序章:まるで再会のような


アイクが死んでから、二百年以上が既に経過した。
セネリオは故郷テリウスに帰る事なく遠ざかり、今は名も知らない地を独り彷徨っている状態。

だが、何故だろうか。
寂しさと悲しさは決して拭えないが、セネリオは、アイクが生きていた頃よりずっと穏やかに日々を過ごす事が出来ていた。
燃え上がるような恋心や愛が鎮まったから。
それもあるだろうが、一番の理由は恐怖から解放されたからだと思われる。
アイクが生きていた頃、彼に愛され共に在る日々は確かに、この上ない幸せに満ちていた。
だが反面、常にセネリオをある種の恐怖が包み込んでいた事は否めない。

アイクを失ったら。
アイクを喪ったら。

愛しい人が存在している故の恐怖。
永遠など望むだけ無駄だと頭では理解していたセネリオだが、心は飽く事なく、アイクとの永遠を求め続けた。
決して叶わぬ願い、例え寿命の差が無くとも、必然として避けられぬ終焉。
終わりは、全てのものに等しく訪れる。
始まりは終わりに繋がれ、終わりは始まりに結びつき……。
それだけは永遠と呼べるかもしれないが。

終わりが必ず始まりに結び付いているのなら。
いつかアイクとの関係のような日々が再び始まる日が来るのだろうかと、セネリオは考える。
だが、それを考えると、ふっと苦笑が洩れた。

まだ終わっていない、自分は事あるごとにアイクとの思い出に縋り、彼以外の者に靡く事など決して無いから終わらない。
己が死ぬまで、アイクとの日々は終わらない。
始めるには先に終える必要がある。だから二度と、彼と過ごした、あんな思いは出来ないだろう。
アイクが死んだ事による寂しさと悲しみと安心を、今なお続く彼への愛に包み込んで、胸の痛みさえ愛おしく思いながら、セネリオは彷徨い続けた。

向かう目的地は無い。
そもそも目的が無い。
やめたければやめる。
続けたければ続ける。

アイクとの愛を心の中で反芻して寂しさと悲しみを紛らわし、幸せだった日々を思い出す事による胸の痛みに酔い。
もし昔の自分が見たら、非生産的で無駄な時間の過ごし方で、全く愚かな行為だと馬鹿にしたであろう日々に明け暮れた。


「(昔は、アイクが死ねば自分も後を追う事しか考えてなかったから……)」


こうして生きている自分を疑問に思わなくなった事にまた心を痛め、セネリオは歩き続けた。


++++++


やがてセネリオは、とある町に差し掛かる。
海を望む高台の崖の上、そこまで大きな町ではないものの、行き交う人々は活気に溢れ、それなりに栄えている事が窺えた。
だがセネリオは特に感慨も無く大通りを歩く。
人波もそこそこで、歩くのには困らない。
取り敢えず宿でも取ろうと宿泊施設を探して歩いていると、不意に、とても懐かしい感覚が蘇った。

この感覚は……。
忘れたくても忘れられない、忘れるつもりも無い、愛しい愛しい彼の……。


「……アイ、ク?」

「危ないっ!!」


誰かのその声と同時か直後ぐらいに、セネリオは思い切り何かにぶつかった。
それが何かを確認する間も無く影が出来たかと思うと、何かがセネリオの上に落下して来る。
予想外に大きなそれは、セネリオを簡単に押し潰してしまいそうで……。

あぁ、つまらない死に方。
華々しく散る、または幸せに眠るのは一部で、生涯の終わりなんて実はこんなものかもしれない。

だがセネリオを襲った衝撃は横からで、飛ぶような勢いで思い切り押し倒され地面に倒れた。
直後、何か硬く重いものが割れるような、一瞬血の気の引く音が響く。
落下して来たものから庇ってくれたらしいセネリオを地面に押し倒した人物は、体勢を立て直しながら怒鳴りつけて来る。


「ボーっとするな、当たったら死んでたぞ!」


その声に、心臓を鷲掴みにされた気がした。

この声、懐かしい。
何度も名を呼んでくれた……存在を認めてくれた。
そんな筈は無いと思いながらも、自分を庇った者が体を退かし顔を上げるのを待つセネリオ。
やがてその人物が体と顔を上げ、セネリオと思い切り視線を絡めた。

