学校編
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今週末は、家に帰る予定はない。家のなかの居心地が良すぎて、帰ってくる足取りの重さに気づいてしまったからだった。ちょうど調べたいこともあったので、外泊届は出さずにおいた。女子寮はそれなりに外泊者が多く、週末に皆を見送ると少し物寂しい空気が漂っている。
適当に朝食をとると、資料室へ足を運んだ。調べたかったのは機動隊についてだ。結局萩原と松田には聞かずじまいのまま週末になってしまった。彼らは実家のほうに帰ったようなので、とりあえず自分で調べられる範囲は調べてみることにする。
大方の知識はあるが、それでも調べないよりはマシだろう。最近の資料や、OBの手記に目を通していく。機動隊といえば災害やデモの警備やレスキューのイメージが強い。恐らく、今のトレーニングでは事足りないくらいではないだろうか。
もとから配属に興味があったのは、交通機動隊のほうだ。単に自分が交通事故で死んだというのもある。もう一つはひどく下心があるが、男のロマンだろう。白バイとか、乗ってみたいじゃないか。
まあ、今になって思うけれど、萩原や松田に聞いたところで決めるのは私だ。彼らのように手先が露骨に器用でもないし、体力だって劣るだろう。先日は露骨にメンタルが弱っていたからそういう風に思っただけだ。きっと。
「あの夢、見ると調子悪くなんだよなあ……」
はぁ、と学習用の机に肘を置いてため息をつく。
あの夢というのは、俗にいう俺だった時の――前世の夢だ。高校生活まで倒れるようなことは一度もなかったのだが、どうにも近頃多い。元々、記憶自体は私の体にあって、別に夢を見て徐々に思い出したわけじゃあない。もちろん、細かいところは忘れていることも多いが、それは今の体の記憶も同じだ。
おかげで業後にみっちりとしごかれたのは良いが、この先続くようでは困る。特に機動隊など――いや、それ以外の警察業務でも難しいだろう。どの配属先も多忙なはずだ、荷物にはなりたくない。
「朝ごはん、ちゃんと食べた?」
「ぎゃっ、あれ、いつからいた!?」
「声は掛けたよ。何か考え事してるみたいだったから」
目の前で、私のポーズを真似るように肘をついた諸伏は、引っ繰り返りそうになる私の椅子の脚を踏んづけた。長い脚だなあ、なんだこれ。私は恥ずかしく少し椅子を引いて、制服姿の諸伏に向かい合った。休日はほとんどの生徒がジャージを着ていることが多いので、珍しいと思う。
「顔色、まだあんまり良くないけど。ちゃんと食べた?」
「あ~……一応、ヨーグルトとカットフルーツ」
恐らくあまり〝ちゃんと〟とはいえない献立に、やや視線を逸らすと、諸伏はやっぱりと笑った。
「食べなよ。細いし、また倒れちゃいそうだ」
「あ~、まあ、そうだよね。食堂がないとどうしても」
休日は食堂が開かない。元よりカロリー優先で考えられた食事はお世辞にもすごく美味しいわけではないけど、飢えた胃袋には最適だというのに(ごはん、おかわり自由だし)。自分で用意する手間を考えると、つい簡単なものに偏ってしまうのだ。
苦笑いしていると、諸伏は持っていた袋から一つ菓子パンを差し出してくれた。以前迷惑を掛けたのは確かなので、ありがたく受け取る。ちなみに資料室は飲食禁止だ。ちら、と諸伏を見遣ると、彼は人差し指を立てて「これな」と笑った。
甘いクリームの塗られた菓子パンを頬張っていると、彼は私の持つ資料を覗きこむ。
「――機動隊? 高槻さん、配属希望だったりする?」
「うーん……希望っていうか、前、ちょっと声掛けられてね」
ピーナッツバターを飲み込んで答えると、諸伏は「え」と目を見開いた。そして、そのまま食いつくように尋ねる。
「それって、もしかして爆処だったりするか」
「ばくしょ……爆弾処理!? まさか、そんなわけないじゃん。この間私の指紋採取見てたくせに」
