弱虫ペダル
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「え、オッサン、部活休みなんスか」
部室内でユニフォームに袖を通し、早々支度の整った鳴子が、大きい瞳をさらに見開いては。同じく着替えを済ませ、サングラスを乗せた金城へ驚きの声を向けるのであった。
「いや、厳密には遅刻だ。マネージャーが授業の体育で軽い怪我をしてな。家へ送り届けてから来るらしい」
「へえ、あのオッサン、ああ見えて 案外優しい所あるんやなあ」
ふと、暫くの関心のあと。鳴子はその首を捻る。
「…てことは、名前さん。足の捻挫とか、打撲でっか」
金城が“送り届ける”と言った手前、この場合ならそう捉えるのが自然だろう。酷い怪我なら既、早退し病院へ駆け込んでいるはず。それに、足以外の軽い怪我となれば わざわざ付き添いは必要としない事だ。鳴子の極々当たり前の問いに、金城はサングラスから覗く瞳を丸くした後。どうした事か、それはおかしそうに吹き出すのだった。
「………それもそうだな、付き添いなんて。ただの口実、か」
「何の話しスか」
「すまない、こっちの話しだ。さて、走りに行くぞ」
「ちょ、話し途中なんスけど…!」
苦笑を混じえた息と共、金城はサングラスのブリッジを上げ、晴れた空の下へその身を預けて行く。
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朝晩に寒暖差があるものの、少しずつだが日中帯の気温が上がり。幾分、夕刻の陽も伸び始めている気がした。部活でも、真夏程ではないが 走れば相応に汗をかくし、冷たいドリンクも胃に染みる事なく大口で飲める、そんな気温暖かな放課後。特に運動している訳じゃない、それにも関わらず後ろへ確かな熱が籠もるのは。
「迅、下ろしてよ、迅ってば」
そう、彼女をこの背に乗せているからに他ならない。――彼女が授業の体育で怪我をした事実は、同じクラスである金城から耳にした。何でも、ドッジボールの対抗戦が原因だそう。放課後の部活へも、今日は大事を取って休むとの事から 始めは足の捻挫か打撲かと半ば食い入るよう金城に問い詰めたのだが。
『馬鹿、ジタバタすんな、落っこちるじゃねえか』
「別にそれでいいってば、大体、私が怪我した所、真護から聞いたんじゃないの」
『怪我に変わりはねえだろ』
「あるわよ、ただの突き指なんだから」
金城から、体育のドッジボールで彼女が突き指をした事を聞いた時は、安堵で胸を撫で下ろした程。これから始まる熱い、熱い、夏のインターハイ、マネージャーの存在は必要不可欠。惜しくも二年の手嶋と青八木は、今年の選抜には欠けてしまったが。しかし彼等と共、後方支援へ回って貰う事で、十分安心してペダルを回せる物なのだ。最中、たかだか軽い突き指、自身の足で歩けるし、何なら走る事さえ容易。そんな彼女を背中に乗せて歩いているのだ、細い指先で肩を
「部活だって、抜ける訳に行かないでしょう。鳴子くんとのマンツー、真護に押し付けるなんて」
『お前を送ったらすぐ部活に戻るって。金城からもOK貰ってるしよ、それにあいつなら、一年二人の面倒くらい難なく熟すだろ』
「……全くもう、一度決めたら聞かないんだから。インターハイと、私、どっちが大事かなんて子供でも解るのに」
耳の後ろで感じる細い溜め息が、背中の熱を上昇させる気がした。そりゃ、どちらが大事だなんて子供でも解る。入部から三年、マネージャーとして苦楽を共に過ごして来たのだ。手に汗握り過ごした自転車との時間と比例して、彼女の大事さが解らない程、子供でもなければ馬鹿でもない。しかしまあ、そんな事、三年経った今になっても伝えられずに居るのが現状だが。
『いいから黙って背負われてろ』
「はいはい」
『はい、は一回だ』
「はあい」
『何か腹立つぞ、それ』
他愛もない会話、過ぎゆく時間。インターハイが終われば引退し、束の間の休息を以て受験勉強に追われる毎日になるだろう。そうなればきっと、彼女と会える時間なんて 今より殆ど減るに違いないのだ。部活があるからこそ同じ空間に居れるが、クラスも違えば、家だって真反対。無理矢理にでも口実を作らねば、彼女との接点すら無くなってしまうのでは、と少し怖さを覚える程に。
『……終わりたくねえな、インターハイ』
ばらばらになんて成りたくない。出来るなら、毎日部室へ足を運んで、彼女と会話をして、俺の走りをその綺麗な瞳に留めて置いて欲しい。そうして叶うならば、この気持ちを伝え、何か途切れない確信みたいな物が欲しいのである。ふと溢した小さな独り言は、途端に吹いた風へ流れて何処か遠くへ行ってしまった。そう思った矢先、向きを変えた風がこちらへ戻ってくるよう、それは彼女の耳へ届いたらしい。
「インターハイは終わっちゃうけど、私ね、絶対忘れないよ」
先まで抗い、この肩を叩いていた細い指先が。首元へ回っては彼女の匂いを鼻に誘う。近付かなければ解らない、微か、良い匂いがした。
「迅の走り、絶対、忘れない」
『……』
過ごして来た時間は同じで。俺が自転車に費やした三年間と同様に。彼女もまた、俺の走りをその目に納めて来てくれたのだ。格好悪く
『名前、俺』
「ん」
『お前の記憶に残る、背中になれると思うか。………漢として』
きっと、ずっと俺を見て来た彼女なら、気持ちになんてとっくに気付いているはずなのだ。それでも、いざ言葉にするには、まだまだ漢気が足りないようで。不甲斐ないながらも、これが精一杯である。激しな運動をしている訳でもないのに、心臓の躍動が、早まって、早まって、
「ねえ、迅、少し寄りたい所があるんだけど」
『…あ、…ああ、いいぜ、薬局か』
駄目か。受け流された精一杯の告白は、今度こそ風に吹かれ、遠い遠い知らない場所へと飛んでいく。――瞬間、首筋にさらりとした感触を覚えるのだ。それは、彼女が柔らかに落とした額である。
『名前、どうした、具合良くねえのか』
「ううん、寄りたい所って言うより………何か、寄り道、したいかも」
『……』
首筋に触れる彼女の肌が熱いのは、ただの自惚れだろうか。それでも、先の声が届いて居た、今はそれだけで十分、十分だ。
『じゃあ、ちっとばかし、………その、ゆっくり、歩くわ』
「………ん」
『…………し、しりとりでもするか』
「亀」
『え、もう始まってんの』
彼女の笑い声が背中に響く。どうしてだろう、見えないにも関わらず。どんな表情で笑ってるかなんて容易に想像出来てしまう。