3章:昔、そして今


前回の荷物配達から既に数日が過ぎていた。
急を要する荷物が無い限り、回る日にちを決めてその日まで荷物を集める。
配達が終わって帰って来たらまたすぐ次の日に出発、といった事は殆ど無いと見ていいらしい。

仕事の無い数日間、アルフォードの申し出でホームタウンを案内して貰っていたセネリオ。
見晴らしの良い高台の崖際にあるこの町は、大抵の場所から海が見える。
案内と休憩がてら入った喫茶店の窓から水平線を見つめ、向こうはテリウスかと考えては首を振り思考をやめる、それを何度か繰り返していた。


「この店は30種類以上のハーブティーがあってな。俺はコーヒーの方が好きだからあんまり飲まないんだけど、セネリオさんお代わりにどうだ?」

「いえ、また今度」


この数日、アルフォードは実に楽しそうに町を案内してくれていた。
何件も店を回ったりちょっとした名所で過ごしたり、あまり真っ直ぐに表現したくなかったのでそんなに顔に出していないが、セネリオもかなり楽しんでいる。

そろそろそんな自分に自己嫌悪する事もあからさまに少なくなり、この苦しさも覚えるぬるま湯のような生活を享受し、微睡みのような日々を過ごすセネリオ。
アイクと瓜二つなアルフォードと一緒に居れば、安穏に溺れて彼を忘れてしまう心配もなかった。


「いい天気だな。これなら近いうちに遠出する事があっても安心だ。下手したら配達で何ヵ月も旅する羽目になるから大変なんだ。好きでやってるからいいけど」

「しょっちゅう町を空けているんですね」

「まあな。これでも以前よりは減った方なんだ。前は期間より回数が多かったから色々と疲れたりとか」

「そんなに配達する荷物が多かったんですね。何か行事でもあったんですか?」

「あー……。まあそういう訳じゃないんだが。少し個人的な用事もあってな。勿論、荷物も配達してたぞ」


やや言い淀み、目を逸らしてしまうアルフォード。
これ以上は訊くべきではないとセネリオはそれ以上の質問をやめ、再び窓の外の水平線へと目をやった。
遠く彼方故郷へ思いを馳せるようになってからは、水平線が特別な物のように思えてしょうがない。
この大陸へやって来た時は、別になんとも……。


「……?」


あれ、そう言えば僕は。
どうやってこの大陸へやって来たんだったっけ。

どうした事か、セネリオは自分がこの大陸へやって来た時の事を全く思い出せなかった。
やって来た時どころか、その前後の事も記憶には全く見当たらない。
アイクと一緒に来た? それともアイクが死んでから一人でやって来た?
分からない。

そもそもアイクと一緒に居た時の記憶も時期が曖昧になっている。
決して思い出せない訳ではないのだが、アイクが年老いてからの記憶が酷く曖昧になってしまっている。
もっと以前の、アイクが若い頃の事は今でも手に取るように思い出せると言うのに……。
なぜ記憶が曖昧で、アイクが逝ってしまう時の事すら覚えていないのか。

……一番心当たりがあるのは、アイクの死があまりに辛すぎて記憶ごと封じてしまったという状態か。
しかしアイクが亡くなった事は確かに分かるので、どうやら完全に消してしまった訳でもないらしい。

まさか自分がアイクの事を忘れてしまうだなどと思ってもみなくて、ただただ呆然としてしまうセネリオ。
一通り思考を巡らせた後は血の気が引いて動悸がするような気さえしてしまい、紅茶の入ったカップを握る手が小刻みに震える。
アルフォードを心配させてしまうと言い聞かせて自分を落ち着かせ、やや冷めてしまった紅茶を飲んだ。


「……そろそろ、行きませんか? もう廻る所も殆ど残ってないでしょう」

「ま、その通りだな。大してでかい町でも名所だらけの町でもないし。じゃあ行こうか、喫茶店にはまた今度ゆっくり来よう」


じっとしていたら思考が余計に深みに嵌まると思い、アルフォードに出発を提案してみるセネリオ。
喫茶店に入って大した時間が経っていなかったので怪しまれるかと思ったが、アルフォードは素直に受け取ってくれた様子だ。

