深緋
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この報告書を仕上げれば今日は終わりである。
五条悟は嬉々として報告書を作成していた。見慣れ過ぎてもはや見たくないフォーマットに文字を打ち込んでいく。
大抵書くことは同じだ。祓った呪霊の階級は特級か一級、手段は蒼か赫を一発、その他連絡事項なし。特級や一級呪霊討伐の報告書とは思えないほど内容の薄いものが出来上がるが、いつものことだった。それ以上に書くことがない。呪霊の能力すら判明する前に祓ってしまうことが多く、上層部も悟の提出する報告書はあまりあてにしていない。
「よし、終わり!! 帰る!!!」
一人で宣言をしてパソコンの電源を落とした。一般的な終業時刻に帰宅できるのは珍しい。家帰ったら何しようか。心ウキウキワクワクで立ち上がった時、職員室の扉が勢いよく開いた。
「あ! ごじょ、」
「伊地知、僕今から帰るの。……僕の言いたいこと、わかるよね?」
「……、」
身体を震わすようなテノールで問われた伊地知は壊れたロボットのように頭を上下に動かした。わかっている。だがこれは最重要案件で、かつ緊急性が高いのだ。悟の助力なしに成し遂げられるような問題ではない。
「……高専に庇護を求めている方がいらっしゃっています。」
「はぁ? そんなのいつも通り呪霊除けの札渡して窓になってもらえばいいじゃん」
呪霊が認識できる者が庇護を求めて高専にやってくることは珍しいことではない。そういった者には呪霊除けの札を渡し、窓として契約してから帰すのが通例だった。いちいち保護していられないし、呪霊の発生を感知して高専に連絡する窓の存在はとても重要なのだ。
その程度のことで引き留めたのか。悟は片眉を釣り上げて、小さくなった伊地知を見下ろした。だがそれも、次の言葉でひっくり返った。
「……その方に、夏油傑の残穢がついています」
「!?」
目隠しの下で六眼がカッと見開かれた。
あの日からずっと会っていない親友。別の方法で呪術師を守ろうとして呪詛師になってしまった親友。唯一無二の相棒。その手掛かりは全く掴めないまま、月日だけがいたずらに流れていた。
「どこにいる?」
「第一応接室です。少し特殊な身の上のようでして、」
「詳しい話は後で聞く。とりあえず本人に会いたい。」
悟には徒歩数分の距離でさえ煩わしかった。印を結ぶと職員室から第一応接室までの直線距離で術式を組み、トんだ。
「入るねー」
ノックなしに開け放たれた扉。乱暴に目隠しを取った悟はソファに座る人物を暴こうと、隅々まで六眼で観察した。
庇護を求めてきたのは小柄な女性だった。
緩くウェーブのかかった黒髪にグレーの瞳。パッチリとした大きな目に、嫌味のない程度に通った鼻と形の良い唇。それらが絶妙な位置に置かれている。随分と容姿の整った女性だった。
女性の左肩から背中にかけて、夏油傑の残穢がベッタリとついている。間違えるはずのない残穢に悟の心がざわついた。
そして女性は腕の中に小さなホワイトタイガーを抱えていた。
( 呪霊…、にしては気配が澄んでるな。なんだこれ )
ぬいぐるみではなく生きているそれは間違いなく一般人には見えない類いのものだ。だが呪霊にしては気配が澄んでいるし、悟の眼をもってしても術式や呪力が見えない。つまりは呪霊ではない何かということになる。
いつどこでどうやって夏油傑と接触したのか。そしてそのホワイトタイガーが一体何なのか。好奇心がムクムクと膨れ上がった。
悟は急に現れた白髪碧眼の顔面国宝に目を丸くしている女性に話し掛けた。
「やぁ、僕は五条悟。君の名前は?」
「……はじめまして、涼森 美桜です。」
「早速聞きたいんだけど……説明してもらえる?」
「あ、はい」
美桜はたった数時間前の記憶を遡った。
訳あって仕事を退職したばかりの美桜は、デパートでショッピングを楽しんでいた。季節の変わり目ということもあり、これから活躍しそうなニットやコートを見ていると欲しくなってしまうのは何故だろうか。散々吟味していくつかを購入し、通りかかったランジェリーショップで気に入ったものを購入する。コスメショップも徘徊し、雑貨屋でも肉球モチーフの平皿を購入。実に充実した休日だった。───あいつに出会わなければ。
駅に向かう帰り道、冷たい風が背後から吹き抜けた。薄手のコートの合わせ目を手で持っても大した効果は得られず、首を縮めて足早に歩く。
「さっきのお皿可愛かったねー。琥珀の肉球そっくりで」
『同じようなものを他に持っているじゃろう?』
「可愛いからいいの!」
頭の上には幼い頃から一緒にいる白虎の琥珀が乗っている。琥珀は中国の古い神様の一角で、とても強い力を持っている。美桜のことを気に入り、出逢ってから呪霊や悪い人間から美桜のことを守り続けてきた。
その琥珀が急に体高五メートルはある巨大な白虎の姿に戻って、美桜の行く手を阻んだ。
「……琥珀?」
『気を付けろ、強いぞ』
琥珀は毛を逆立てて前方を見ている。
こんなに警戒している琥珀を美桜は一度も見たことがなかった。大抵の呪霊は琥珀が尻尾を一回振れば消えてしまうからだ。
