16章 海原女神の祭
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地上に降りた天国……蒼と白に包まれた美麗なる町で起きた思わぬ再会は、衝撃的なものだった。
ラエティアの王城から脱出する際に囮役を自ら買って出て、行方知れずとなったヘクトル。
王女達を待っていたのは記憶を失った彼との再会。
ルミザ達はヘクトルや領主親子に事のいきさつを説明するが、3人とも困った顔をするばかり。
当のヘクトルが一番困った顔をしていて、話を聞き終わった後に溜め息を吐きながら口を開いた。
「……そんな事を話されてもなあ……。お前らは俺にどうして欲しい?」
「それは、私の旅に付いて来て貰えれば心強いのだけれど……。あなたが何も覚えていないのでは、連れて行けないわ」
「そもそもヘクトル、お前なんで自分の名前だけは覚えてたんだ?」
ロイの至極当然な疑問に、ヘクトルは懐から千切れたミサンガを出した。
これはヘクトルが昔からお守りにしている物で、やんちゃだった彼の行動で千切れてしまっている。
しかしそこには確かに、彼の名が記されていた。
他に身元の証明になるような物が無かった為、この文字を名前にしたとヘクトルは話してくれた。
どうやら3週間近く前、町から離れた平原に倒れていた所を通りすがった領主に救われたらしい。
3週間近く前ならば丁度ラエティアの王都が陥落した時期。
しかしロイの時と同じ疑問が浮かんでしまう。
どうやって助かったか、どうやって他国までやって来たのか。
すっかり黙り込んでしまったルミザ達の代わりにエフラムが口を開く。
「記憶が無いんじゃ、分かりようがないな……。しかし皆、彼を連れて行きたいんだろう」
「……どうしても、そうしたいのですか?」
ルミザ達の代わりに応えたのはアンジェリカ。
彼女は悲しげに眉を下げて、隣のヘクトルに寄り添っていた。
「ヘクトルは何も覚えていないのです。例え思い出したとしても、付いて行きたいと思うか……」
「ヘクトルだってルミザ様に忠誠を誓ったんだ。記憶さえ戻れば絶対にオレ達と一緒に行きたいって思うさ!」
ロイは絶対の自信を持って告げるが、当のヘクトルはやはり困ったような顔をしていた。
幼いころから慣れ親しんでいる彼が今は赤の他人のようになっているなど、ルミザとしてはとても信じたくない物である。
「困ったわね……」
「え?」
ルミザの隣に座っていたテティスまでもが、困ったような表情。
小さい呟きはルミザ以外には聞こえなかったようだが、一体何なのか。
考え込んで思い出したのが、ネブラでテティスが語ってくれたエスタースの話。
確かその中に、領主の娘が護衛に恋をしたとかいう話があったはず。
間違いなくアンジェリカの事で、それに恋をした護衛とは……まさか。
そんな、まさか、の思いを肯定するかのように、アンジェリカが俯いたまま悲痛な声を上げた。
「……どうかお願い致します、彼を連れて行かないで下さいませ……! たった3週間程度しか居なかったとは言え、大切な……従者なのです!」
「アンジェリカ、私も彼は惜しいが、こんな事情があっては……」
「お父様からもお願いして下さい! こんな別れ方なんて嫌ですわ!」
父の返答を待たずに立ち上がったアンジェリカは、走って退室する。
ヘクトルはちらりとルミザ達の方を見たが、すぐに領主と顔を合わせて頷くとアンジェリカを追い掛けて退室した。
震える声、俯いたまま上げない顔、きっとアンジェリカは泣いていた。
何だか悪い事をしてしまった気分になり、ルミザの心が静かに痛む。
「皆様、お見苦しい所をお見せしてしまい申し訳ありません。しかし娘は随分とヘクトルを慕っているようでして……。まだ滞在するのでしたら、心の整理がつくまで待って頂けませんか?」
「はい、領主様。こちらとしてもミカヤさんに会わねばなりませんし、当のヘクトルの記憶が無いのでは……」
無理に連れて行けません、と言いかけ、言葉に詰まり飲み込むルミザ。
幼なじみで親友で生死も知れなかった彼と再会できたのに、諦めるなどと軽々しく言えなかった。
領主と別れて宿に戻り、窓から水平線を眺めつつ溜め息を吐く。
かなり高い崖、見晴らしは最高なのにあまり気分を晴らしてくれない。
「……こんな仕打ちって、あんまりだろう?」
「エリウッド?」
ベッドの縁に腰掛けたまま俯くエリウッドが絞り出すように呟く。
そう言えば彼は領主の屋敷で、ヘクトルの記憶が無いと発覚してからずっと黙り込んでいた。
ラエティア幼なじみの中でも特にヘクトルとエリウッドは仲が良い。
同い年な上に、貴族の子息が通う学問所で彼らは二人で一人のようだった。
ようやく再会できたのに、まさか記憶喪失だなんて……冗談と思いたい。
ロイが複雑そうに眉を顰めて、明後日の方向を見つつ口を開く。
「ヘクトルの記憶って取り戻せないのかな、医者に診せて治るってもんでもないんだろ? まさか自然に戻るのを待つ事しかできなかったりする?」
「それしかないだろうが……記憶が一生戻らなかった例もある。あまり楽観もしない方がいい」
エフラムの返答に、エリウッドは益々気落ちした様子で小さく呻いた。
ルミザとしては、ヘクトルに惚れているらしいアンジェリカも気になる。
