深緋
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五条悟は21時過ぎに自宅のドアを開けた。
今日も今日とて任務と任務、そして任務。移動しては呪霊を一瞬で祓い、また移動する。その繰り返しである。この生活を十年以上続けているためそれなりに慣れている。が、慣れたからといってストレスがなくなるわけではない。むしろ蓄積されている。
要は今日もくったくたのへっとへとなのだ。それを表には全く出さずに取り繕うのが上手いため、皆あまり心配していない。しかし実際は一人になると溜息を吐くし、凝り固まった首や肩をゴキゴキと鳴らすし、「疲れたな……」なんて呟いたりもする。
そんな状態で帰宅した悟を迎えたのは、明かりのついた部屋と胃をダイレクトに刺激する芳ばしい匂いだ。それを認識した瞬間に多幸感が広がる。
家だ。家に帰って来た。今日もよく頑張った。
そんなことを思いながら、玄関ポーチの端に並べられた小さなパンプスの横に自分の大きな靴を並べる。
すぐ横にある洗面所でしっかり手洗いとうがいをする。疎かにすると腰に手を当てながらプンスカと怒られるため、石鹸をつけた手をしっかりと擦り合わせる。爪の中や手首まで念入りに洗ってから泡を流し、手で水を掬ってうがいを数回。ペーパータオルできちんと水気を取ってからダイニングへ繋がるドアを開けた。
「あ! おかえりなさい!」
悟が帰ってきたことに気付いたのだろう。エプロン姿の美桜がキッチンから顔を覗かせた。
「……ただいま」
これが幸せか。
悟は美桜の小さな身体を自身の大きな身体で包み込んだ。そしてわざと体重をかけるように力を抜いてもたれ掛かる。
「あ" ーーー、今日もつ" か" れ" た" ぁーーー」
「今日も大変よく頑張りました」
「ん、ありがと」
労りの言葉をかけてくれるだけで心がスッと軽くなる。高専では誰もそんな言葉をかけてくれないため、余計に嬉しかった。
悟は美桜のシャンプーの香りを堪能してから顔を上げた。テーブルにはラザニアとグリーンサラダ、デザートにロールケーキが用意されていた。悟が帰る時間を知らせていたため、それに合わせて温めてくれたのだろう。口に入れても火傷をしない温度になったラザニアが悟を待っていた。
「本当にありがとう。マジで嬉しい。」
「いえいえ、こちらこそいつもありがとうございます」
悟は早速席につき、焼き目のついたチーズにスプーンを差し込んだ。
「……うま」
ボソッと本音がこぼれ落ちる。悟は完全に胃袋を掴まれていた。
初めは夏油傑から美桜を守るためだった。いやそれもあるが、本音は夏油傑の手掛かりになりそうだから保護しただけだった。
それが一緒に暮らしていくうちに美桜の人となりがよくわかり、悟は純粋に「いい子だな」と思っていた。
それだけだったのが、気付けば目で追いかけるようになり、そしてまた気付けば事あるごとに考えるようになっていた。寝ていてもご飯を食べていても、何ならそこにいるだけで「かわいいなぁ」と思うし、喜ぶ顔が見たい一心でスイーツとか買ってしまうし、任務で遠出すれば猫のご当地キーホルダーをつい買ってしまう。花が咲くような笑顔を見るだけで幸せな気持ちになるのだ。
これを恋と言わず何というか。
また別の日。
午前中に任務を終わらせてから教鞭をとっていた悟は、暗くなるまで生徒たちの相手をしていた。確実に成長していく生徒たちに満足感を感じつつ、溜まった事務仕事を片付けるために仕方なく職員室にやって来た。
「美桜ちゃんお疲れサマンサ〜!」
美桜は先日から高専の経理として働き始めた。というのも、前職が経理だったからだ。高専では明確な経理担当がおらず、補助監督が四苦八苦しながら慣れない処理を行っていたのだ。美桜が経理担当になったおかげで、補助監督たちは泣いて喜んだという。