「やぁ、君が涼森 美桜かい? 急だけど私と一緒に来てもらおうか。」
「え、嫌です。」
いつからいたのかわからない。少なくとも瞬きをする前まではいなかったはずだ。
同じように駅に向かって歩いていた人たちはいつの間にか消え、今は美桜と琥珀、そして袈裟を着た髪の長い男性しかいなかった。
『呪霊操術の遣い手か……何が目的だ、と聞くのは無駄じゃな』
「話が早くて助かるよ。……ところで君は一体何だい? 呪霊ではないな」
『答える義理はない』
「それもそうだ」
男の周りの地面が黒く澱む。中から醜悪な呪霊がいくつも飛び出して美桜に向かっていく。琥珀はそれを二本ある尻尾を振ってかき消した。
「……準一級が一瞬か。ではこれはどうかな?」
男は手持ちの呪霊の中から虹色の鱗を持つ龍を出した。特級と呼ばれるものだ。間違ってもこんな街中でやることではないが、非術師を猿と呼ぶ男には関係ない。むしろ猿も一緒に消してしまおうとすら思う。
虹龍が目にも止まらぬ速さで琥珀に突っ込んでいく。琥珀は躱すこともできたが後ろには美桜がいるため、太い前足で右に払い退けた。おもちゃのように虹龍が吹っ飛ぶ。
その間、男がただ見ているわけもなく、別の呪霊を出して美桜に迫る。その呪霊は触れたものを一定時間閉じ込めることのできる術式を持っている。二級だが術式の有用性を考慮して取り込んだ呪霊だった。
呪霊が美桜の左肩に触れた。美桜が振り向く前に身体が吸い込まれるように呪霊の手の中に引き摺られていく。
『フシャアァァ!!』
気付いた琥珀が尻尾で美桜を掬い上げ、純粋なエネルギーを呪霊にぶつけて祓った。後ろから虹龍が襲いかかるが、天高くから降ってきた青白い雷に撃たれる。
「!?」
術式を行使している最中にそれ以上の力をぶつけられて祓われると思っていなかった男は、身を翻して距離を取った。何の問題もなく終わると思っていただけに、想定外すぎて乾いた唇をペロリと舐める。
「強いね。……君、一体何だい? まさか虹龍を相手しながらここまで立ち回るとは思ってなかったよ」
『……すまない美桜、大丈夫か?』
「うん、平気。ありがとう琥珀」
琥珀は地面に美桜をそっと下ろすと、怒った猫のように毛を逆立てた。尻尾は膨らんでバシバシと地面を叩き、縦長の瞳孔が広がっている。大切な美桜に手を出されて、琥珀は完全に怒っていた。
鼻先を空に向けると、炎と雷の力を持った青白い光が琥珀を包んだ。その強大なエネルギーに男は武が悪いと判断したのか虹龍を戻して、乱れた袈裟を整えた。
「流石に無計画で戦うのは武が悪そうだ。…またくるよ。」
そう言って男はエイのような呪霊に乗って去っていく。琥珀も美桜を置いて男の後を追いかけるほど馬鹿ではないため、不完全燃焼感を抱えながら力の放出をやめた。
「琥珀!!」
『……すまない、危険な目にあわせた』
「ううん、大丈夫だよ。守ってくれてありがとう」
美桜に怪我がないか匂いを嗅ぎ、さらに鋭い爪を仕舞い込んだ肉球でもペタペタと触って確かめる。
『呪術高専に行くぞ。今回は何とかなったが、今度も同じように追い払えるとは限らん。』
「……うん。」
『大丈夫じゃ、儂がついておる。』
「うん、ありがと琥珀」
自宅には帰らずに、そのまま琥珀に乗って呪術高専まで来たのだ。
「ふーん。経緯はわかったよ。……ところで何で君はあいつに狙われてるわけ?? 見たところ術式もないし、呪霊を認識できる程度の呪力しかない。」
「それは……、」
美桜は腕の中にいる琥珀をギュッと握り締めた。美桜が呪霊から狙われる理由。それは美桜の血肉が原因だった。
「……
「へ?」
「血を一口飲むと呪力が跳ね上がり、術式も強化される。嫁に迎えれば繁栄を約束される。それが仙果です。」
「……あの伝説の?」
「そうです、それが私です。」
仙果。それは神の力が宿った果実のこと。一般的には桃を指す。
呪術界における仙果といえば、呪霊が血肉を喰らえば進化を促し、人間が伴侶として迎えれば向こう百年の繁栄を約束される。そんな力を持った、二百年に一人だけ生まれる特別な女性のことをさす。
美桜が本当に仙果ならば、夏油傑が狙うのも頷ける。調伏している呪霊に喰わせれば呪霊を強化することができるからだ。
「伝説では聞いたことあるけどさ、実際どれくらい強化できるの?」
『蝿頭が美桜の血を三滴飲めば、術式を持った二級呪霊になる』
「!?」
それは、なかなか。
思った以上の効果に、悟は顎に手を当てて考えた。
蝿頭が三滴飲めば術式を持った二級呪霊になるならば、既に一級や特級呪霊の場合、一体どれだけ強化されるのだろうか。その上げ幅は宿儺の指どころではないのかもしれない。
「わかった。君を保護しよう。」
「あ、ありがとうござい…、」
「ただし!」
「……ただし?」
「高専じゃなくて、僕が個人的に保護する。」
理由は明白だ。呪術高専は一枚岩ではない。上層部はどこまでも腐っているし、呪術師たちもそれぞれ信念を持って呪霊を祓っている。呪霊を強化しうる存在など、呪霊の手に渡る前にさっさと殺してしまおう。そう考える者が一定数いる。とすれば高専も安全な場所とは言い難い。
「大丈夫。僕、最強だから。」
