鷲は蝿を捕まえない。
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珍客、と言えばいいのか。
スマブラファイター達が暮らすピーチ城の医務室、Dr.マリオの助手として働いているセルシュの目の前には、実例を鑑みると居る筈の無い人物が。
魔王ガノンドロフ。リンクやゼルダの故郷を支配せんと幾度も暗黒に陥れている張本人だが、何の因果か神の悪戯か、スマブラファイターとしてこの世界に召喚されていた。
仮想空間である乱闘ステージでの怪我は現実には反映されないし、ひょっとすると乱闘以外で怪我を負ったのだろうか。
しかし今まで彼程の力の持ち主が乱闘以外で怪我を負うなど殆ど無かったし、例えあったとしても絶対に医務室へは来なかった。
「……ど、どうも」
反応無し。気まずい。
はてさて彼は怪我で来たのか、具合でも悪いのか、それとも別の用事か。
……どれも考えられない。怪我や病気だとして彼が他人に頼る様子が想像できないし、医務室やドクター、セルシュ個人に何か用事があるとも思えず。
勇気を出して引き取って貰おうかとも思ったが、いやいや、こんな事では駄目だと思い直した。
戦えない自分に出来るのはファイター達を癒す事、何かあれば話を聞く事。
ガノンドロフはファイターとしてピーチ城に居るし、協調性は薄いが然したる問題も起こしていない。そんな人を追い返しては他の仲間達にも合わせる顔が無くなってしまう。
「お怪我ですか、それとも具合が悪いんですか? あ、立ちっぱなしも何ですのでこちらへお掛け下さい」
手遅れかもしれないが、何でもない風を装って椅子に座るよう促す。
入り口辺りに突っ立っていたガノンドロフが歩み寄って来てようやく話を聞いてくれたかと思ったら、いきなり一枚のハンドタオルを差し出して来た。
瞬きをして一体何かと思考を巡らせ、すぐにそれが自分の物だと思い出す。別に落とした訳ではない、これはガノンドロフに渡したもの。
3日ほど前、庭を歩いている時にセルシュはガノンドロフに出くわした。
しかもファイターの子供達が遊んでいた泥塗れのボールが跳ね、歩いていたガノンドロフの横っ面を叩いたという場面に。
顔面蒼白になる子供達を確認するや否や、セルシュはガノンドロフの元へ走り寄り、すぐさまハンドタオルを差し出したのだった。
薄青かつ無地のシンプルなもので、こんな時に可愛らしい色や柄の物を持ち歩いてなくて良かったと、心の中で息を吐きつつ。
「大丈夫ですかガノンドロフさん、お怪我は。このハンドタオル良かったら使って下さい、不要になったら捨てて構いませんから」
押し付けるようにハンドタオルを渡すとすぐさま子供達の方へ向き直り、人に物をぶつけたら謝らなきゃ駄目だよ、と諭す。
おどおどしていた子供達が近寄って謝ると、ガノンドロフは無言で立ち去った。
子供相手に怒るのも馬鹿馬鹿しいと思ったのかは分からないが、何事も無くて良かったとセルシュも子供達も安堵したものだ。
不要になったら捨てて良いと言った物を、わざわざ返しに来たという事か。
しかもハンドタオルは綺麗になっており、きちんと洗濯されていて……まあ洗濯物は城仕えのキノピオ達に任せているので、やったのは彼らだろうけれど。
セルシュは少々唖然としていたが、いつまでも手を差し出させる訳には行かないと思い彼からハンドタオルを受け取った。
「返しに来て下さったんですね、わざわざ済みません。有難うございます」
貸した物を返されて礼を言うのはおかしいかもしれないけれど、まさかガノンドロフが返しに来るとは思っていなかったので思わずと言った体で口走る。
ガノンドロフは相変わらず無言のまま、踵を返して医務室から出て行った。
彼を見送ってからセルシュは、渡されたハンドタオルを眺める。
返して貰った時は笑顔さえ浮かべてしまい、かつて一つの世界を滅ぼしかけた魔王を相手にしていたとはとても思えない時間だった。
捨てて良いと言った物をわざわざ洗濯に出し、手ずから持って来るなんて。
「案外悪い人じゃないのかな、ガノンドロフさん」
リンクやゼルダに聞かれたら全力で否定されそうな事を口走るセルシュ。
先程までの重い気持ちが嘘のように晴れ、軽くなって浮かれた気分に変わる。暫くこのハンドタオルは使わないようにしようかな、と、良く使うデスクの引き出しに仕舞い込んだ。
そんな事があってから数日、セルシュは自分がとある行動を取っている事に気が付いてしまった。
ふと気付くと、視界にいつもガノンドロフが居るような気がしてしまう。
