警察編 ①
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萩原にもらったチケットは、幸いにも私の公休日に重なっていて、しっかりと時間を掛けて準備をすることができた。こればかりは萩原に譲ってくれたという、どこかの誰かに感謝しなければ。動きやすいほうが良いと思ったので、長袖のスウェットにハイウェストのパンツ、スニーカーはおろしたてだ。いつもより少し濃い色のアイシャドウが浮いていないか心配で、ちょいちょいと携帯の画面で前髪を直しながら、手鏡を覗いていた。
先日、駅前の雑貨店で「前のお詫びに」と萩原が買ってくれた手鏡だ。地元の、誰が知っているのだか分からないゆるキャラが描かれたミラーで、これが案外気に入っていた。
諸伏が来たのは、待ち合わせの時間から十分過ぎた頃だった。今までは彼が先に待ち合わせ場所にいることが殆どだったので、珍しいと思っていたら「逆方向に乗ってた」、と諸伏は肩を落として告げた。気づいた瞬間、きっと驚いていただろうなあ、とイメージ像に勝手になごみながら、私は彼の袖を引いた。
「にしても、すごいな。ここ、人気なんだろ?」
「萩原が人に貰ったチケット譲ってもらってさ。オカルト苦手なんだって」
「へえ、意外。恐いものなんてなさそうなイメージだった」
諸伏は、恐らく萩原のことを考えながらクク、と笑う。確かに、萩原と松田は物怖じしないタイプの人間で、特に上官の叱責を物ともしない度胸の持ち主だ。諸伏の言うことも分かる気がする。
「確かに、女の子が抱き着いてくれてラッキー、くらい思ってそうだよね」
「はは、分かるよ。あ、受付はあっちか?」
今回行くお化け屋敷はイベントブースの一画なので、施設内にある看板を頼りに矢印を辿っていく。古びたトタンに、赤いスプレーで書きなぐられたように『こっちだよ』と記されている。すごい、雰囲気あるなあ、と胸がドキドキするのを感じながら、スタッフにチケットを提示すると、待機列に案内された。
待機列の時点で舞台である小学校をイメージしたような小物や、先に入った客たちがキャアキャアとざわめく声が聞こえてくる。「先に読んでおいてくださいね」と渡されたパネルには、今回入る学校の設定が言い伝えとして説明されていた。
「なるほど、俺たちは忘れ物を取って帰ってくるってことか」
「うわ~、絶対それ取った時になんかあるでしょ。どっちが取る?」
「ふ、驚くところが見たいから高槻さんで」
そう笑われたのは少し悔しかった。確かに、諸伏は以前ホラーハウスに入った時も殆ど動じた様子はなかったから。こんなおどろおどろしいものが平気で、美しい星空が怖いだなんて、アンバランスだ。
そうは思うけど、どこか楽しそうに口角を持ち上げた諸伏の横顔を見ていたら、それすら可愛く思えてくる。諸伏が少しでも、気にせずに楽しんでくれたら良い。まだ彼の心に立ち入ることはできないけれど、一時的に楽しむことくらいなら。
「ぜってー諸伏くんに取らせてやる……」
「えぇ……? 良いけど、良いの?」
まるで挑発するように――否、挑発しているのだ! にやっと猫目が悪戯に細められる。そう言われたら、受けないわけにはいかないじゃないか。「良いよ、私がやるから」と、私たちは空いた列を詰めていく。
待機列が中ほどに行くと、一つのムービーがテレビ画面で流れていた。過去にあった学校であった事故の話、忘れ物を取りに行ったまま帰ってこなかった〝さっちゃん〟の話。そして、その後学校に忘れ物を取りに行くと現れるという謎の少女の影。『私』は忘れた宿題を教室に取りに行くことにした、というまでが一つのあらすじだ。
室内はすでに暗く光源はテレビといくつか道なりに灯された電球だけで、醸し出る雰囲気に並んでいた前後の客もざわめいていた。