ついぞ二週間ほど前の指紋採取の講義で、私は見事に最低評価を取っていた。指紋の溝は埋め尽くされ、お前の指はどうなってんだと散々教官にどやされたものだ。そのあと、一応念入りに教え込まれて合格はしたものの、松田に散々笑われた。「お前が鑑識課になったら、その事件は迷宮入りだ」とまで酷評されたのだ。
諸伏はそうか、と思い出したように肩を下ろす。どうしてそんなことを――もしかしたら、萩原と松田がそうなのかもしれない。彼らは際立って手先が器用で洞察力があり、なんでも銃を解体して教官と揉めたとも聞いたことがある(その時、私はいなかったのだが)。
まあ、確定でないスカウトの話を本人たちがいない場で盛り上がるのも良くない。話題を変えたかったので、私はそのまま「諸伏くんは」と聞き返してみた。
「え、俺?」
「うん。配属とか、希望あるの」
「あー、特にないかもな。どこにいたって警察は警察だろ」
言うと、彼は私の手元にあった分厚い資料を一冊取って、ぱらぱらと捲り始めた。
「重装備訓練の時はやべー、おもって思うけど、こうやってみると格好いいよ」
高槻さんも、きっと似合うな――諸伏は、何気なく笑って言った。すごいと思った。世辞とかカモフラージュじゃなくて、彼は心から、純粋にそう思っているのだと感じる。まるでヒーローに憧れる少年のように、警察になりたいと思っているのだ。
「リアルに尊敬するわ……」
「ん、なんの話?」
きょとん、と猫のような目をこちらに向ける諸伏に、私は苦笑して首を振った。何せ、俺は人生を二度繰り返しようやくこの努力を身につけたが、彼らは違う。一度きりの人生で、警察を志すことが、難しく意志のいることだと分かる。正の道への入り口はこんなにも狭いが、悪の道への入り口はだだっ広く開いているのだから。
「諸伏くんって、警察官って感じするなと思っただけ」
「そうかな、俺なんかよりゼロのがよっぽど向いてると思うけど」
「いつの時代にいても警察官っぽいよね」
ただ、駐在さんにはいてほしくないけど。と冗談めかして言うと、諸伏が声をあげて笑う。諸伏はいつもはニコニコとしているけれど、案外大口を開けて笑う。しばらく笑うと、口元を押さえて「かもな」と言った。
「俺は高槻さんも向いてると思うよ」
「――……それ、本当に言ってる? 降谷くんの受け売りじゃなくて?」
未だに警察官、といわれると、少し恥ずかしい。やや顔を赤くしたら、諸伏がジーっと顔を見つめてきた。猫のような目。きゅっと吊り上がった目じり。それが細められて、「本当」――静かにほほ笑んだ。
「あんな風に、人のために怒ったり泣いたりできる人が、向いてないわけないだろ」
――諸伏が言うのは、萩原の前でぼろぼろと涙を零したことだろうか。自分でも、あれは予想外だった。怒ろうと思って、泣きたいと思って泣いたわけではない。気づいたら勝手に感情があふれ出て、ひたすらにその出口を探していた。
「……本当に?」
「本当だよ」
もう一度、同じことを聞いた。彼は寸分違わず同じトーンで返してくる。口元はにこやかに弧を描いていた。
嬉しい。
嬉しい、と感じる。それは、警察としての素質を褒められたからか。出所の分からない嬉しさだった。ぎゅ、また心臓が絞られるような動悸。
警察学校に入ってから、知らないことばかり起きる。二度目の人生は、波風立てず、周りから一歩抜きんでたつもりでいたのに、気づけば感情に振り回されているような気がした。
彼らに出会ってからだ。妙な気持ちだ。こんなに溢れそうになる感情を、十九年間ずっと味わうことはなかった。
「高槻さん、高槻さんってば」
覗きこまれた表情に、私の顔にぐぐぐっと血が集まるのが分かった。いやいやいや、そんなまさか! か、可愛いと、思ってはいたけれど。可愛いと――男相手に、可愛いってなんだ!?
「な、んでもない! 私、資料しまってくんね」
「あ、ああ……」
今すぐ丸っこい後頭部を引き寄せたい――思ったのは果たして、俺なのだろうか、私、なのだろうか。どちらにしたって、認めたくはないのだが。