ある冬の日


何日か降り続けていた雪が止んだ。
フェレは温暖な為かあまり雪は積もらないが、オスティアはそうもいかなかったようだ。
深く雪が積もった山道を愛馬で行くものの、なかなか先へ進めない。

2ヶ月に1度の手合わせをする約束。
数週間前、偶然にも父がオスティアへ届け物があり、丁度いいとエリウッドは使いを申し出た。
幸いフェレを出る頃には降り続いていた雪も止んで、彼は愛馬と共にオスティアを目指す。

……そろそろオスティアは近い筈なのに、慣れない雪のせいでどうにも遅い。


「ヘクトル、心配してるだろうな……」


オスティアへ行く事が決まった時 既に彼へは手紙を出していた。
今日に着く事は分かっていただろうし、意外にも心配性な彼が暴れ出していないか心配だ。

しかし、本当に寒い。
防寒はしているが手綱を握る手は赤く染まり、体を身を切るような冷たさが駆け抜けて行く。
とにかく早くオスティアに着こうと、エリウッドは馬を速めた。

やがて山道も下り坂に差し掛かり、知らず、少し慌て気味に馬を歩かせる。
すぐに大した高さではなくなり、視界に小さくオスティアの都が目に入った。


「ふぅ……。やっと着いた」


街が見えた事に安心したのか、エリウッドは気を抜いて注意を逸らしてしまう。
この下り坂は左側が崖になっているが、下の方から生えている木に雪が積もり道と崖の境目がよく分からなくなっていた。

……突然、エリウッドの体が思いっ切り傾ぐ。
体に変な重力が掛かり、自分が落下しているのだと気付いた頃には崖下へと転落していた。
積もった雪がクッションの代わりを果たしてくれたが、それでも大きな衝撃が体にかかり、エリウッドは呻き声を上げて体を震わせる。

冷たい雪に倒れ込んでしまい、切れる程の冷たさが全身に襲い掛かった。
しかし痛む体は一向に言う事を聞かず、いつまでも冷たい雪に体を預ける羽目になってしまう。
ようやく立ち上がる事が出来たエリウッド、愛馬はどうしたのかと辺りを見回すと……。


「あ……!」


愛馬は落ちる時に崖の岩肌に体を叩き付けてしまったのか、真っ赤な血を流して倒れていた。
動く気配は全く無く、純白の雪を赤く染める色、そして有り得ない方向に曲がった足や首。
まさか、もう生きているとは思えなかった。


「……すま……ない」


完全な自分の不注意だ。
それで絶命してしまった愛馬の前に膝を折って、静かに謝罪と祈りを捧げた。
墓でも作ってやりたいが、そうしている間に自分が凍死してしまいそう。
ひとまずオスティアへ行って態勢を立て直してからにしなければ。

遠くに、だが、確かに見えるオスティアの都を目指して足を進める。
雪に倒れた時の冷たさが体に残っていて、相変わらずの低い気温、落下時の痛みと相まって体力を奪っていく。
全身を駆け巡る痛みと冷たさに耐えながら、エリウッドは一歩一歩 歩んだ。

やがてざわめきがエリウッドの耳へ届く。
オスティアの都へ近付いて来たようだ。

その音にホッとして力を振り絞るが、突然、ガクリと膝から力が抜けた。
再び冷たい雪に倒れ込んでしまうエリウッド。
体を起こそうとしても言う事を聞いてくれず、寒さが体力を奪い尽くすように襲って来る。
崖から転落した時の痛みは既に小さくなっているのに、予想外に体力を失っていたようだ。
いくら力を入れて体を起こそうとしても出来ない。

寒い。
寒い。
寒い。

痛みよりも疲れよりも、エリウッドを蝕んでいるのは身を切るような寒さ。
やがて力尽きて、雪の上に全体を預けてしまう。
まさか、こんな所で死ぬ訳にいかないのに……。


「(……ヘクトル)」


寒さと冷たさに震えながら浮かぶのは複数の意味で大切な人。
もうすぐ会えるのに、こんな事になるなんて……。
段々と気が遠くなり、エリウッドは目を開けているのも辛くなる。
いけないとは分かっているのに体が言う事を聞かず、ついに目を閉じて意識を沈めてしまう。

意識が消える瞬間、何か聞こえた気がしたが……。
もう、エリウッドには分からなかった。


++++++


何か、体に妙な感触があるような気がする。
何だろうと、エリウッドは無意識のうちに考えていた。
この感触は良く知っている……はずなのだが、堂々と思い出すのが躊躇われる感触だ。

そうだ、これは……。

思い出して目を開こうとしたが、それも辛くてモタモタしてしまう。
ようやく目を開くと、目の前に見知った顔があって飛び上がる程に驚いた。


「ヘクトル……!?」

「! 気が付いたかエリウッド! 良かった……」


とにかく状況を確認しようとするエリウッドだが、自分が全裸でヘクトルに抱えられている事に気付いて真っ赤になった。
自分を抱えるヘクトルも全裸で、辺りを見回せばここは浴室のようだ。
そこでエリウッドは、自分が雪の中に倒れた事を思い出した。
一体どうなっているのか、あれは夢だったのかと混乱していると、ヘクトルに浴槽のお湯を掛けられる。