「……ね、諸伏くん」
「ん? どうかした」
周囲のざわめきから声を聞き逃さないように、その薄っぺらな耳たぶがこちらに近寄る。私も少し顔を寄せて、彼の耳元に向かって話しかけた。息がかかると、少し擽ったそうに肩が揺れたのが、私の鼓動を僅かに揺らす。
私は近寄った彼の腕を取って、前へと進み出た。以前のホラーハウスでの不意打ちの仕返しだ。ギシリと軋む演出の床を踏みつけていくと、諸伏が「ちょっと」と焦ったような声を出した。
「びっくり、した?」
抱えた腕から顔を出すように笑うと、諸伏は砕けたようにフハっと笑った。握った体温は温くて、ちょっとだけ乾燥していた。
◇
教室の廊下を模した通路を進む。道は一本道で分かりやすくできていたが、少し湿っぽい空気と時折聞こえる足音や水音が、やたらと不気味だ。海外のホラーとはまた異なった、驚かせるだけではない演出が魅力的だ。
狭い道を進んでいくと、何かが首の後ろあたりをすっと柔く撫でた気がした。バっと振り返ると、どうやら天井から垂れ下がった擦り切れたカーテンのようだ。
「造り込みすご……。ほんとに廃校舎みたい」
「だな。昔、よく潜り込んだよ……」
「え、マジもんの廃校舎に!?」
「しー。……言っとくけど、ゼロも一緒だったからな」
言い訳のように横目でこちらを見たが、私はその意外さに暫く「へぇ~……」と相槌を打ってしまった。諸伏少年と降谷少年は、予想以上に悪ガキだったようだ。悪ガキコンビは萩原と松田だけだと思っていたので、なんだか面白い。彼らも、大人の目を盗んでやらかすようなことがあったのか。
「ちなみに、どうして廃校なんて行ったの?」
ダミーの蜘蛛の巣を潜りながら尋ねると、彼は頬を掻いて、床を踏みしめながら答えた。
「……あの頃、その廃校舎で噂があったんだ。夜になると、誰もいない廃校に呪いの人影が――って。俺とゼロは、大人から聞きかじった情報で『きっとオカルト現場に見せかけて、良くないやり取りがされてるんだ』って意気込んじゃってさ」
――どこかで聞いたことがあるようなシチュエーションだった。彼があんなにも早く現場に訪れたのは、その経験があったからだろうか。
「でも、本当だったんでしょ」
「……ああ、まさにドラッグのたまり場になってたよ。写真撮って交番に持って行って……、警官たちにすっごく怒られた。兄さんにも」
彼がアハハ、と笑って、懐かしむように言う。近頃の彼よりもよほどスッキリしたような笑顔だった。夜目が慣れてきて、その猫のようなくしゃっとした笑顔がよく見える。
「すごいな……そのころから、もう正義の味方だったんだ」
私は――俺は、そんなことを考えたこともなかったから。きっとドラッグのことに気づいたとして、それを誰かに伝えることなどなかっただろう。だって、その意味が分からなかったのだから。
「正義の味方……?」
「小さな正義の味方ね、見てみたかったけど」
きっと可愛かっただろうなあ、と笑いながら伝えたら、諸伏も少し擽ったように笑った。二人の談笑の狭間に、もう一人の笑い声が聞こえたと気づいたのは、その三秒後である。
先に振り向いたのは諸伏のほうだった。私もつられて振り向いて、不意打ちの恐ろしい形相に、ヒっと息を呑みこむ。本当はその先の教室に寄って、忘れ物を取らなければならなかったのだけど、二人して動揺してしまってそのまま廊下を潜り抜けてしまった。
明るい廊下に出て、出口にいるスタッフに『脱出失敗 帰り道に気を付けて……』という不穏なカードを貰う。そこでようやく、そういえば教室が横にあったなあということを思い出して、諸伏を見上げる。
