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映画は、有名なアメリカンコミックの実写化だった。ジャンルとしては、アクションに近いと思う。てっきり沖矢の雰囲気から、小難しそうなものを選ぶと思い込んでいたから、少しだけ意外だ。
沖矢はチケットを発券すると、ちゃっかりパンフレットまで購入していて、行動だけみればまるで少年である。しかし、そのスラリとしたスタイルと知的な風貌がそうは思わせず、傍から見れば私の付き添いで観に来たようにしか見えないだろう。
「好きなんですか?」
席に着き、パンフレットの冒頭に目を滑らせる姿に声を掛ける。眼鏡の奥で視線がちらと動いた。
「ええ、まあ。学生の時によく読んでいまして」
「へえ……。沖矢さん英語もできるんですね」
映画サークルに、よくアメリカンコミックが好きだと言う人もいたので映像だけは見たことがある。しかし原作は和訳されているものも少なく、サークルのメンバーで訳し合いながら回し読んでいたことがあった。
「でも、っぽいと言えばぽいですけど」
「そうですか……? どんなイメージを持っているのだか」
「頭いい~ってかんじです。実際インテリでしょう」
私の言葉に「さあ」と、軽く首を傾ける。そういえば、今いくつなのだろうか。ぱっと見た感じだと仕事をしていても可笑しくないような気はするのだが、尋ねるのは失礼だろうか。私は遠回しに「何大学なんですか」と聞いてみた。
「東都の工学部ですよ」
「やっぱりインテリ……厭味ですか」
「まさか。少し勉強が得意なだけです」
沖矢はふふふ、と悪戯っぽく笑った。案外冗談が通じる人だと分かると、喋るのが楽しく思えた。そのあとも他愛ないことを一つ二つ話しているうちに、会場の照明がぽつぽつと落ちる。
パンフレットを大学生が学校で使うようなトートバックに仕舞うと、彼はアイスコーヒーに口をつけながらスクリーンを見つめる。まだ本編には入っておらず、暗い場内には予告音声が響いていた。
「これ、面白そう」
予告で流れた、ミュージシャン同士の恋愛物に、私はぽつりと呟いた。殆ど独り言に近かったし、迷惑にならないように小さな声で落とした呟きだった。
「邦画がお好きですか」
私が零した呟きと同じトーンで、意外にも相槌が返ってくる。ひじ掛けに腕をつき、聞こえやすいようにか少しだけ顔をこちら側に寄せていた。
「どちらかといえば……洋画も見ますけど」
「ミステリーやサスペンスは見ないんですよね」
「恋愛モノかホラーが好きで。あ、ほら、今やってるやつの前作とか良かったですよ」
スクリーンいっぱいに少女の人形がギギギ、と不気味に振り向いている。私が指をさすと、沖矢もそれを目に留めた。スクリーンがチカチカっと光ると、彼の高い鼻筋と眼鏡に光が差した。
「僕のほうこそ意外だ。てっきり、怖いのは苦手かと……」
「まあ、現実はめっちゃビビリなんですけど……。フィクションならいけます」
照れくさくて、あははと空笑いしながら話せば、沖矢もくくっと喉を鳴らした。――あ、あの笑い方だと、すぐに分かった。どちらが素かは分からないが、低い声色が喉を鳴らすのは様になっていて格好良いとは思う。
「ここだけの話、僕もでね」
「嘘だあ……」
思わず、受けたことをそのまま口に出す。沖矢が大きく肩を揺らした。軽く咽る音が聞こえて、そんなに笑うことかと、私もふっと軽く噴き出してしまった。彼の呼吸がしっかり整う前に、スクリーンには定番のロゴが映し出された。
◇
――お、面白かった~……!
