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沖矢の言葉に、きょとんと表情を固まらせた。言葉を復唱し訝し気に顔を顰めると、沖矢は思わせぶりに口角を持ち上げる。
「そう、消去法です。――犯人を洗い出すための」
顎に指を置いた、姿勢の良い立ち姿はまるで本物の探偵のようだ。私は間抜けに沖矢の台詞をオウム返しに繰り返す。じい、と彼を見つめていると、彼は軽く肩を竦めて笑った。
「ふふ、シャーロキアンなのでつい恰好をつけたくなるものです……。さあ、あとは名探偵にお任せしましょう」
彼が視線を送る先には、小五郎が目暮と何やら話をしている。正直、不安だった。小五郎は初めから私を疑っていたし、私も事件の真相が分からないままだ。私と慎也しか容疑者がいないのならば、確かに〝消去法〟で犯人は慎也だ――と、私には分かる。しかし、事件は私の一人称で語られるわけではないのだ。
ユキの死の間際の行動も、私の心に引っかかりを作っている。どうして、彼女は私を指したのだろう。私の所為だと言いたかったのか、それとも慎也との関係をどこかで知ってしまったのだろうか。
――予測ばかりが嫌な方向へと進んでしまう。私の悪い癖だった。ユキにもよく「考えすぎだ」と言われたものだ。
気づけば、哀や歩美は少年たちの輪に戻っていた。沖矢も、先ほどの台詞を言い残してどこかへ姿を消してしまった。私はそわそわと足の指を擦り合わせる。落ち着かない。せめて、小五郎にこの手のことを話しておこうか。私にはとんと推測できないが、曰く、証拠であるとのことだし。
「あ、あの……」
小五郎のもとに、ぱっと駆け寄り――かけよ、り――。
「ぁ、へ……?」
ぐらりと地面が大きく揺れる。
足がもつれて、視界の揺らぎのままその場に崩れ落ちてしまった。手足が痺れる、瞼が重い。まさか、私まで何か毒薬を盛られてしまったのか。一瞬、恐怖が体を占めたが、その感情もすぐに霧散する。ざわつく声と共に、聞き覚えのある声が鼓膜を揺らした所為だ。
◇
「ごめんなさい、驚かせてしまって。ちょっとクラっと来ちゃったのよ……犯人の、あんまりな荒唐無稽さに嫌気がさしてね。怖い顔しないでよ。――そう、分かったの。ユキに毒薬を盛って殺した、犯人ってやつが……」
倒れ込んだ百花を囲むように、周囲の人々が輪を作る。最初は「なんだなんだ」と興味本位で覗いたものの、トイレの前に座り込んだ百花の姿があまりに――そう、ワイドショーやらで見覚えのある物に重なっていた。それが脳裏に過ぎらなかったのは、小五郎当人だけであろう。
周囲のざわめきを気にも留めず、百花は淡々と言葉を続ける。
「今回の事件、二人の容疑者がいるのは確かです。ユキを発見したとき、彼女はまだ生きていた。つまり、後ろ五分にデッキに入った人物、私と慎也しか反抗は不可能。逆に言えば、二人のどちらが犯人であっても犯行は可能……そういうことですよね。
なら、私が犯人でないという証拠を――コナンくん、お願いできるかな」
言葉を図ったように、百花の影から一人の少年が顔を現す。彼はニッコリと眼鏡の奥で愛想良く笑い、何かが入った袋を目暮に手渡した。目暮はまじまじとそれを眺める。
「うん、お姉さん。鑑識さんに調べてもらったら、ゴミ箱の奥に入ってたみたい」
「手袋……?」
高木が隣から袋を覗きこみ、首を傾げた。
「ありがとう。……そう、手袋。だって考えてみて。生きた人間に毒薬を注射する――いくらなんでも、注射器を握り込まなきゃ」
「指紋を拭い取った可能性もあるだろう」
「時間に余裕があればね。駅に着くまで十分……誰がデッキにきても可笑しくないはず」
目暮は、確かにと口ひげに触れながら唸る。蘭は注射器を握り込む素振りを、手元で確認していた。
「さっき鑑識さんに調べてもらったら、表面に付着した成分が注射器の中身と一致した――。まず、事件に使われたものだと思って良いはず」