彼もこちらを見下げて、可笑しそうに笑い声を漏らした。「これ、お化け屋敷来た意味なかったよね」なんて正直に言ってしまうと、「でも楽しかったよ」、と諸伏はほほ笑んだ。
人生で一番最短コースのお化け屋敷を僅かに振り返ると、不気味な少女が窓から手を振っている。私それに驚いて、「ギャっ」、なんて色気のない声を上げていた。
先日、駅前の雑貨店で「前のお詫びに」と萩原が買ってくれた手鏡だ。地元の、誰が知っているのだか分からないゆるキャラが描かれたミラーで、これが案外気に入っていた。
諸伏が来たのは、待ち合わせの時間から十分過ぎた頃だった。今までは彼が先に待ち合わせ場所にいることが殆どだったので、珍しいと思っていたら「逆方向に乗ってた」、と諸伏は肩を落として告げた。気づいた瞬間、きっと驚いていただろうなあ、とイメージ像に勝手になごみながら、私は彼の袖を引いた。
「にしても、すごいな。ここ、人気なんだろ?」
「萩原が人に貰ったチケット譲ってもらってさ。オカルト苦手なんだって」
「へえ、意外。恐いものなんてなさそうなイメージだった」
諸伏は、恐らく萩原のことを考えながらクク、と笑う。確かに、萩原と松田は物怖じしないタイプの人間で、特に上官の叱責を物ともしない度胸の持ち主だ。諸伏の言うことも分かる気がする。
「確かに、女の子が抱き着いてくれてラッキー、くらい思ってそうだよね」
「はは、分かるよ。あ、受付はあっちか?」
今回行くお化け屋敷はイベントブースの一画なので、施設内にある看板を頼りに矢印を辿っていく。古びたトタンに、赤いスプレーで書きなぐられたように『こっちだよ』と記されている。すごい、雰囲気あるなあ、と胸がドキドキするのを感じながら、スタッフにチケットを提示すると、待機列に案内された。
待機列の時点で舞台である小学校をイメージしたような小物や、先に入った客たちがキャアキャアとざわめく声が聞こえてくる。「先に読んでおいてくださいね」と渡されたパネルには、今回入る学校の設定が言い伝えとして説明されていた。
「なるほど、俺たちは忘れ物を取って帰ってくるってことか」
「うわ~、絶対それ取った時になんかあるでしょ。どっちが取る?」
「ふ、驚くところが見たいから高槻さんで」
そう笑われたのは少し悔しかった。確かに、諸伏は以前ホラーハウスに入った時も殆ど動じた様子はなかったから。こんなおどろおどろしいものが平気で、美しい星空が怖いだなんて、アンバランスだ。
そうは思うけど、どこか楽しそうに口角を持ち上げた諸伏の横顔を見ていたら、それすら可愛く思えてくる。諸伏が少しでも、気にせずに楽しんでくれたら良い。まだ彼の心に立ち入ることはできないけれど、一時的に楽しむことくらいなら。
「ぜってー諸伏くんに取らせてやる……」
「えぇ……? 良いけど、良いの?」
まるで挑発するように――否、挑発しているのだ! にやっと猫目が悪戯に細められる。そう言われたら、受けないわけにはいかないじゃないか。「良いよ、私がやるから」と、私たちは空いた列を詰めていく。
待機列が中ほどに行くと、一つのムービーがテレビ画面で流れていた。過去にあった学校であった事故の話、忘れ物を取りに行ったまま帰ってこなかった〝さっちゃん〟の話。そして、その後学校に忘れ物を取りに行くと現れるという謎の少女の影。『私』は忘れた宿題を教室に取りに行くことにした、というまでが一つのあらすじだ。
室内はすでに暗く光源はテレビといくつか道なりに灯された電球だけで、醸し出る雰囲気に並んでいた前後の客もざわめいていた。
「……ね、諸伏くん」
「ん? どうかした」
周囲のざわめきから声を聞き逃さないように、その薄っぺらな耳たぶがこちらに近寄る。私も少し顔を寄せて、彼の耳元に向かって話しかけた。息がかかると、少し擽ったそうに肩が揺れたのが、私の鼓動を僅かに揺らす。
