なぎれお

 ページを最後までめくり終わって、続きが気になると思った。

 凪にとって漫画を読むことは、ゲームと同じく単なる暇つぶしだ。
 寝るのも忘れて没頭してしまうようなものは少ないが、偶にこうして続きが気になるような面白い漫画に出会うこともある。
 これは久しぶりの「当たり」だ。

 開いていたアプリを閉じて、顔を上げる。
 スマホも放り出して、ベッドの上でしばらく余韻に浸っていると、隣のデスクに座っていた玲王が凪の様子に気がついて振り返った。

「どうした? 腹減ったか?」

 玲王は玲王で、タブレットで本を読んでいたようだった。玲王が読むのは主にビジネス書で、漫画はあまり読まない。

 常にストイックな玲王も、今日みたいに天気が悪かったり、ジムが休みのときはこうして凪の部屋で一緒にだらだら過ごすこともある。
 オフでもなんだかんだ動き回っている玲王が、凪のようにぐうたらしているのはかなりレアだ。サッカー以外の趣味はまるで合わないので別々のことをしているのだが、凪はこういう時間が好きだった。

「ううん。面白い漫画だったから、余韻に浸ってた」
「珍しいな。なんてやつ?」

 聞かれるまで、タイトルなんて気にしていなかった。アプリを開き直して、出てきたタイトルを読み上げる。

「ああ、知ってる。去年映画化してたな」
「へー。観てみようかな」
「俺もそれ買ったわ」
「お、意外」

 恋愛モノの少女漫画だ。玲王の趣味に合うとは思えなかった。

「そんとき付き合ってた子が好きだったんだよ。映画も観に行った」
「へえ」

 元カノの話は、あまり気分が良くない。
 目を細めた仕草から凪の不機嫌をめざとく察して、玲王が笑ってフォローする。

「今はもう付き合ってねえよ。サッカー始めるより、だいぶ前に別れた」
「別に聞いてないけど」

 聞いてないけど、もやもやした気持ちは少しマシになった。さすがの人身掌握術だ。

「俺はこれからお前と、サッカー一筋にするって決めたからな」
「それって二筋じゃない?」
「いいじゃん。両方欲しいんだ、いいだろ?」
「欲張りさんだなぁ」

 めんどくさがりで欲が薄い凪には、よくわからない感覚だ。
 この尽きない欲望が玲王の原動力だというのなら、今その対象が自分だというのは少しだけ誇らしい。まあ、めんどくさい気持ちのほうが強いけれど。

「面白かった? 映画」
「うーん。正直あんま覚えてねえな……」
「えー」

 漫画は面白かったのに、映画になると途端につまらなくなるのはよくあることだ。

「観るか? 映画、サブスクに入ってるぞ」
「どうしよ。微妙なら観たくない」

 迷っていると、玲王が持っていたタブレットを凪に差し出してきた。

「ほれ。こんな感じ」

 タブレットには話題になっている映画のあらすじとサムネイルが表示されていた。玲王からそれを受け取って、概要を流し読みする。

 役者には全然興味がないので、知らない名前ばかりだ。雰囲気は良さそうで、長さも短く、暇つぶしには丁度いいかもしれない。しかし、今読んだばかりの感動に水を差されたくない気持ちもあって難しい。

「うーん……」
「それ見て思い出したけど、ヒロインの女優が結構かわいかったな。よくある恋愛ものの邦画って感じだった気がするわ」

 映画を観る前に、玲王に水を差されてむっとした。漫画と映画は違うとはいえ、自分が気に入ったストーリーを否定されたみたいだ。
 普通なら見逃すような些細な反応だったが、玲王はめざとく気づいて反応した。

「悪い、無神経だったか」
「いいよ。別に」
「拗ねんなよ。凪がそういうの好きなの、意外すぎて忘れてた」
「ふん」
「ごめんって」
「気にしてないし。観るのやめた」
「なーぎー」

 機嫌を取るように甘えた声を出す玲王を無視して、動画アプリを閉じた。
 つい、そのまま自分のタブレットを操作するときの手癖で、読書アプリのアイコンを触ってしまう。

(あ、これ玲王のタブレットだった)

 自分は見られて困るような本は読んでいないし、玲王もたぶんビジネス書しか読まないだろう。そう思って何気なく本棚を見てしまって、違和感に気づく。

「あっ」
「え」

 マーケティング、データサイエンスなどカタカナが並んだ本のすぐ隣に

『彼氏を夢中にさせる10の方法』
『恋愛心理学入門』
『男が虜になるセッ……

「うおおぉぉーーーー!!」

 玲王が飛び込むようにして、凪の手からタブレットを奪った。

「お、おま、マナー違反だぞ!」
「えっと……なんかごめん」

 顔を真っ赤にした玲王が、言葉にならない悲鳴を上げる。ここが壁が薄いアパートじゃなくてよかった。

「玲王がこういうの好きなの、意外だった」

 これは半分本音で、もう半分はさっきの仕返しだ。玲王の顔がどんどん赤くなっていって面白い。

「好きとかじゃねーし」
「じゃあ、なんで買ってるのさ」
「それは……」

 口ごもる玲王は珍しい。羞恥に悶える姿はさらに珍しくて、SSレア級だ。

「こういう本に興奮するタイプ?」

 健全な男子高校生なら、女性が読むような恋愛指南書で興奮してもおかしくはない……のだろうか。

「いや、それは性癖拗らせすぎだろ」

 玲王が普通に否定する。
 それなら、どうしてこんな本を読んでいるのだろう。それも3冊も。
 そこまでして落としたい相手がいるのか。

 濃密な時間を過ごしすぎたせいで、もう長いこと一緒にいた気がしているが、玲王とはまだ出会って一年も経っていない。知らないことがあるのも当たり前だ。

 当たり前なのに、心はモヤモヤして、居ても立っても居られないような気分になるのは、どうしてだろう。

「彼氏って、俺?」

 馬鹿みたいな冗談が口からこぼれた。
 ベッドに寝転んで、熱心に天井を見ているフリをしながら、玲王の顔を見ないようにした。

 何言ってんだよ馬鹿。頭沸いてんのか。そんな感じで返ってくると思っていたのに、玲王は黙り込んだままで、余計に顔を見づらい。
 だんだんめんどくさくなってきて、凪は話を誤魔化す方向に持っていくことにした。
 
「……なーんつって。冗談」
「え」

 甘えた声を出して、機嫌を取って。
 そうすれば玲王はいつも許してくれる。

「怒った?」

 おずおずと振り返ると、玲王が思いのほか傷ついた顔をしていて、ああ、やってしまったな、と思った。
 
「別に、怒ってねえよ……疲れただけだ」

 不貞腐れたように呟いて、玲王が自分のタブレットに目を落とす。読書を再開したみたいだ。

「男でも女でも、レオに迫られて夢中にならないやつなんていないと思うけど」
「……いるんだよ」
「まさかー」
「お前は……いや、なんでもねえ」

 本心からの言葉だが、玲王には取ってつけたような慰めに聞こえたのだろう。

(こんな俺ですら、お前に落とされたのに)

 キラキラした目で真っ直ぐに凪を見て、そのままでいいと言ってくれたことを、凪は忘れない。玲王の宝物が凪だと言うなら、凪の宝物はあの瞬間だ。
 指南書に書かれた小手先のテクニックなんて必要ない。玲王は玲王のままでいいのに。

 そんなことわかってる、余計なお世話だと言われそうで、凪は口には出さなかった。
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