総合優勝出来るよう、いつも俺たちを見てくれている。
「あっ。皆に内緒で、びっくりさせようと思ってたから、この事は明日の部活まで秘密にしててね」
『分かりました』
ふと、名前さんの先程の言葉が気になり、ふと聞いてみる。
『そういえば、名前さん。さっき、そのお守り ご利益あるって言ってましたけど』
「え、そうよ?」
『名前さん、自分の分も買ったんすよね。やっぱ、俺らのインターハイ祈願ですか』
その問いに、彼女は一瞬固まったあと 少し顔を赤らめて小さく呟いた。
「えっと…。それも もちろんあるんだけど……心願成就かな…。…ちなみにたった今 叶っちゃったんだけど」
『…?…』
頭にハテナを浮かべる俺に、名前さんは遠慮がちに続ける。
「…銅橋くんに…近づけたらいいなって……」
『…え…ええッ…!?』
「…まあ、近づいたのはこんな形で物理的にだけど…。なんだか ずっと、銅橋くん、私の事避けてたような気がして…少しでも近づいて仲良くなりたいなって…」
『さ、避けてないです!』
反射的に否定したが、それ以上言葉が出ない。顔が熱くなっていくのが分かる。絶対赤面しているに違いない。
「でも良かった」
『?』
「このお守り、本当に効くみたいで。きっと……きっとインターハイも優勝出来るね」
俺は、はにかむ名前さんの手から 一つお守りを手にする。
「銅橋くん?」
『これ、他の奴らに渡るのは明日なんですよね』
「うん。こっそりロッカーに入れて、びっくりさせるのが目的だから」
『なら…。俺だけ、今日貰ってもいいですか』
「え?もちろん、いいけど」
不思議そうに首を傾げたあと、名前さんは頷いた。何故か、このお守りを誰よりも先に手に入れたいような…。言葉では言い表せない 感情が俺をそうさせた。
すると、ふわり。名前さんの柔らかい手が俺のゴツゴツした手を包み込む。
「銅橋くん。インターハイ、頑張ってね。応援してる」
『…はい』
「あと、もう避けないでね」
『だから避けてないっす』
何故だろう。泉田さんたちに相談した時とは嘘のように、心が落ち着いている。
彼女の温かい手の ぬくもりなのか、はたまたこのお守りの力なのかは分からない。
だが今は、この小さく柔らかい手が触れてる瞬間を もう少しだけ、感じていたいと思った。
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――その頃、更衣室のドアのすぐ外では。
「わああ〜。すっかり仲良しさんになってて凄いね!ね!」
「少し声を抑えるんだ。聞こえてしまったら雰囲気が台無しだ」
「ったく。隅に置けねえなあ、銅橋のヤツ」