私は近寄った彼の腕を取って、前へと進み出た。以前のホラーハウスでの不意打ちの仕返しだ。ギシリと軋む演出の床を踏みつけていくと、諸伏が「ちょっと」と焦ったような声を出した。
「びっくり、した?」
抱えた腕から顔を出すように笑うと、諸伏は砕けたようにフハっと笑った。握った体温は温くて、ちょっとだけ乾燥していた。
◇
教室の廊下を模した通路を進む。道は一本道で分かりやすくできていたが、少し湿っぽい空気と時折聞こえる足音や水音が、やたらと不気味だ。海外のホラーとはまた異なった、驚かせるだけではない演出が魅力的だ。
狭い道を進んでいくと、何かが首の後ろあたりをすっと柔く撫でた気がした。バっと振り返ると、どうやら天井から垂れ下がった擦り切れたカーテンのようだ。
「造り込みすご……。ほんとに廃校舎みたい」
「だな。昔、よく潜り込んだよ……」
「え、マジもんの廃校舎に!?」
「しー。……言っとくけど、ゼロも一緒だったからな」
言い訳のように横目でこちらを見たが、私はその意外さに暫く「へぇ~……」と相槌を打ってしまった。諸伏少年と降谷少年は、予想以上に悪ガキだったようだ。悪ガキコンビは萩原と松田だけだと思っていたので、なんだか面白い。彼らも、大人の目を盗んでやらかすようなことがあったのか。
「ちなみに、どうして廃校なんて行ったの?」
ダミーの蜘蛛の巣を潜りながら尋ねると、彼は頬を掻いて、床を踏みしめながら答えた。
「……あの頃、その廃校舎で噂があったんだ。夜になると、誰もいない廃校に呪いの人影が――って。俺とゼロは、大人から聞きかじった情報で『きっとオカルト現場に見せかけて、良くないやり取りがされてるんだ』って意気込んじゃってさ」
――どこかで聞いたことがあるようなシチュエーションだった。彼があんなにも早く現場に訪れたのは、その経験があったからだろうか。
「でも、本当だったんでしょ」
「……ああ、まさにドラッグのたまり場になってたよ。写真撮って交番に持って行って……、警官たちにすっごく怒られた。兄さんにも」
彼がアハハ、と笑って、懐かしむように言う。近頃の彼よりもよほどスッキリしたような笑顔だった。夜目が慣れてきて、その猫のようなくしゃっとした笑顔がよく見える。
「すごいな……そのころから、もう正義の味方だったんだ」
私は――俺は、そんなことを考えたこともなかったから。きっとドラッグのことに気づいたとして、それを誰かに伝えることなどなかっただろう。だって、その意味が分からなかったのだから。
「正義の味方……?」
「小さな正義の味方ね、見てみたかったけど」
きっと可愛かっただろうなあ、と笑いながら伝えたら、諸伏も少し擽ったように笑った。二人の談笑の狭間に、もう一人の笑い声が聞こえたと気づいたのは、その三秒後である。
先に振り向いたのは諸伏のほうだった。私もつられて振り向いて、不意打ちの恐ろしい形相に、ヒっと息を呑みこむ。本当はその先の教室に寄って、忘れ物を取らなければならなかったのだけど、二人して動揺してしまってそのまま廊下を潜り抜けてしまった。
明るい廊下に出て、出口にいるスタッフに『脱出失敗 帰り道に気を付けて……』という不穏なカードを貰う。そこでようやく、そういえば教室が横にあったなあということを思い出して、諸伏を見上げる。
彼もこちらを見下げて、可笑しそうに笑い声を漏らした。「これ、お化け屋敷来た意味なかったよね」なんて正直に言ってしまうと、「でも楽しかったよ」、と諸伏はほほ笑んだ。
人生で一番最短コースのお化け屋敷を僅かに振り返ると、不気味な少女が窓から手を振っている。私それに驚いて、「ギャっ」、なんて色気のない声を上げていた。