「熱っ……!」

「我慢しろ、今お前、すっげぇ冷たいぞ! 雪ん中に倒れてたんだ!」


ヘクトルの言葉に、やはり夢ではなかったのかと思い直す。
浴槽のお湯は大した熱さではないのだろうが、冷え切ったエリウッドの体には痺れて痛む程の熱さに感じた。
ヘクトルはエリウッドを抱えたまま、お湯を張った浴槽に体を沈める。
体とお湯の温度差は鋭い痛みとなってエリウッドに襲い掛かり、彼は思わず出ようとしてしまう。
しかしヘクトルに押さえ付けられ、浴槽から出る事が出来ない。


「ヘクトルっ……! 熱い、離してくれ……!」

「馬鹿野郎、それだけ体が冷えてるんだろ! 大人しくしてろ!」


エリウッドの肌はじりじりと痛み、思わずヘクトルにしがみついてしまう。
ヘクトルはそんなエリウッドを抱き締めて、少しでも痛みを和らげようと努めた。
やがて体が温まって痛みが引き、エリウッドはしがみついていた手を離す。
しかしヘクトルは一向に離してくれず、戸惑いつつ話し掛けてみた。


「ヘクトル……有難う、すっかり温まったよ。もう大丈夫だから」


しかし、ヘクトルは益々キツく抱き締めるだけで、離してはくれない。
エリウッドが困っていると、ようやく口を開いてくれた。


「倒れてるお前を見つけた時は……生きた心地がしなかったんだぞ!」

「……ごめん、心配かけて」


聞けばヘクトルは、エリウッドが遅いので彼を探しに来たらしい。
エリウッドがいつも通ると聞いていた山道を探していると、雪が積もった崖際に不自然な跡を見つけた。
まさかと思い崖下へ回り込もうと進んでいたら、エリウッドを見つけたと言うのだ。


「勘弁してくれ、心臓が止まるかと思ったぜ」

「本当にすまない。助けてくれて有難う」


全ては自分の不注意が呼び起こした事だ。
彼の事だ、きっと自分の事……いや、それ以上に心配したに違いない。
申し訳なさが募り、ただ謝る事しか出来ないエリウッド。
彼が大丈夫そうだと判断したヘクトルは、ようやく笑顔を浮かべた。
まあお前が無事で本当に良かったよ、と笑うヘクトルに、エリウッドも嬉しくなって笑顔で応える。
どちらからともなく、自然にお互いの唇が重なった。

やがて充分に体が温まり浴室を後にする2人。
エリウッドの調子もすっかり良くなったようだ。


「ヘクトル、服はここに用意してあるものを使っていいのか?」

「ああ。折角だし、着替え手伝おうか」

「……は?」


余りに自然にヘクトルの口から出た言葉に、エリウッドは面食らって彼を見た。
ヘクトルはと言えば、ニヤニヤと笑って……手つきも何となく怪しいような。
そう言えば意識を取り戻す前、体に妙な感触がしたが、あれは間違いなくヘクトルに脱がされていた感触だ。
堂々と思い出すのが躊躇われた理由は……言わずもがなであろうが。


「いいよ、別に」

「遠慮すんなって!」

「遠慮じゃない!」


さっきまであんな、怒り出す勢いで心配していたと言うのに。
呆れるエリウッドだが、先程まで命の危機に晒されていた自分が、こうしていられるのは凄く幸せな事だろう。
怒る気も失せて、ヘクトルと一緒に笑った。

その後、ヘクトルが呼ばせていた医者に診て貰ったが、落下した時の傷も凍傷になりかけていた体も大した事は無いと言う。
2人は安心して顔を見合わせた。
彼らは今、エリウッドの為に用意された客室に居る。
近くのソファに座りつつ、改めてヘクトルはホッとしたように溜め息をついた。


「マジでさ、エリウッド、気をつけろよ。万が一お前が死んじまったら、俺何するか分からないからな」

「あぁ、あれは完全な僕の不注意なんだ。気をつけるよ」


言って、エリウッドは死んでしまった愛馬の事を思い出した。
辛くなってヘクトルに話すと、彼は、そうか、と呟いてエリウッドの手を優しく握る。


「お前、あの馬可愛がってたからな。明日にでも、墓建てに行くか」

「……うん」


落ち込むエリウッドを、ヘクトルは抱き締める。
この大きくて暖かい体がエリウッドは好きだ。
あの、死んでしまいそうな程冷たかった雪の中を思い出し、改めて、今の幸せを噛み締めた。


「ヘクトル。僕、崖下に落ちた後、痛みよりも寒いのが怖かったんだ。だから、君の暖かさが凄く嬉しくて……ホッとする」

「エリウッド……」

「真っ先に君の事が浮かんで、もう会えないと思うと更に怖かった。また会えて、嬉しい」


その言葉にヘクトルは満足そうに笑い、エリウッドは素直に抱き締め返した。

晴れ渡った空、射す日の光に白い雪が反射する。
そろそろ寒さに凍える冬が明けるのかもしれない……。




―END―
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