オシャレに浮かび上がるエンドロールを眺めながら、私は高鳴る胸の音を聞きながら肩を脱力させた。もとからよく見るシリーズではあったが、今作の面白さは群を抜いているように感じる。隣にいるのがもう少し見知った人であれば、すぐにでも感想を吐き出したいくらいだ。
しかしまだエンドロール中であったし、私はチラリと沖矢を覗き見る。彼の視線は紛れもなくスクリーンへ真っ直ぐ向かっており、それはそうだと私も今一度正面を向いた。そわつく指先を擦り合わせていると、ようやく長く感じたエンドロールが終わる。ぽつぽつと場内の灯りが点き、周囲からもざわめきが聞こえ始めた。
私はばっと沖矢のほうを振り向き、自然と緩む頬を隠さないままに笑った。
「お、面白かったです……!」
素直に感じたままのことを告げると、私を見る表情が〝キョトン〟とした。ワンテンポ遅れて、くつ、と低い声が喉を鳴らす。口元を押さえながら、彼もゆったりと頷く。
「はい、とっても」
「ですよね! 今までの映画シリーズも好きですけど、今回は特に……」
「ふ、はは! 分かりましたから、いったん出ましょう」
指をさした先には、上映が終わった場内を掃除するスタッフの姿があって、私は頬を熱くした。夢中になりすぎてあまり減らなかったカフェオレに、誤魔化すように口をつけながら。同じくアイスコーヒーの残りを飲み干す沖矢の横について歩いた。
◇
ランチは、劇場のフードコートで済ませることにした。もっと洒落たところでなくても良いかと沖矢は尋ねてくれたが、今はとにかく映画の内容を語り合いたかった。ポテトとホットドッグを持って、安っぽいテーブルに着く。休日ということもあり、フードコートはどこも混みあっている。
「だから、あそこのシーンは演出が独特だと思うんですよ」
指をピンと立て、言葉を捲し立てる私の長ったらしい語り口を、沖矢は穏やかな態度で聞いていた。時折相槌を打ちながら、節くれだった指がポテトを摘まむ。暫くの間映画の感想を語って、ハっとして私はもぐりとホットドックに口をつける。つい夢中になるものは長く語ってしまって、オタクっぽくて止めようと思っていたのに。
「すみません……面白かったので、つい……」
「謝らなくても。僕は嬉しいですよ、そういう感想を聞くのも好きですし」
「本当ですか……。絶対、鬱陶しいと思うんですが」
「自分で言いますか、ソレ」
沖矢は苦笑いを浮かべたが、確かに嫌がっていたりうんざりしたりという態度は表に出ていなかった。本当に聞き上手なのか、よほど性格が温厚なのか。
「あとで私もパンフレット買います……」
「ああ。ならこれ差し上げますよ」
おもむろに、彼は鞄から先ほど購入したパンフレットを手渡した。上映前に目を通しただけの、新品も同様の品だ。私はえっと目を見開いてから、首を振る。
「いやいや、そんな。私自分で買いますし……」
「ついマニア心で買ってしまいましたが、僕借家なんです。あまり自分の物を増やすのもと思っていて……」
そうか、あの立派な洋館は借家だったのか。以前尋ねた大きな門扉に想いを馳せながら、私は幾度か頷いた。目の前には、先ほどまでスクリーンの向こう側で見つめていたヒーローが綺麗に印刷されている。
「いつか引き払う家なので、荷物は少ないほうが良いんです。……できたら、持っていてくれませんか」
最後に、ね、と念押しをされて、私は小さく頷いた。マットな質感の表紙に手を滑らせる。そんなはずはないのだが、沖矢の匂いがふわりと香るような気がした。多分勝手にそう思っているだけで、新品の頁の匂いだと思う。
ぎゅうと胸に抱き、頭を下げると、沖矢は頬杖をつきながら笑った。
「あれ、百花お姉さんだ!」
パンフレットを仕舞おうとしたところで、聞き覚えのある底抜けに明るい声が耳を震わせた。私が振り向く前に、腰あたりにどんっと軽い衝撃が落ちる。暖かく小さな手が、私の胴体に巻き付いていた。
「あ、歩美ちゃん?」