そしてお互い息を飲む。
時間が止まり、絡み合った視線が外れない。

セネリオは確かに望んだ。
声を聴いて、それがあまりに愛しい人と瓜二つだったから、自分を庇ってくれたのが彼だったらと、有り得ない願いを。
当然頭の半分は、そんな事は有り得ないと冷めた思考を浮かべている。

だが、その人物は。
セネリオが望んだそのままの姿をしていた。


「あ……」

「……」

「……ア、イ……」

「アルフォード、何があったんだ、像が……!」


アイク、と言い切る前に、向こうから体格の良い中年男性が走って来る。
アルフォードと呼ばれた青年は立ち上がり、セネリオの手を掴んで立たせた。


「悪い叔父貴、像、完全に壊れた」


青年の視線の先には、粉々に砕けた像がある。
セネリオよりずっと大きなそれは、確かに、当たれば唯では済まなかった。
困ったように像を見る中年男性はセネリオに視線を向け、誰だと言いたげに怪訝な表情をする。
これは自己紹介より何より先に謝らねばならない。


「あ、あの、すみません……実は僕が衝突して……」


像をどこかに運んでいたのだろう、砕けた像の側には大きなリヤカーがあり、セネリオがそれに思い切りぶつかって元々不安定だった像が傾いてしまったらしかった。
中年男性は、とにかく像を片付けるぞと砕けた像をリヤカーに入れていく。
青年に倣って手伝うセネリオだが、その青年が気になって仕方がない。

その容姿、声など、全てが瓜二つ……いや、全く同じだったから。
もう二度と会う事の叶わないアイクの、若い頃に。 
 
 
「俺は町長に事情を説明して来るから、アルフォードはその子を連れて事務所に帰ってろ。リヤカーも持ち帰れよ」

「わかった」


中年男性は去り青年はリヤカーを引いて歩く。
それに慌てて付いて行きながら、セネリオは複雑な感情を抑えていた。


++++++


事務所と言われた建物に辿り着き、リヤカーを外に置いて中に入った。
質素な木造だが中は快適で、セネリオは応接用のソファーに通される。
どうにも気まずくて黙っていると、青年の方から話し掛けて来た。


「俺はアルフォードだ。あんたは?」

「セネリオ、です」

「幾つ?」

「……多分、あなたより年上だと思いますよ」


小さいけどな、と言う青年……アルフォードだが、セネリオは怒る気になれない。
大事そうな像を壊してしまった引け目もあるが、アルフォードの外見が一番の理由かもしれない。
アイクの若い頃と瓜二つ、寧ろ同じ容姿と声。
余りに似すぎていて、心臓の高鳴りが鎮まらない。


「あの、本当にすみませんでした……像を、壊してしまって」

「あんな所に放置してた俺にも非があるから、強く出れないんだがな。どうするか、って、弁償するしかないけど」


高価な像だったのだろうか、不安になるセネリオ。
話を聞くと、アルフォードは荷物を配達する配送業をやっていて、様々な荷物を町へ届けるらしい。
あの像は来年の町の祭りで使うもので、今まで長年使っていた像と取り替える為に遠い町の芸術家の元から持って来ていたのだそうだ。


「今年の祭りは終わったし、来年の祭りまで時間もあるから間に合わない事も無いだろうが、壊れた像の代金もまだ払ってなかった事を考えると……結構な額になるぞ」

「……」


気が遠くなる。
どうして、あんな大きな物を乗せたリヤカーに、あっさりぶつかったのか。
そう言えば、本当にどうしてぶつかったんだったかな、と、セネリオはあの時なにがあったか思い出そうとしたが、忘れた。
何か、自分にとって重大な事が起こった気がしたのに、思い出せない。
やがて中年男性……アルフォードの叔父で運送屋の営業主であるらしい彼がやって来て、また像を作って貰うよう芸術家に話をつけた事、像2つ分の代金を用意しなければならない事を告げた。


