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ハロウィンの渋谷は例年通りの人混みだった。
肌寒いなか腕や足、肩を曝け出してコスプレを楽しむ女性。路上で酒を飲みながら、道行く人に一緒に写真を撮ろうと強請る大学生。交通整備のために駆り出された警察官。浮かれた人々の間を縫って一刻も早く帰宅しようと歩くサラリーマン。
いつもと違ったのは、突然帳が降りてきたことだ。大量の呪霊が放たれ、訳もわからず死んでいく。ハロウィンの渋谷は僅か数分で地獄と化した。
五条悟はいつもの姿で渋谷駅に降り立った。両手をポケットに突っ込みながら、長い脚で閉じ込められた人々の頭上を歩く。
「……この下か」
目隠しの奥にある六眼が瞬いた。隠そうともしない巨大な呪力に、己が誘われていることを知りつつ向かう。
地下五階のホームには、見覚えのある特級呪霊が二体と呪霊にしては違和感のある気配の男。正体はわからないが、呪霊は祓うものだ。悟はすぐに戦闘を開始した。
植物の呪霊を祓い、次は火山頭だと思っていた時にやってきた大量の改造人間とつぎはぎの特級呪霊。それらとの戦闘と0.2秒の領域展開を経て、流石の悟も消耗していた。
その時、夢にも思っていなかったことが起きる。
「や、悟!! 久しいね!!」
青い春を駆け抜けた親友の姿を六眼で捉えた時、悟の思考が停止した。脳裏に蘇るのは共に過ごした日々の記憶。それが走馬灯のように過ぎていく。
獄門疆の封印条件である、四メートル範囲内に脳内で一分間滞在しなければならないという条件は難なくクリアされてしまった。
「……しまっ!!」
気付けば完全に拘束されていた。
この手で殺したはずの親友を六眼で見れば、肉体や術式、呪力に至るまで、確かに夏油傑だった。だがそれを己の魂が強く否定する。
「お前は誰だ!!!!」
「……キッショ、なんでわかるんだよ」
夏油が額の縫い目を解く。頭蓋骨を開いて出てきた脳みそには歪な口が付いており、脳みそが別人であることを物語っていた。
親友の身体を弄んでいるのだ。こいつは。名も知らない目の前の呪霊に猛烈な殺意が湧く。だが悟はもう動くことができなかった。呪力も使えず、当然無下限も解けてしまっている。
( クソッ、ここまでか… )
何も出来ない自分に、無力感を覚えるのは二度目だった。一度目は忘れもしないあの夏の日。全てが狂い出した日。
今度は何が狂い出すだろうか。大切な者たちの顔が次々と浮かんでは消えていく。砂のように手からこぼれ落ちていく感覚がした。
「獄門疆、閉門。……おやすみ、五条悟。」
親友の顔をした誰かの姿が見えなくなっていく。
───そのとき、心臓の辺りがカッと熱くなった。
顔を向けると、自分ではない呪力が渦を巻いていた。すぐにそれが美桜の呪力であることがわかった悟は、同時にそこに入れていたものの存在を思い出した。
「本当ならこれの出番が来ない方がいいんです。悟さんは強いですけど、何があるかわかりませんから。お願いだから持っていてください。」
「心配性なんだから、美桜は。…いいよ、持っててあげる。ま、使う日なんて来ないと思うけどね」
そう言って、美桜の作った札を入れていたのだ。いつもなら三日程度寝込めば回復する美桜が、悟の分を作ったときは一週間寝込んでいたことを悟は知っている。それだけ大量の呪力を注ぎ込んだのだ。
( ありがとう、美桜。おかげで僕は、コイツを祓うことができる… )
獄門疆が完全に閉門した瞬間、悟は獄門疆から解放された。代わりにあの札が封印されたのだろう。悟の代わりを果たすために呪力を幾分か持っていかれたが、残っている敵を考えれば全く問題ない。
まずは獄門疆で五条悟を封印したと思って油断しているクソ野郎を祓う。
「────は?」
頭を鷲掴みにし、割れた頭蓋骨から脳みそだけを引っ張り出す。脳みそに向かって黒閃を放てば、たった一文字だけ呟いてそいつは消えた。相手に乗り移る術式なだけあり、本体は酷く脆弱なのだ。
残った肉体を六眼で見分しても、間違いなく夏油傑のものだった。クソ野郎の呪力がどこにも残っていないことを確認し、親友の亡骸をゆっくりとホームに寝かせる。
「………おいおいおい、何の冗談だ?」
「獄門疆に封印されたよね? なんで外に出てきてんの!?」
