初恋の再来


風が吹いた、

星が流れた、

振り向く先に、

思い出ひとつ。



麗らかな春の午後、アイクとマルスが初めて出会ったのは、そんな穏やかな陽気の中だった。

まだ10歳とは言え一国の王子であるマルスと、傭兵団長の息子であり護衛と遊び相手を兼ねた役目を与えられたアイクは、住む世界が違う。
どちらも同じ年頃の遊び相手は初めてだったが、お互いに目を見張り、格好や雰囲気の違いに内心で驚いていたものだ。
どちらかと言えば内向的なマルスは、活発なアイクに振り回されて戸惑う事も多かったが、二人は次第に打ち解けて行く。
以前は人見知りで大人しかったのに今は明るく笑うマルスの様子に、王族である彼に対しあっけらかんとした態度を取っていたアイクへの、奇異や侮蔑、叱責の眼差しと言葉も、次第に無くなって行ったのだった。


「アイクの父上はとっても強いんだってね。ぼくの父上が、アイクの父上は頼りになるって、そう言ってたんだよ」

「ああ、おれのオヤジはすっげー強いんだ。おれもいつか、オヤジみたいになってやる!」

「ぼくも父上みたいな、りっぱな王様になりたいな」


将来の夢を語り合う少年達は、実に微笑ましい。
賢王と名高い国王と、そんな王に信頼を寄せられ雇われている傭兵団長。
二人の父親はお互いに立場は全く違うが、確かな信頼関係がそこにはあるようだった。
アイクとマルスは、いつか自分達もそんな信頼関係を築ける大人になりたいと常々思っている。
折角仲良くなれたのに、大人になったらサヨナラ……なんて虚しすぎる。


「王様になったら今よりずっとあぶない事もあるだろうけど、おれが守ってやるから安心しろな」

「うん……ありがとうアイク、大きくなっても、ずっと一緒にいようね」


微笑ましい少年の友情。
誰もが二人の明るい将来を信じて疑わなかった。

当の少年達が、親密に、あまりに親密になってしまいさえしなければ。
この時はまだ誰も、当の少年達でさえ知り得なかった大きな歪みは、この時既に、生まれていたのかもしれなかった。



二人が出会ってから一年が過ぎようとしていた頃。
急にアイクの父が、王城を出ると言い出した。
アイクもマルスも納得がいかずに抗議するが、アイクの父は頑なで、発言を撤回したりしない。


「何なんだよ、オヤジのやつ……。何年も城にいることになるから途中で投げ出すなって、来る前にさんざん言ったくせに」

「アイク……行っちゃうの? 戻ってこないの?」


悲しげに俯いて呟き、瞳に涙を溜めるマルス。
そんなマルスにアイクは慌てて、大丈夫だから、すぐ戻るからと宥める。
折角同じ年頃の友人が出来たのに、このまま自然消滅なんてしたくない。
それは二人とも同じだ。


「な、泣くなよマルス。また絶対に戻るから、それまでケガとか病気とかするなよ」

「ほんと? ほんとに、また会える?」

「ああ。だって約束したじゃないか、おれはマルスを守るんだからな」


大好きな明るい笑顔で胸を叩いたアイクに、マルスも涙を拭い笑顔になる。
まだ子供だと言うのに、何故かアイクの言葉は頼り甲斐があって信じたくなる力強さがあった。
きっとまた会える、友情は変わらない、そんな想いがスッと胸に入り、染み渡る。


「わかった。ぼく、アイクのこと待ってるよ。楽しみにしてる」

「ああ、ぜったいにまた会おうな。約束だ!」


次に再会した時が、悲劇の始まりになるのだと。
そんな事は露ほども知らずに、アイクとマルスは手を握り合った。


++++++


アイクが王城を去ってから数年、齢16を数えるようになったマルスは今もアイクを待ち続けていた。
各地を転々と旅しながら仕事をしているらしく、手紙などの連絡手段はなかなか出し難い。
今は何をしているのか、元気でいるのか、心配でならなかった。
それにアイクがどんな成長をしているのか、とても興味がある。
自分も剣術や乗馬などの鍛錬をやっているとは言え、傭兵家業の彼とは雲泥の差なのだろう。
彼の隣に立つに相応しい存在になりたい、支え合える関係になりたい、その思いは今でも強くあった。