カチューシャをした少女は私が名前を呼ぶと、ニッコリと可愛らしく笑った。事件の時はさぞ怖い思いをしただろうに、気丈な子だ。歩美を筆頭に、いつもの――なんといったか、確か少年探偵団だとか――のメンバーがぞろぞろと後をついてきた。
相変わらず哀は少し機嫌悪そうに沖矢を見て、ハァと重たくため息をつく。
「ほんっと、ストーカーなんだから」
「いやいや。僕は高槻さんと約束をしていただけですよ、ね」
「あ、はい……」
沖矢の言葉に私が首を縦に振ると、哀は呆れた、と額を押さえて項垂れる。
「貴女もちょっと男を見る目どうにかしなさいよ」
なんて大人びた発言だろうか。自分の年齢の半分以下の少女が、ツンケンとして言うのだから、それがなんだか可愛らしくてチラっと沖矢を見上げた。アメリカのホームドラマみたいに広い肩を竦めた男に、私はフっと笑うのだった。
沖矢はチケットを発券すると、ちゃっかりパンフレットまで購入していて、行動だけみればまるで少年である。しかし、そのスラリとしたスタイルと知的な風貌がそうは思わせず、傍から見れば私の付き添いで観に来たようにしか見えないだろう。
「好きなんですか?」
席に着き、パンフレットの冒頭に目を滑らせる姿に声を掛ける。眼鏡の奥で視線がちらと動いた。
「ええ、まあ。学生の時によく読んでいまして」
「へえ……。沖矢さん英語もできるんですね」
映画サークルに、よくアメリカンコミックが好きだと言う人もいたので映像だけは見たことがある。しかし原作は和訳されているものも少なく、サークルのメンバーで訳し合いながら回し読んでいたことがあった。
「でも、っぽいと言えばぽいですけど」
「そうですか……? どんなイメージを持っているのだか」
「頭いい~ってかんじです。実際インテリでしょう」
私の言葉に「さあ」と、軽く首を傾ける。そういえば、今いくつなのだろうか。ぱっと見た感じだと仕事をしていても可笑しくないような気はするのだが、尋ねるのは失礼だろうか。私は遠回しに「何大学なんですか」と聞いてみた。
「東都の工学部ですよ」
「やっぱりインテリ……厭味ですか」
「まさか。少し勉強が得意なだけです」
沖矢はふふふ、と悪戯っぽく笑った。案外冗談が通じる人だと分かると、喋るのが楽しく思えた。そのあとも他愛ないことを一つ二つ話しているうちに、会場の照明がぽつぽつと落ちる。
パンフレットを大学生が学校で使うようなトートバックに仕舞うと、彼はアイスコーヒーに口をつけながらスクリーンを見つめる。まだ本編には入っておらず、暗い場内には予告音声が響いていた。
「これ、面白そう」
予告で流れた、ミュージシャン同士の恋愛物に、私はぽつりと呟いた。殆ど独り言に近かったし、迷惑にならないように小さな声で落とした呟きだった。
「邦画がお好きですか」
私が零した呟きと同じトーンで、意外にも相槌が返ってくる。ひじ掛けに腕をつき、聞こえやすいようにか少しだけ顔をこちら側に寄せていた。
「どちらかといえば……洋画も見ますけど」
「ミステリーやサスペンスは見ないんですよね」
「恋愛モノかホラーが好きで。あ、ほら、今やってるやつの前作とか良かったですよ」
スクリーンいっぱいに少女の人形がギギギ、と不気味に振り向いている。私が指をさすと、沖矢もそれを目に留めた。スクリーンがチカチカっと光ると、彼の高い鼻筋と眼鏡に光が差した。
「僕のほうこそ意外だ。てっきり、怖いのは苦手かと……」
「まあ、現実はめっちゃビビリなんですけど……。フィクションならいけます」
照れくさくて、あははと空笑いしながら話せば、沖矢もくくっと喉を鳴らした。――あ、あの笑い方だと、すぐに分かった。どちらが素かは分からないが、低い声色が喉を鳴らすのは様になっていて格好良いとは思う。
「ここだけの話、僕もでね」
「嘘だあ……」
思わず、受けたことをそのまま口に出す。沖矢が大きく肩を揺らした。軽く咽る音が聞こえて、そんなに笑うことかと、私もふっと軽く噴き出してしまった。彼の呼吸がしっかり整う前に、スクリーンには定番のロゴが映し出された。
◇
――お、面白かった~……!