「(……? 芸術家は遠い町に住んでいるんじゃ…。話をつけたって、まだあれから半時も経っていないのに。魔道の類?)」

「こうなっちまったものは仕方ない、結局やるしか道は無いだろ。セネリオさんにも手伝って貰う事になるが、それでいいか?」

「えっ……あ、はい」


若い頃のアイクと同じ容姿と声を持つ男に、さん付けで呼ばれ戸惑った。
旅に目的も無いし、そもそも自分が悪いので手伝う他ないと諦める。
だが本心は、アイクに瓜二つなこの男と、一緒に居たいと思ったのかもしれない。


+++++++


壊した像の弁償の為に、この町に住み込んで配送業を手伝う羽目になってしまったセネリオ。
何て運が悪いんだと嘆こうとしても、アルフォードを見ると嘆けない。
今は事務所ではなく、住み込む事になったアルフォードの家に居る。
アルフォードの両親は幼い頃に死んだらしく、以来、彼は叔父や町の者に支えられつつ暮らしていたという事だった。


「配送業の仕事を選んだのもその為だ。町の荷物を運ぶのは恩返しにもなるだろうと思ってな」 

「はぁ……」

「家の中のものは自由に使って構わない。男の一人暮らしだから大したものは置いてないが……」


アルフォードの説明を話半分に聞きながら、セネリオは彼を見つめる。
世界には三人は顔の似た者が居るというが、これは異常だ。似ているどころか全く同じ容姿。
彼はアイクではないのか。
有り得ないと思おうとしても、期待が次々と頭をもたげて、どうしても否定が出来なかった。


「さて、セネリオさんの部屋をどうするか」

「別に賓客ではないのですから、リビングのソファーでも何でも構いませんが」

「でも女性にそれはな」


アルフォードの言葉に、セネリオは二つの理由で目を丸くした。
一つは、容姿や声は全くのアイクだというのに、彼では考え難い女性への気遣い発言をした事。
もう一つは、そもそも自分は女性ではないのに勘違いされた事に対して。
セネリオは思わず笑みが零れそうになったのを堪え、勘違いしているらしいアルフォードに告げる。


「僕は女性ではありませんから、構いません」

「は?」

「ですから、僕は男です」


今度はアルフォードが目を丸くした。
いや嘘だろ気を使うな、と更に勘違いした彼へ、再度自分は男だと告げる。
それで本当だと確信したらしいアルフォードは、何か大きな失敗をしたように手で目を覆い隠し、一つ盛大に息を吐いた。


「さっきマトモに顔を見た時、こんな美人がこの世に居るんだって、正直舞い上がったのに」

「……そうは見えませんでしたが」

「大事な像の手前、押さえてたんだ。暫く滞在する事が決まった時はガッツポーズしようかと思った」


目を合わせた時、彼がセネリオ同様息を飲んだのはそんな理由だ。
その言葉の端々から、やはりアイクとは違うんだと少々沈むセネリオ。
その思考に、セネリオは心中で己を嘲笑った。
容姿や声がアイクと同じでもアイクではない。
彼はアルフォードという人物であって、アイクを求めるのは筋違いだ。

だが、自信が無い。
このまま一緒に暮らし、果たして自分は彼にアイクを重ねずに居られるか。
アイクが死んでからも特に他人へ興味を示さなかった自分が、やや普通に接してしまっている以上無理なのではと思った。
そんなセネリオの心中など知る由も無いアルフォードは、構わず続ける。


「男なら問題ないな、両親の寝室なら二人部屋だから同室でいいだろ」

「あなたの部屋は?」

「両親が死んだのは俺がずっと小さい頃だったからな、同室だったんだ。さすがに将来は増築を考えていたらしいが、その前に二人とも死んだ」


ここで強く拒否しても、ただ余計な不審を煽ってしまうだけだろう。
容姿や声がアイク同然の男と同室になる事に一抹の不安を感じるセネリオだが、ここで要らない押し問答をする気も無かった。


「じゃあ、今日から宜しくな、セネリオさん」

「……こちらこそ」


差し出された手を握り返すセネリオだが、動揺か、その力は弱々しかった。




-続く-
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