庭を歩いて、ふと視線を巡らせると彼方にガノンドロフの姿がある。
サロンへ行くと、ガヤガヤ騒ぐ多数のファイター達の中からガノンドロフの姿が浮かび上がる。
初めは何故ガノンドロフがいつも居るのかと疑問だったが、よく考えたら彼は普通に出歩いていた。
協調性が薄いとは言え部屋に引き籠っている訳では無いし、庭に出たりサロンの隅に居たりは日常の一部。
それなのに急にガノンドロフが視界へ入って来たのは、セルシュが彼を意識し始めたからに過ぎない。
今まで特に何の関係も持たなかった者と少しとは言え関わったのだから、これは仕方ないだろう。
それに他人など気にしないと思っていたガノンドロフが、気遣いのような行動を見せ……意識するなと言う方が無茶だ。
それからセルシュは、何かとガノンドロフへ近寄るようになって行く。
彼の邪魔はしないよう控え目に、言葉少なにを心掛け、決して食い下がらない。彼が反応しなければすぐに諦めるし、応じてくれれば穏やかに相手をする。
そんなこんなで、いつしかガノンドロフと一緒に居る事が多くなったセルシュ。
周りのファイター達はやや唖然とした様子で、怖々とそれを見ていた。
何かあればセルシュが殺されてしまうのではと心配で、しかし笑顔で接する彼女を見ていると無理に引き離せない。結局、ただ見ている事しか出来ないのだった。
++++++
セルシュとガノンドロフの至って穏やかな交流が始まって二ヶ月ほど。
料理の不得意なセルシュはピーチやゼルダと一緒に焼き菓子を作っていた。
「セルシュ、分量はきっちり計らないと駄目よ。ただでさえあなた料理が苦手なんだから」
「そうそう、ちゃんと生地を混ぜて下さいね」
「む、難しいです……」
菓子としては簡単な域に入るものでさえ、悪戦苦闘しながらのセルシュ。
その焼き菓子はファイターの皆に振る舞うけれど、彼女の脳内には例の人物が大きく存在している。
……果たして食べて貰えるだろうか、それ以前に受け取って貰えるだろうか。
今まで彼のペースを乱さないよう気を付けていたつもりだけれど、この交流をどう思っているかは彼次第なので。
取り敢えず今回も、受け取って貰えないならすぐに引き下がるつもりだ。
やがて焼き菓子が出来上がり、ゼルダはファイターの皆と食べるものとは別に、焼き菓子を袋へ詰めているセルシュに気付いた。
今までの彼女の行動から考えれば、あれを誰に渡す気なのかはすぐに分かる。
「……セルシュ、その焼き菓子はひょっとして……」
「あ、はは……。やっぱり隠し通すなんて不可能ですね。お察しの通り、ガノンドロフさんに渡します」
「勇気あるわねセルシュ、私ちょっとあの人が恐いわ。近付くだけで震えちゃう」
やや冗談めかして笑うピーチとは裏腹に、真剣な表情を隠さないゼルダ。
さすがに自国を滅ぼしかけた魔王が相手となると心中穏やかではないのだろう。
彼女がセルシュを大切な友人の一人に数えているから、尚更。
「どうして、そんな風に彼へ近付くのですか? ひょっとして何か脅されているとか……」
「え、まさか! わたしみたいに何の能力も無い小娘一人を傍に置いた所で、彼に何の得もありませんよ。戦いなんて出来ないし、かと言って戦略を立てられるような頭も無いし」
「では、自主的に近付いているのは確かなのですね。一体何故なのです?」
「……えっと、何ででしょうね、分かりません」
全く滑稽な話だが、セルシュも本当に分からないのだから仕方ない。
ただ唯一言えるのは、どうしてだかセルシュ自身、ガノンドロフが気になってしまうという事。
少しでも心配を和らげようとセルシュは、ハンドタオルの件やここ二ヶ月ほどの交流の事を話してみた。
普段の彼からは考え難い行動に、ゼルダもピーチもただ瞬きを繰り返すばかり。
「すごーい……。彼そんな事する人だったの? ちょっと信じられない」
「セルシュがこんな時に嘘を吐いたり冗談を言ったりするとは思えませんし、本当の事でしょうね」
「わたしも何が何だか……どうにも気になるので、邪険にされないうちは今のまま付き合おうと思います」
「分かりました。ではセルシュ、こちらのお菓子は私達で持って行きますから、そちらのお菓子を彼へ持って行ってあげて下さい。きっと彼、わざわざ食べに来ないでしょうから」
「はーい!」
ゼルダの言葉にセルシュは承認を得た気分になって、袋に入れた焼き菓子を手にキッチンを後にした。
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