sweet fragrance


何かの拍子に、ふわり、といい香りがした。
何の香りかと訊かれれば答えきれないが、甘いような、それでいて重くもしつこくもなく、些か食欲をそそられる香りだ。
何の匂いかと辺りを見回せば少し離れた所を歩くセネリオが目に入る。
何となく気になって歩み寄り、声を掛けた。


「セネリオ」

「はい」


セネリオが笑顔でこちらを振り返った瞬間、例の匂いがふわりと漂う。
まさか出どころがセネリオだったとは思わなかったアイクは、食欲をそそる香りに負けそうになり、少し顔を顰めつつも問いかけてみた。


「お前、何か強い匂いがする食い物でも食ったか?」

「えっ……? いえ、他の方と同じ食事しか取っていませんが……。すみません、何か臭いますか?」


アイクに不快な思いをさせてしまったのかと、セネリオは不安そうな顔で申し訳なさそうにする。
少々慌てて、違う、と否定したアイクは、甘い食欲をそそる匂いがするとセネリオに言ってみた。
一体何の事か分からず、セネリオまで顔を顰めて考え込んでしまう。
そんな深刻になる程でもないので、考え込まなくてもいいと告げるアイクだが、ふわふわ漂う香りに誘われる。


「腹が減って敵わんな……何なんだ、この匂い」

「本当に僕ですか?」

「間違いない。お前の傍に居ると匂いがハッキリするんだ」


いい匂いだから構わんが……と言いつつ気になって仕方がない。
セネリオが香水の類をつけるとは思えないし、他の者の匂いが移ったとも考えづらい。
この香りはセネリオからしかしないようだから。

一方セネリオとしては、いい匂いとは言われても、何か得体の知れない匂いが自分の体からするなんて、どうにも嫌な気分。
自分は何も感じないが、アイクが気になるのなら放っておく訳にもいくまい。


「あの、お気に障るみたいですし……僕、ちょっと体を清めて来ます」


セネリオは近くに水場があった事を思い出し、そこへ行こうと駆け出した。
そんな彼を、アイクは思わず掴んで引き止める。
セネリオが不思議そうな顔で振り返った瞬間、ふわりと漂った例の香りが先程より強くなって、アイクは堪らなくなった。
少々乱暴にセネリオを引き寄せると思いっ切り抱きしめて、慌てるセネリオに構う事なく、彼の顎を掴んで上向かせる。


「あ、アイク?」

「……美味そうだな、お前。食ってもいいか?」

「えっ……食べるって……っんんっ!」


何の躊躇いも無く、噛みつくような勢いでセネリオに口付けるアイク。
味わい尽くすかのように彼の唇を舐め、しゃぶり、吸い上げる。
セネリオの唾液と自分の唾液が混ざり合って、アイクは確かに、あの食欲をそそる甘さを感じた。
何も特別な物など食べていないのに、こんな香りや味がするとは一体何事だろうか。
だが今のアイクにそんな事を考える余裕は無い。
ただ、この不思議な甘さを味わおうと、貪るようにセネリオと口付けを交わしている。


「んむっ……んっ……ふぅ……」


吸い上げられる唇、絡められる舌、セネリオはそれらの愛撫に耐えきれず、アイクに腰を支えて貰いながら必死で与えられる快感を受け止めていた。
そう言えばここは何処だったっけ……?
周りに人は……と考えていた頭も、今はアイクの事で一杯。
ようやく解放された時、もうセネリオには立つ力さえ残っておらず、そんなセネリオを支えてやりながら、アイクは楽しそうに口を開く。


「そんなに良かったか」

「う……はい……」

「俺も、美味かったぞ」


そんな言葉にもセネリオは羞恥心を煽られ、頬を朱に染めて俯く。
アイクが嬉しそうだから文句を言う気は無いが。
何の香りかは分からないのだが、アイクはこの香りをすっかり気に入ってしまった。
何故セネリオからこの不思議な香りや味がするのかなんて、もうどうでもいい。

砕けていた腰が直り、ようやく自力で立つ事が出来るようになった彼に再び、今度は触れるだけの口付けを贈るアイク。
それにさえ頬を真っ赤に染めてセネリオは黙り込んでしまった。
そんな彼の髪を愛おしそうに撫でながらアイクは優しく微笑む。


「しかしこの匂い、他の奴には何ともないのか…? こんな美味そうな匂いしたお前を、野放しにしておく訳にはいかん」

「だ、大丈夫ですよ。他の人からは、何も言われた事ないですから」


それなら大丈夫か……と、釈然としないがらも納得したアイク。
しかし、そこへにこやかな笑顔を浮かべたライがやって来る。
そして一言。


「よぉ、なんか美味そうないい匂いがするって思ったら、アイク……な訳ないな。軍師殿か?」

「……」


……瞬間、妙に薄ら寒い雰囲気が辺りを覆い、すぐにそれだけで殺されそうなアイクの視線がライを射抜いた。
何かマズい事を言ったのかと、笑顔のまま冷や汗を流し硬直するライ。


「……ライ、まさかセネリオが匂うのか?」

「い、いや、別に臭うんじゃなくて。美味そうないい香りが……」


状況がよく分かっていないライは、余計な事を言って墓穴を掘って行く。
携えた鉄の剣に手を掛けたアイクを見て底なしの恐怖を感じた瞬間、背後から豪快な声が聞こえた。
そしてその声の主は、更に状況を悪くしてしまう。


「おぉ小さい軍師殿、今日は何やら美味そうだな! いい匂いがするぞ!」

「……」


現れたのはスクリミルで、セネリオの背中をバンバン叩いて笑いながら言う。
その力に咳き込んだセネリオがスクリミルを睨みつけた瞬間、アイクの剣が空を切った。
さすがに鞘に収まったままではあったが、それは紙一重でスクリミルの横をすり抜ける。
ライが慌てて2人の間に割って入り、場を収めようとした。


「悪い、アイク! 別にそんな……軍師殿にちょっかい出そうってんじゃなくて、ただ何か、いい匂いが軍師殿から……」

「それが問題なんだ。こんな美味そうなセネリオを、他の奴に晒してたまるか」

「アイク……」


独占欲丸出しのアイクに、セネリオはうっとりとして喜ぶ。
あっと言う間に2人の世界に入ったアイク達を見て、ライは密かに溜め息をついたのだった……。


+++++


それから数日。
セネリオの香りが収まらぬ中、アイクはある事に気付いた。
なぜ急にこうなったのかは分からないが、例の甘い食欲をそそる香りは、どうやらセネリオに好意を持っている者だけが感じているらしい。
しかもその好意とは、ある程度深い意味での好意。
つまりアイクにとって何よりも排除すべき者が感じるようで。
仲間なので流石に排除などする訳にいかないが、セネリオの香りを感じている者を見つけては牽制する日々が続いていた。
その数は予想を超えてなかなかに多く、アイクはセネリオの意外な人気を垣間見る事となる。
しかも殆どが男なのだが。


「アイク」

「何だ、シノン」

「セネリオって、何か香水でもつけてんのか? 甘ったるい匂いがして気になるから、やめさせろよ」

「……」

「おい、聞いてんのか」


また1人、セネリオをそういう目で見ている者が現れてしまった。
牽制は欠かさずやらなければ足元を掬われかねない。
周囲の気温が数度下がり……アイクの異様な気配に気付いた時は、もう遅い。


「………………お前もか」

「は?」


今日もまた、アイクの嫉妬の犠牲者が1人……。




*END*
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