学校編
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五月の半ば、荷物の詰まった大き目の鞄を背負って、バスに揺られていた。
暖かくなってきたこともあり、今日からは遭難者救出訓練が始まる。ここ一か月半、休日であろうと外出が許されなかった身としては、僅かでも敷地外に出れることが、ほんのり嬉しくもある。そう、隣の席のえくぼちゃん(えくぼが可愛いので、そう呼んでいる)に話すと、彼女は丸い目つきを大きくさせて「信じられない」と答えた。
「百花ちゃんって、鈍いほうだったりするよね」
「そうかな……。まあ、達観主義なのかも」
「だって自分が倒れたあとも『そうなんだ~』って感じだったでしょ。私たちすっごい心配したんだから」
剣幕を鋭くさせて言うので、私はついエヘヘと笑ってしまった。もちろん、教官に私語を慎むよう頭を張られた。相変わらず、私にだけ異様に手が出る鬼である。
目的の山に到着し、バスから降りて――私は先ほどのエヘヘを後悔した。降ろされた場所は、そびえる山の麓だったのだから。――え? これ、登るの。この荷物を持って、登るの。
「隊列、組めぃ! 遅くなったらお前らのメシの時間が減るだけだぞ!」
見る限り、中々の山道である。しかも、言葉通り本当に麓なのだ。半ばとかじゃあない。まだ、機動隊の制服を着せられていないだけマシか――私は昨日持った約八キロの盾を思い出しながら、リュックサックを背負う。走らなければ距離は縮まらないのだから、仕方がない。
「鬼塚教場、始め!」
「はい!」
私はなかばヤケクソの声で答えると、険しい山道に繰り出した。
◇
いくら警察学校まで体力をつけていて、いくらここ最近筋トレや持久走を欠かしていないといっても、ゲボを吐きたいときは訪れるものだ。息苦しさを感じながら、ようやく与えられた休憩に、全員そろって崩れ落ちた。酸素が薄く、喉の奥がヒリヒリと痛かった。
登ったあとは、実技といってもほぼ講習に近かった。担架の作り方やけが人の運び方、山の中でのSOSを呼ぶ方法。こんなの山の下でもできるんじゃないかと思わずにはいられなかったが、実際に脱いだ上着で担架を作れると、少し感動した。
「おお~……」
「おい、頭は少し斜めにしろ。足が下だ」
教官に指摘され、少しだけ私が持つほうを上に傾ける。男が一人乗っても、案外運べるもので、先人の知恵とはすごいと思った。
山の日暮れは早く、全員の実技をしていると、案外早く授業は終わった。全員で飯ごうを始めると、なんだか林間学校に戻った気分だ。班のメンバーで分担してカレーを作ったが、料理自体には自信がないので、一人火の番をしていた。
横でパタパタと、気だるげに火を扇ぐ松田が、薪を足す私の姿を一瞥する。
「お前、火ぃやれんのかよ」
足を開いてどっかりと座り、もはやそれ扇いでいるだけでは――?という仕草。恐らく一番楽だという理由だけで選んだことが、一部始終を見ていなくても伺えた。
私も隣に腰掛けると、新聞紙をいれながら火かき棒で軽く突っつく。
「アウトドアは好きだから」
「確かに、インドアじゃねえわな」
「松田くんが言うと悪意感じんな~……」
けっと拗ねたように、火種を大きくしていく。薪に燃え移ったあたりで、私も団扇に持ち替えた。松田はくあ、と欠伸をしたが、その際に煙を吸い込んだのだろう。すぐゴホゴホと咳き込んで、そのあとアー、と親父のように声をあげる。
自業自得だとは思ったが、涙目になった子どものような目つきが少し可哀そうにも思えて、私は自分の水筒を差し出した。
「飲む?」
そう聞くと、松田は軽く頷き水筒を取っていく。ごくり、と喉を鳴らしてから、彼はこちらを向いた。
「そういうこと誰にでもすんの」