この時点で九相図の受肉体は不利だと判断し撤退したため、この場にいるのは立ったまま気を失っている大量の非術師と漏瑚、そして真人だけだった。
「夏油は? 祓われたの? ねぇ、どうなってんの漏瑚!!」
「儂にもわからん!! だが、確実なのは…、」
五条悟の封印に失敗したということだ。
既に一度敗北している漏瑚は話が違うと文句を言いながら逃げに徹した。だがそれを逃す悟ではない。動揺して乱れに乱れた呪力で練った炎は蝋燭の火のようにか細く、無下限で弾くまでもない。大きな眼のついた顔面に黒閃を入れるだけで、防御も何も出来なかった漏瑚の頭が吹き飛んだ。残った肉体も黒い塵となって空気に溶けていく。
「……最後は、お前だ」
「ちょ、ちょちょちょっと待ってよ、ねぇ、待てって!! なんで!? お前なんで封印されてないの!? 夏油は? 漏瑚は?」
真人は大量の汗を掻きながら走った。ストックしていた改造人間を出しても、五条悟には全く意味がない。
「なんで封印されてないかって? 僕も流石にヤバいと思ったよ。……でもね、僕の身を誰よりも案じている子がくれたんだ。」
おかげで今、ここにいる。
脳裏に美桜の笑顔が浮かんだ。心底幸せそうに笑うのが可愛くて。あの笑顔が見たくて、毎日任務を早く終わらせていた。
「クソ、クソクソクソッ!! なんで、こんなはずじゃ…!!」
そもそも真人は五条悟と相性最悪であった。触れることが発動条件な術式と、触れないことが売りの術式。どちらに勝機があるか考えるまでもない。
「クッソォォォォォ!!!」
追い詰められた真人は人間らしく己の運命を嘆きながら死んでいった。
* * *
五条悟に招集命令が下ってから、丸一日が経過した。
戦う力を持たない美桜は己の無力感に打ちひしがれながらも、また筆を取った。周りには大量の札が散らばり、以前住んでいた部屋を思い出させる。
「……?」
俄かに遠くが騒がしくなった。
目の下に黒い隈が浮かんだ顔をあげれば、やはり門の方が騒がしい気がする。
「帰っ──たって!!」
「負傷者は!?」
「いるけど家入さんが治療済み───」
途切れた会話から、何が起きているのかを知る。
「………帰ってきた、」
乾いた声が落ちた。
たっぷり三秒は固まってから、美桜は弾かれたように立ち上がった。
持っていた筆を放り投げたため畳に墨が染み込んでいくが関係ない。襖を乱暴に開け放ち、敷居の僅かな段差に爪先が当たって転びそうになりながらも走り出した。ただ一人の無事を確認するために我武者羅に走る。
過労と呪力枯渇で重くなった身体を叱咤して高専の正門に辿り着いた。人混みの中に紛れていてもすぐに見つけることができる大切な人。
「……さとる、さん…」
微かな声が聞こえたのか、悟が美桜の方を向いた。露わになった碧が優しく細められる。
もうダメだった。
美桜は二、三歩歩いたところで膝をついた。頬を涙が伝い、顎の先から冷たい石畳に落ちる。
「……よかった、よかった…ッ!!」
手で顔を覆って泣き出した美桜は、悟を見てすぐに気付いた。───自分の術式の気配がないことに。
つまり、致命傷を負ったか戦闘不能になったのだ。
それがわかってしまっただけに涙が止まらない。悟が生きていることへの喜び、自分の術式への感謝、失っていたかもしれないことへの恐怖。
様々な感情が次から次へと押し寄せて、心の処理が追いつかない。それは涙となって外に溢れ出した。
「ただいま、美桜」
悟は座り込む美桜と目線を合わせると、顔を両手で包んでそう言った。
美桜は涙を流したまま「おかえり」と返すと、たまらず悟の首に手を回して抱きついた。心臓の鼓動を耳で感じ、肺の奥まで匂いを吸い込み、触れている肌から生者の温もりを感じる。
「……ごめん、心配かけたよね。正直、美桜にもらったやつがなかったらかなりヤバかった。」
「……バカッ」
「ッハハ!! 馬鹿ってひどいなぁ、もう。」
「…………だいすき」
美桜は悟の耳元で小さく言った。悟の顔が喜色に染まっていく。
「ありがとう。大切にする。絶対幸せにする。」
「……生きててくれるだけで幸せだから」
悟は顔をクシャッとして笑うと、美桜を強く抱き締めた。それから額同士を擦り合わせて、数センチの場所にある唇にキスを落とす。
「悟さんは私が守ってあげないとダメみたい」
「そうなの。僕弱いから。」
悟は口癖とは真逆の言葉を、眉尻が下がった力のない顔で言い放った。
【完】