彼女はマテリア探しや邪神には何の関係も無い、無いからこそ純粋な恋心を向けている彼女に悲しい思いをさせたくない。
……だからと言って、再会できたヘクトルを諦めて旅立つのも無理だ。
同じく再会を心待ちにしていたエリウッドやロイにも、彼を諦めろだなんて言える訳がない。
「ヘクトル本人も困っていたわよね……彼が自主的に、私達に付いて来たいと思ってくれれば何の問題も無いのだけれど……」
「あーもう、まさかこんな事になるなんてな」
ロイが疲れたような声音と共に、背伸びして溜めた息を吐き出す。
エリウッドは相変わらず黙って俯いたまま。
いたたまれなくなって再び向けた水平線には真っ赤な太陽が沈んで行く。
崖に並ぶ真っ白な建物が淡い橙に染まり、幻想的な美しさが夢のよう。
だが折角の美麗な風景も、今のルミザ達にとっては無意味なものだった。
「……明日は海原女神を讃える祭りか。こんな時こそ奇跡でも起きて、ヘクトルの記憶が戻ってくれりゃいいのにな」
「そうだな、世間は一年で一番楽しい日だろうに……無情なものだ」
ロイとエフラムの会話をどこか遠くに感じながらルミザは窓から外をじっと見つめる。
真っ赤な太陽がまさに、水平線の彼方へ沈んで行くところだった。
++++++
その日の夜。
アンジェリカは一人こっそり屋敷を抜け出し、少し離れた高台を訪れた。
溜め息と共に考えるのはヘクトルの事で泣きそうになりながら空を見る。
我が儘を言ってはいけない事など分かっている。
記憶を失くし自己の存在に悩んでいたヘクトルに拠り所が見付かったのだから、彼を想う者としては快く送り出してあげるのが筋だろう。
実際ヘクトルも、ルミザ達が帰った後に考えたのか、アンジェリカの元を訪ねてこう告げた。
覚えていない過去を知る彼女達に付いて行きたい、不安定な自分が根を張れるかもしれない場所に賭けてみたい……と。
本当に好きなら相手の幸せを願うのが正しいのは分かっているのだが。
「……わたし、そうやって好きな人を笑顔で送り出せるほど、大人じゃありませんもの」
「悲しいわよねえ」
突然誰かの言葉が割り込んで来て、アンジェリカは驚き辺りを見回す。
ぱっと目を向けた背後には自分より年下に見える愛らしい少女が。
鮮やかな緑の髪と瞳の少女は、その美貌にそぐわぬ怪しげな笑みを浮かべて近づいてくる。
他に誰も居ないからかアンジェリカは警戒もせずに少女を見ていた。
「初恋かしら? 急に現れた女に憧れの人を奪われるなんて悲劇ね」
「仕方ありませんわ……。彼の本当の主人とご友人を、わたしが引き離すなんて」
「それって本当の事なのかしら?」
少女の言葉に、アンジェリカは息を詰まらせる。
確かに彼女達の証言以外に証拠など何一つ無い。
そう言えばヘクトルはこの3週間でかなりの働きをしてくれ、近隣地域では割と噂になっている。
もしルミザ達がヘクトルの噂を聞いて、引き抜きを画策していたら?
元々ヘクトルを渡したくなかった気持ちもあり、一度疑うと次々に疑惑が首をもたげてしまう。
アンジェリカに生まれた迷いを見逃さず、緑髪の少女は彼女の耳元で囁いた。
「ルミザとかいう女達さえいなければ、愛しの彼はきっとあなたの側を離れないでしょうね。もし私に協力してくれるなら、願いを叶えてあげるわよ」
「……」
その言葉は、悪魔の甘美な誘惑のように。
アンジェリカはもう頷く事しか出来なかった。
++++++
翌朝ざわめきで目覚めたルミザ達は、宿から出て下の海岸を見て驚いた。
大波が海岸を侵食しているかのような人混み。
海岸だけではない、家々の間を縫う白亜の道も多数の賑わいを見せている。
ヘクトルの事もあってすぐさま祭りへ駆け出す気にはなれなかったが、祭が終わるまで宿に引き篭もっているのも不健康だ。
行ってみようかと宿で朝食を取りながら話していると、テティスがやって来る。
「おっはよう皆さん! 祭りには行くのかしら?」
「お早うございますテティスさん、折角なので行ってみようかと」
「じゃあ私が案内してあげるわ。夕方にあるミカヤの踊りも特等席で見せちゃうわよ!」
ミカヤ……テティスの次に海原女神を讃える巫女の役目に就いた女性。
昨日の領主との会話で、占いが得意だという話が出ていたので、何か虹の巫女の手掛かりを得られるかもしれない。
……あわよくば、ヘクトルの記憶を取り戻す方法も一緒に……。
早いうちにミカヤがどんな女性か見ておくのも悪くはないだろう。
先に見たからと言って何がある訳でもないだろうが、祭りの終わりは2日後の事なのだそうだ。
取り敢えず今は、少しでも気を紛らわす為に何か行動していたい。
テティスに案内を頼んで、ルミザ達は海原女神を讃える祭りへ繰り出す。
人混みを縫いながら賑わいの中を歩いていると頭がくらくらしそうだが、年に一度のハレの日の楽しい雰囲気は、沈んだ気持ちを上げてくれた。
そんな中、前方にヘクトルの姿を発見する。
見ればテーブルの紙に何かを記入していて、近くの看板には“武術大会 受付”の文字。
それを見たロイは声を掛けるのを躊躇うルミザ達を見て、ここは自分が行かねばと決意する。
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