「アイク、元気で居てくれたら嬉しいけど……。今なにしてるのかな」


まるで帰らぬ恋人を待つ科白のような己の呟きに、マルスは苦笑した。
寂しさと不安、それと同じだけの期待が胸に渦巻いていて、どうにも平常心ではいられない。
本当に彼に恋をしているようだと、いつかアイクと言葉を交わしたバルコニーから空を見上げ、ひとつ溜め息を吐くマルス。
会えない上に文面で思いを伝える事さえ出来ない現状は、ただ不安ばかりを大きく募らせる。
会いたい、でも会ったら何と言われるか、でも会いたい……ぐるぐると頭を回る思考は堂々巡りだった。


「怖い、けど、そろそろ会いたいよアイク」

「俺もだ」


突然聞こえた男の声。
聞き慣れない、でもどこかで聞いた気もするその声は背後から。
今は自室のバルコニーに居るから、背後は自室で……。
振り返ったマルスの前には、一人の、少年とも青年ともつかぬ男が。
自分よりやや濃い蒼の瞳と髪……無愛想だが怒っている訳ではなさそうだ。
暫し、傍らの剣を手に一体何者かと考えていたマルスだが、やがてハッとしたように目を見開く。

まさか、そんな、


「……アイ、……ク?」

「何でそんな自信無さげなんだ。俺はそこまで変わったのか?」


変わった。
いや、気付けば確かにアイクだと分かるのだが、以前は天真爛漫にくるくる変わっていた表情が精悍に引き締まり、声変わりした声は低く腹に響く。
そして身長が伸び、鍛錬したであろう体には逞しい筋肉が波打っていた。
「子供」から「男」へと変貌していたかつての親友に、目を見張るマルス。
そうして押し黙っていたのを怒ったと勘違いしたのか、アイクは少し決まりが悪そうに謝った。


「あー…。驚かそうと思って勝手に入ったのは悪かった、もうしない。だからそんなに怒るなよ」

「い、いや、別に怒ってなんかいないさ。ただ、少し驚いてしまって…。凄く成長したねアイク」

「ん? ああ、言われてみればそうかもな。お前も成長してるぞマルス」


星々の輝く夜、就寝前だったマルスはゆったりした寝衣姿だったのだが、そんな服の上からでも伸びた身長や変わった身体の作りはよく分かる。
だがアイクに比べ、細くて頼りなくも感じる体格は何だか悔しかった。
だが今は体格の事などで時間を潰している場合ではない。
数年間、会いたくて堪らなかった親友が今、目の前に居るのだから。


「アイク……会いたかった、君が無事で居てくれて何よりだよ」

「俺はお前を守ってやらないといけないからな、そう易々と死にはせん」

「だって、傭兵家業だなんて常に死と隣り合わせじゃないか。心配にもなるさ」

「……マルス。生き物は皆、生きている限り常に死と隣り合わせだ」


突然、ふっと表情を曇らせたアイクの声は重々しく、ギクリとするマルス。
この数年で様々な経験をしたのだろう、何だか自分より随分と大人びて見え、少し置いて行かれたような気になった。

さて、再会を堪能し合った所でマルスには、自分の護衛をしてくれるアイクに伝えておかねばならない事があった。
自分の立場を脅かしかねない、重大な事だ。


「そうだアイク、君がいなくなった後に大変な事が分かったんだ。僕に……」

「兄がいたんだろ?」


あっさり返したアイクに、暫し呆然とするマルス。
実は数年前、アイクの父がアイクを連れ城を出た理由は、マルスを取り巻く環境に対しアイクが余りに力不足だったからだ。
世継ぎである王子の遊び相手と護衛、そんな大役は国内の諸貴族や有力者などが狙っている。
自分の子供が王子の遊び相手として気に入られれば、現王や次期王に取り入る機会が訪れるだろう。
その位置に平民であるアイクが居た事は、かなり不評を買っていた。