外に出ると空は高く蒼く晴れ渡っていて、その蒼さにアイクを思い出し、思わず瞳が潤んでしまう。
しかし記憶を手繰っても彼が召される時の事は思い出せず、更に悲しみを呼ぶ。
それを誤魔化そうと愛しい人に瓜二つな青年へ視線を送ると、愛しい人と同じ顔で微笑んでくれるのだった。


++++++


「ほらセネリオさん、着いたぞ! ここが女神像の公園だ」


町の一番奥、海を右手に長い階段を登った先に広々とした公園があった。
中央には円形の巨大な泉があり、更にその中央には噴水と、中心を取り囲むように幾つもの装飾が施されている。
この町にやって来た初日、セネリオが粉々に崩してしまった像はあの場所に安置する予定で、以前の像は既に取り外しているため今は何とも寂しい様相だ。

遥か昔から大陸全土で信仰されていたという女神。
今も宗教や信仰は残っているが昔ほどではなく、像を飾ったり祭りを行うのはこのホームタウンだけらしい。
もはや伝説やおとぎ話だけの存在で真面目に扱わない者も多く、テリウスの女神とは随分違う立ち位置だ。
セネリオは泉に近付き、据えられていた石碑を読む。


「“豊穣を守り源たる清水を生み、生命(いのち)を育む森羅万象の母。その微笑みはそよぐ風に、怒りは降り注ぐ雷(いかづち)に。そして燃え盛る炎は魂を循環させ、焼け跡にまた新たなものを生み出す”……」

「それがセルシュリア、自然の全てを司る母神だ。人を悪魔の誘惑から守ったりとかもする、直接的に御利益のある女神だな」

「セルシュリア……」


ふと思い出したのが、数日前アルフォードが寝言で言った“セルシュ”という言葉。
ひょっとしてこのセルシュリアの事なのだろうか。


「アルフォードは、女神を信仰しているのですか?」

「祈ったり捧げたりは一切しないが一応尊敬はしている、ぐらいの感覚だし、信者とは言えないな」


確かにこの数日、アルフォードにそれらしい様子は見受けられなかった。
では、あの寝言は単なる偶然という事になる。
まあ知ってはいるしそれなりに畏敬の念はあるようだから、寝言に出て来ても不自然ではないだろう。


「セネリオさんが居た大陸には何か信仰はあったか?」

「そうですね……。全ての生き物を創造した女神が大陸全土で信仰されていましたが、僕は別に信仰していませんでしたよ」

「そうなのか。まあ未来は自分の力で切り開くのが一番だからな、無理に信仰する必要も全然ないし」


アルフォードはそう言って気楽に笑ったが、あまり前向きな理由ではないのでセネリオは少しだけ後ろめたい気持ちになってしまう。
それ以上は何も訊かれなかったので話していないが。

公園で暫く過ごし、アルフォードの家へと帰る道すがら。
通り掛かった町長の家からアルフォードの叔父が出て来て、ランディから連絡が来ているからすぐに来いとの事。

そのランディとは、セネリオが壊した例の像を作った芸術家だそうだ。
セネリオさんも来た方が良いかもしれないとアルフォードに言われ、手紙か何か来ているのかと思ってセネリオもお邪魔する事に。
通されたリビングでセネリオはソファーに座り、アルフォードはすぐ側の四角い箱が掛けられた壁際に立つと……。


「ランディ、何かあったのか? まさか像が作れないとかそんな話じゃ……」

「え……?」


いきなり壁に向かって話し始めてしまった。
いや、正確には壁に掛けられた四角い箱……に付けられた、金管楽器の先のような形の部分に向かって話し掛けているようだ。
右手には四角い箱から伸びた線の先、これも金管楽器の先のような形をした物を耳に当てている。


「え、そうじゃない? ……じゃあ何の用だ…………………おいおい、そんな話誰から聞いたんだ」


先程からまるで誰かと会話しているようだが、この部屋に居る誰もアルフォードと話していない。
まるで、壁に掛けられたあの箱と会話しているようで傍目には余りに滑稽だ。
しかし雰囲気が余りに普通なので笑う事も出来ず、ただ呆然とするだけ。
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