オシャレに浮かび上がるエンドロールを眺めながら、私は高鳴る胸の音を聞きながら肩を脱力させた。もとからよく見るシリーズではあったが、今作の面白さは群を抜いているように感じる。隣にいるのがもう少し見知った人であれば、すぐにでも感想を吐き出したいくらいだ。
しかしまだエンドロール中であったし、私はチラリと沖矢を覗き見る。彼の視線は紛れもなくスクリーンへ真っ直ぐ向かっており、それはそうだと私も今一度正面を向いた。そわつく指先を擦り合わせていると、ようやく長く感じたエンドロールが終わる。ぽつぽつと場内の灯りが点き、周囲からもざわめきが聞こえ始めた。
私はばっと沖矢のほうを振り向き、自然と緩む頬を隠さないままに笑った。
「お、面白かったです……!」
素直に感じたままのことを告げると、私を見る表情が〝キョトン〟とした。ワンテンポ遅れて、くつ、と低い声が喉を鳴らす。口元を押さえながら、彼もゆったりと頷く。
「はい、とっても」
「ですよね! 今までの映画シリーズも好きですけど、今回は特に……」
「ふ、はは! 分かりましたから、いったん出ましょう」
指をさした先には、上映が終わった場内を掃除するスタッフの姿があって、私は頬を熱くした。夢中になりすぎてあまり減らなかったカフェオレに、誤魔化すように口をつけながら。同じくアイスコーヒーの残りを飲み干す沖矢の横について歩いた。
◇
ランチは、劇場のフードコートで済ませることにした。もっと洒落たところでなくても良いかと沖矢は尋ねてくれたが、今はとにかく映画の内容を語り合いたかった。ポテトとホットドッグを持って、安っぽいテーブルに着く。休日ということもあり、フードコートはどこも混みあっている。
「だから、あそこのシーンは演出が独特だと思うんですよ」
指をピンと立て、言葉を捲し立てる私の長ったらしい語り口を、沖矢は穏やかな態度で聞いていた。時折相槌を打ちながら、節くれだった指がポテトを摘まむ。暫くの間映画の感想を語って、ハっとして私はもぐりとホットドックに口をつける。つい夢中になるものは長く語ってしまって、オタクっぽくて止めようと思っていたのに。
「すみません……面白かったので、つい……」
「謝らなくても。僕は嬉しいですよ、そういう感想を聞くのも好きですし」
「本当ですか……。絶対、鬱陶しいと思うんですが」
「自分で言いますか、ソレ」
沖矢は苦笑いを浮かべたが、確かに嫌がっていたりうんざりしたりという態度は表に出ていなかった。本当に聞き上手なのか、よほど性格が温厚なのか。
「あとで私もパンフレット買います……」
「ああ。ならこれ差し上げますよ」
おもむろに、彼は鞄から先ほど購入したパンフレットを手渡した。上映前に目を通しただけの、新品も同様の品だ。私はえっと目を見開いてから、首を振る。
「いやいや、そんな。私自分で買いますし……」
「ついマニア心で買ってしまいましたが、僕借家なんです。あまり自分の物を増やすのもと思っていて……」
そうか、あの立派な洋館は借家だったのか。以前尋ねた大きな門扉に想いを馳せながら、私は幾度か頷いた。目の前には、先ほどまでスクリーンの向こう側で見つめていたヒーローが綺麗に印刷されている。
「いつか引き払う家なので、荷物は少ないほうが良いんです。……できたら、持っていてくれませんか」
最後に、ね、と念押しをされて、私は小さく頷いた。マットな質感の表紙に手を滑らせる。そんなはずはないのだが、沖矢の匂いがふわりと香るような気がした。多分勝手にそう思っているだけで、新品の頁の匂いだと思う。
ぎゅうと胸に抱き、頭を下げると、沖矢は頬杖をつきながら笑った。
「あれ、百花お姉さんだ!」
パンフレットを仕舞おうとしたところで、聞き覚えのある底抜けに明るい声が耳を震わせた。私が振り向く前に、腰あたりにどんっと軽い衝撃が落ちる。暖かく小さな手が、私の胴体に巻き付いていた。
「あ、歩美ちゃん?」
カチューシャをした少女は私が名前を呼ぶと、ニッコリと可愛らしく笑った。事件の時はさぞ怖い思いをしただろうに、気丈な子だ。歩美を筆頭に、いつもの――なんといったか、確か少年探偵団だとか――のメンバーがぞろぞろと後をついてきた。
相変わらず哀は少し機嫌悪そうに沖矢を見て、ハァと重たくため息をつく。
「ほんっと、ストーカーなんだから」
「いやいや。僕は高槻さんと約束をしていただけですよ、ね」
「あ、はい……」
沖矢の言葉に私が首を縦に振ると、哀は呆れた、と額を押さえて項垂れる。
「貴女もちょっと男を見る目どうにかしなさいよ」
なんて大人びた発言だろうか。自分の年齢の半分以下の少女が、ツンケンとして言うのだから、それがなんだか可愛らしくてチラっと沖矢を見上げた。アメリカのホームドラマみたいに広い肩を竦めた男に、私はフっと笑うのだった。