そして現王から、むかし死別した側室との間に男児が一人いる、つまりマルスに兄がいるという話を聞いたアイクの父は、王子本人達が望まずとも必ず、マルス派と彼の兄派に分裂した派閥争いが始まると読んでいた。
既に有力な貴族やアイクたち傭兵団が周りに居る以上、今からマルスに取り入るのは難しい。
マルスに取り入り損ねた者達が、まだ後ろ盾の無い兄の方に取り入ろうとするのは明白。
取り入った後はより大きな権力を得るため兄を王にしようとするだろうし、マルスの方に取り入っている有力者たちは、それを阻止しようとするだろう。


「以前の俺じゃ、そんな中でお前を守るなんてまず不可能だったからな。事が動き出す前に一旦城を出て、野心のある権力者たちの手が届かない場所で強くなる必要があったんだ」

「そうだったのか……まさか僕の為だったなんて。本当にありがとう」

「ああ。何にせよ、まだ完全には始まってないみたいだな。間に合って良かった」


お互いを気遣い、ゆったり見つめ合う二人。
マルスの周りは権欲に塗れた者が殆どで、こんな風に身を削ってまで真摯に思いやってくれる者なんて、まず居ない。
こんな人にずっと側に居て欲しいと、マルスは真剣にそう思っていた。
地位や権力があれば、ただでさえ下心を持つ者が周りに集まり易い。
そんな中にアイクが居てくれたら、どれだけ頼もしいか、支えになるか。


「僕も、それだけの人間にならないと。君が僕の護衛にやり甲斐を感じるような、君の隣に立つに相応しい存在に」

「どうしたんだ、急に。まあ俺は、お前のそんな所が好ましいと思うぞ。努力しない奴は嫌いだ」

「ふふ……。じゃあ嫌われないように、頑張らないといけないね」


これから何が起きても、二人で支え合って行こう。
そう誓った二人は、強くなるべく精進する。

マルスは次期国王となるべく政治などの勉学に励み、アイクは父と共に傭兵団を率いて、賊から国境の小競り合いまでを勝利し名を上げて行った。
護衛、そして同じ年頃の友人として接して行くうちに、二人はどんどん親しくなって行く。
そして再会から一年、ついに危惧していた事が起こってしまった。


「アイク。僕の兄上が正式に、世継ぎの座を明け渡すよう言って来たよ」

「そうか……。お前はどうする、全面的に争うか、それとも明け渡すか」

「明け渡すなんて、僕を支持している勢力が認める筈なんて無いさ。でも傀儡になるつもりなんてない。君の隣に堂々と立つ為に、僕はこの国の王になる」


マルスは真っ直ぐにアイクを見つめて、告げた。
揺らぎの無い、それ以外の理由など有りはしないと示すその態度は、アイクに戸惑いを覚えさせる。

“君の隣に堂々と立つ為に、僕はこの国の王になる”…?


「マルス、お前……俺の隣に立つ事が目的じゃないだろう」

「えっ? ……あ、っと……」


マルスも自分の口から自然と出た言葉に気付き、唖然としてしまった。
本人も驚くほど意識せずに出たとは、それが揺るぎない本心だと示す。
良き王になるには、何より国と民の事を考えていなければならないのに……。
マルスは慌てて首を振り、違う違うと否定した。
王になっても君に側に居て欲しいと思ってたら、混ざって変になったんだよ……と乾いた笑いを出す。


「あはは……変なこと言ってしまったね。ごめん、気にしなくていいから」

「……心配しなくても、離れたりしない」


笑い事にしようと思っていたのに、アイクから返って来たのは真摯な言葉。
真面目な表情で真っ直ぐに注がれる視線は、逸らす事を許さない。


「ずっとお前の側で支えててやる。だから安心して王になれ、父を超える程の賢王に。お前ならきっと出来る」


出来る、自分は出来る。
アイクに言われると本当に自信が付いて、何が起きても大丈夫な気がした。
マルスはアイクの言葉に本心を押し込める。
自分でも余りに信じ難い、王になるよりアイクの隣に居る事の方が大事だという、そんな本心を。

きっとアイクの言葉が、マルスを一番大事だと示しているようだったので安心したのだろう。
そんな事で安心すると言う事は、結局、本心と然ほど変わっていないと、マルスは気付かなかった。
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