弱虫ペダル
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――…まただ。また出来なかった。指先で触れる距離のはずなのに。また。
最近は夕刻の陽も暖かく、部活中にかく汗も日に日に不快に感じる程。ユニフォームのジッパーを
「何やカブ、そない着込んで。
『鳴子さん、お疲れす』
過酷だったレース形式の周回を終えた後、先の自身同様 胸元を全開にさせた鳴子がはたはたとユニフォームを仰いで居る。この人は腹が痛くなる事も、風邪を引くなんて事もないんだろうなと思ったが。声にすれば何となく面倒になるような気がして、唇から出掛けた言葉は喉奥に押し込む事とした。代わり、俺は前述の問いに対し 正直に応えて見せると、鳴子は「真面目か! 小野田くんが憑依でもしたんか」と、唖然と瞳を大きくさせる物だから、首を横に振り否定する。
「まあ、風邪引いたら出来ひん
そうっすよ、そう大きく頷こうとした矢先。鳴子が続けた声は、先に羽織ったジャージと 胸元まで上げたユニフォームを身体から離してしまいたい程。火照りを誘う物で。
「キス出来んやん、名前ちゃんと」
『――…』
熱い、熱い。肌がひりつくように熱い。レースを思わせるよう周回でかいた汗より、何杯も緊張を煽る汗。落ち着け、落ち着け。何度もまじないのよう唱えるも、脳より送る命令が 跳ね上がる心臓へ届く事はなく。“キス”そんな短い文字で
「嘘やろ、まだお手々繋ぎで止まっとるんか」
『大きな声で言わないで下さいよ、恥ずかしいな』
「デカくもなるわ。付き合って半年以上経っとるやないかい、健全な男子なら えっちの一つや二つしとるで」
その言い草は、俺の身体が不全と言う
『俺だってしたいですよ。でも、タイミングとか…ふ、雰囲気とかってあるじゃないですか』
「アホ! 漢なら、ぶっちゅーと行ったれ、まどろっこしい」
『うわ、絶対 彼女出来ない人の発言だ』
「何やて、こら」
次から次へと、耳を塞ぎたくなる喧騒の声に、こちらも右から左へ受け流す。しかし、鳴子の言葉は
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『名前さん、待たせちまって すいません』
「一差くん、お疲れ様」
陽が落ちると、まだ吐く息に白色が乗る。校門で待たせていた彼女に駆け寄ると、何やら通学鞄を漁っているようだった。
『忘れ物すか』
「そうなの。リップクリームなんだけど、教室かな……机の上に置いて来ちゃったかもしれなくて」
一緒に取りに行こうと促したが、家へ帰ればもう何本か、別の種類で予備があるらしい。そんなに沢山あってどうするのだと言いたいが、きっと、女子には女子の雑貨ルールみたいな物があるのだろう。そうして、いつも通り 彼女を家へと送ろうと校門から一歩踏み出した時だ。ふと、アウターのポケットの中に ある存在を思い出す。
『そうだ、これ。俺ので良ければ使ってください』
「…え、」
使い所はそこまでじゃないにしろ、冷たな空気に皮膚が晒されると たまに乾燥で唇が切れるのだ。夏は特に気にも止めなかったが、秋冬は一応ポケットへしまっている。一度切れると、寒空に落ちる風が治りを妨げてならない。もう懲り懲りと、以前切れた際に買って置いた物が、こんな所で役立つとは。
『メンソレータムみたいな奴なんで、すうすうしますけど。無いよりマシじゃないっすか』
何故だろう、彼女が硬直している。細く冷えた風が吹く所為か、頬も次第に紅潮していくではないか。彼女へ向け 差し出した掌の上には、自身の使ったリップクリームが一つ。途端、我に返った俺は 自分が何を言っているかを理解した。眼の前の彼女同様、風の所為ではない この頬を紅く染め。そうして次の言葉を繋ごうとした時には、既、彼女の唇が控え目に動き出していた。
「――…間接キスじゃ、嫌かな」
心臓が、何かで貫かれたような気がした。そうだろう、タイミングや雰囲気だって この半年間数える程多くあったのに。自身に踏ん切りが付かない所為で、彼女の口からそんな事を言わせてしまうとは。情けない。
「するなら、最初は…ちゃんと、一差くんのがいい」
強い風が吹いて居たなら、聞き逃してしまうような頼りない声。しかし、その声の中には 今までの俺がどうしても伝え切れなかった想いの全てが込められている。俺は差し出した掌に在るリップクリームをポケットへ押し込んで、代わり。風に晒され
『名前さんから、言わせちゃって、すいません』
「ううん、ただ……私にそう言う魅力が無いのかなって。ちょっと不安になる事もあったから」
『……』
「伝えるまで、時間掛かっちゃった……」
まるでレースの時のよう、心臓が辛く、苦しい。こんな風に不安にさせるなら、タイミングや雰囲気問わず 欲望のまま想いを充てて居れば良かったと今更ながらに後悔してしまう。それでも、俺だって漢なのだ。彼女の瞳に悲しさを映すのは、今日で最後にしよう。
『沢山、待たせてすいません。俺、名前さんの事、凄え大事にしたいって。そんな事考えてたら、何か、遠回りになっちゃって』
「一差くん、今日、謝ってばっかり」
『すいません』
苦笑で応えると、彼女も連れ、笑みを覗かせてくれる。冷たく、乾燥した空気が身を
「目、閉じちゃうの勿体ないな」
『何でですか』
「どういう顔でキスしてくれるんだろうって、思ってたから」
『そんなんいつでも見せてあげますから、最初くらいは 目閉じてくださいよ』
彼女は笑みを溢したあと、その長い睫毛を静かに下ろす。口付けの際の顔なんて、どうやっても見られたくはない。きっと、余裕の欠片もない程、赤面しているに違いないのだから。これからだって、何かと理由を付け、その瞳は
『――…お待たせ』
指先の熱が、唇に昇った。