「でも、それなら手袋に指紋とか……」
高木がぽんっと手を打ち提案する。――が、百花は残念そうにフウと溜息をつく。普段の彼女からすれば、その極端なクールぶりは考えられないものであった。知るのは、一人心音を大きくならす慎也しかいないのだが。
「残念ながら、指紋が付着しにくいフリース素材だから、内面はまっさらなんです。……そう、まっさら。だから、これは貴方のものと言える――慎也。貴方のね」
「……百花、いくらなんでもそれは厳しいだろ。お前と俺、条件は平等だ」
「いいえ、私ではありえない。だって、貴方と会った喫煙ルームで……私の手には、ホラ」
コナンは、再び物陰から顔を出すと百花の手を裏返し、あれれと体を傾ける。それを覗きこんだ小五郎が、軽く掌を指で掬い、鼻に近づけた。
「こりゃぁ……煙草の煤か?」
「そうです、毛利さん。それでも手袋の内面は真っ白――黒ずみの一つも、残っていない。私の手がこんなに真っ黒なのにも関わらず、ね」
「なるほど、無いことが証拠ってわけだ」
小五郎は目暮に断り、証拠品の手袋を引っ繰り返す。紛れもなく、手袋の裏側には染み一つ付着してはいなかった。慎也は喉を詰まらせるようにしながら、百花の名前を呼んだ。
「でも、ユキは、お前を……」
「まだ納得できないって顔してる。なるほどね、ユキが私を指さしていたのが、私が犯人である証拠だって言いたいわけ。それは、あれが指さしであれば、の話でしょ」
「ほかに何があるっていうんだ! あれは、ユキが最後に残した……」
慎也の声に被せるように、百花は食い下がった。――その声は、その場にいた全員が息を呑むほど毅然としていて、妙に落ち着き払っている。声色の端に、怒りの色が滲んでいるようにも聞こえた。
「違うわ。あれは、ユキが残したダイイングメッセージ」
蘭がえっ、と驚きの声を上げた。「ユキさんが」と、彼女の死の間際を神妙な顔つきで思い返す。
「一の指を、くいっと曲げる。――それは私たちが専攻して取っていた授業、手話でいう、アルファベットのX。私としては、こんなことに気づけなかったのが口惜しいくらいよ」
「それのどこが、ユキのダイイングメッセージだっていうんだ。出鱈目だよ」
「ダイイングメッセージのX――それだけ聞けば、ミステリーマニアならピンとくるものなのだから。ミステリーに疎い私にまで公言していた、エラリー・クイーンのファンである彼女なら、特にね」
輪の中から、幼い声がぽつりとぼやく。ほとんど独り言に近いものであったが、静まり返った空気にその言葉はよく響いた。
「……Xの悲劇、ね」
「あら、哀ちゃん。よく知ってたわね。そう……〝Xの悲劇〟。ミステリー作家エラリー・クイーンの代表作です。列車の中、毒針で殺された被害者が、指を交差して作ったダイイングメッセージ。小説の中では、Xは切符を切った穴の形。列車の関係者だったというメッセージだった。
それを、ユキがこの場になぞらえるとしたら……? 今乗っているのは、新幹線でしょう。頭の良いあなたなら、分かるよね、慎也」
◇
周囲の声はざわめき程度にしか聞こえなかったが、その聞き馴染んだ声だけが、暗闇の中で驚くほど澄んで聞こえた。すぐ耳元から聞こえる――紛れもなく、毎日のように聞いたはずの、私の声だった。
その声よりは聞こえづらかったが、大声を張っているせいか、慎也の怒鳴り声がビリビリと動かない体を震わせた。ふざけるな、いい加減にしろ、とか、そういった類の怒声だ。ああ、彼の声って、こんなにも恐ろしくなかったのだろうか。あれほど怯えていた日々が嘘のように、冷静な私の声へ怒鳴り散らす声色はガキじみていた。
『じゃあ、私は犯人でない証拠を提出した。貴方はどうなの、否定できるなら、してみなさい』
私の声って、こんなだっただろうか。
少し震えないだけで、毅然としているだけで、こんなにも――。自分の声が、これほどまでに凛と美しいことを、私は頭の片隅で聞いていた。これが夢でなければ良いと、静かに祈りながら。