膝に頬杖をついて、松田は水筒を給水場のコンクリートに置く。何てことないって顔で飲んでたくせに、何を言っているのだかと思った。松田から、異性を見るような視線を感じたことはない。(あくまで松田が。萩原たちが絡んでくると、よく女扱いするが)
「別に、水筒くらい。やめた方が良い?」
「勘違いされっから止めとけ。損する」
「やっぱそうか~」
確かに、異性から勘違いされて得なことはない。普段の生活ならまだしも、今この学校生活においては。松田は指定ジャージの腕をまくって、軍手をはめた。
「お前、顔は可愛いしな」
などと、サラリと宣うあたり、やっぱり異性としては見ていないのだろう。私としても気楽で良かった。
「腕まくりなんてしてたら、どやされるよ」
「そりゃ、お前だけ。あんなに張ったおされたことねーもん」
ぐぬぬ、と歯がみしながら私も軍手をはめた。松田はククっと揶揄うように肩を揺らす。
確かに松田は態度が悪く授業中も居眠りをするし、この間私が倒れたときも教官と言い争っていたと聞く。傍若無人――というか。その割に教官が本気でどやせないのは、飄々とした性格のせいだろうか。
「そんなのずりぃ~……」
「口、わる」
堪えた笑いだったが、片方の口角だけが持ち上がるのが特徴的な笑い方だった。子どもっぽい目つきだったが、ニヤっと笑ったときに細められると年相応にも見える。
「なんか男っぽいんだよな。口調とか仕草とか」
「へ、そう?」
「今だって足開いて座ってんじゃん。男兄弟いた?」
女の、しかも年下の姉妹しかいなかったものの、確かにこの歳で足を開いて座るのはまずかったかもしれない。スカートを履いていた時はさすがに気を付けていたけれど、ここのところずっとパンツスタイルだったので、感覚が戻ってしまった。何より、学校に入ってから前世の夢を見ることが格段と増えたものだから。
「まあ、家の近い従兄弟が」
「へえ。そんなもんか」
「松田くんは……一人っ子っぽいね」
燃えてきた炎が熱くて、滲んだ汗を白いタオルで拭った。んー……、と籠ったような返事が返ってくる。松田の薪は手を掛けてなさそうなのに、なぜか私のものより安定していた。
「つか、それ止めろ。キッショい」
それって何だ。人には口悪いというわりに、きしょいとか、今時の女子高生でもなかなか言わなかった。はて、と首を傾げると、松田は苛立ったように「そ・れ」と言葉を区切ってきた。区切られてもたった二文字だ。
「松田くんって言葉はしょる癖あるの」
「だぁから、ソレだよ」
「は? それって……あ、松田くん」
ぽん、と軽く手を打つと、松田は「ようやく分かったか」と言いたげに軽く鼻を鳴らした。分かるか、そんなこと。
「じゃあ、陣平くん?」
少しかわい子ぶって聞いてみたら、彼は露骨に口元を歪ませる。数秒固まってから「ますますキショい」と手酷いコメントが降ってくる。我儘なやつだなあ~と他人事のように考えてから、再びじゃあ、と切り出した。
「陣平で」
人差し指をたてて、思いついたように言うと、松田は気だるそうにしていた瞳をようやく他の色に染めた。驚きが混じった色だ。ぎょっとして、それからジトーと呆れた表情に変わる。
「そこは、松田じぇねえのかよ……」
「決まってたなら最初から言えよ。面倒くさい彼女? お前」
「るせー。火ィ消えてんぞ」
ぱっと振り返ると、先ほどまで良い調子で燃えていた火が燻って、奥でパチパチと炭のように燃えるのみとなっていた。慌てて新しい新聞を放って火力を増す。
松田は呆れたようにしていたが、正直、松田、陣平、だったら陣平のほうが呼びやすかったので、そのままにしておいた。(なんか、伸ばす音って呼びやすい)
調子に乗ってニコニコしながら「じんぺ~」と何度も呼んでいると、それを目撃した降谷が「やっぱり……」と引いたような顔をするので、撤回するのが大変だった。私の班のカレーは、少し野菜が固めだ。