「あ、悟さん! 領収書ください!! 今日という今日は絶対に出してもらいますからね!?」
ズンズンと目の前までやってきた美桜は右手を差し出した。「領収書出して、今すぐ出して」という手である。
悟はその手に自分に手を重ねると、容易く覆えてしまう小さな手を親指の腹で撫でた。
「手ちっちゃくない?」
「え? ……確かに小さめですけど、悟さんの手が大きすぎるんです!!」
「にしても僕の第一関節に届いてないじゃん。ちっちゃ。手も可愛いね」
「悟さんの手は大きいですね! こんな大きい人初めて見ました! やっぱり手の大きさも身長に比例するんでしょうか…」
美桜は自分の頭より遥か上にある白を見上げた。美桜の身長は女性の平均身長と同じくらいだが、この巨人の前では肩に届くか届かないかくらいしかない。
「ぐぬぬ…」と唸りながら睨まれても、悟からすれば上目遣いで強請られているようにしか見えない。悟は自分の気持ちを誤魔化すように美桜の頭を強めに撫でた。
「わぁ! 髪がぐしゃぐしゃになるからやめてください!」
「毎朝ボサボサになってるの見てるから大丈夫だよ。」
「全然大丈夫じゃないです!! ……じゃなくて!! 領収書!!」
「はいはい」
諦めた悟は自席に戻ってバッグを開く。すると任務で栃木県に行ったときに買って来たお土産が目に入った。それを差し出された右手に乗せる。
「栃木の土産。かわいいっしょ」
「え!! か、かわいい!!! ありがとうございます!!」
栃木県といえば日光東照宮。そこには「見猿聞か猿言わ猿」の三猿が大変有名である。それをモチーフにした「見えにゃい聞こえにゃい言わにゃい」の猫のキーホルダーである。目はモフモフの前足で覆い、耳はぺたんと折り曲げられ、口は埋もれて見えない。見ようによっては三毛猫がただ「ごめん寝」をしているだけである。
琥珀とずっと一緒にいることもあり、猫好きである美桜にとってはたまらない土産だ。
「見てよ琥珀!! 琥珀も今度こうやって寝てほしい!! 絶対可愛いから!!」
『なぜ儂が、』
「えー、お願い!」
『……それより領収書はいいのか?』
「あ!!!!」
また流されかけていた美桜は、もう逃がさんとばかりにやってきた。差し出された右手の圧は先程とは比べ物にならないほど強い。
悟はケラケラと笑いながら、今度こそ誤魔化すことなく溜めていた領収書を渡した。
「溜めてごめんねー」
「そう思うならもっと早く出してください」
「いやぁ、僕最強だから色んなところに行かされるじゃん? その分領収書の量も多くてさ、2、3日ですごい量になるんだよねー」
「……知っていますよ、悟さんが大変なこと。だから毎日ご飯作って帰りを待っているんです」
「……え?」
悟は口をぽかんと開けたまま静止した。
「私は呪霊を祓ったことがないから任務の大変さはよくわかりませんが、それでも悟さんの任務の数が桁違いだってことはわかりますよ。あんな数の任務を終わらせて、帰ってきたら暗い家って寂しいじゃないですか。……だから出来るだけ起きていますし、ご飯を用意して待っているんですよ。少しでも疲れが取れるようにって」
「……ありがとう。」
悟は目の前の小さな身体を腕の中にしまい込んだ。無下限を切っているため、美桜の女性らしい膨らみや肌の柔らかさが服越しに伝わってくる。
最強だって、人間なのだ。
多くの任務をこなせば疲れるし、疲れが溜まれば体調も悪くなる。睡眠も必要だし、毎日三食きちんと食べないと呪術師はやっていけない。心が弱ることもある。
最強が最強たる所以を知らないが故に、美桜は悟をただの人間として扱うのだ。それが涙が出そうなくらい嬉しかった。
「私仕事したいんですけどーーー。たった今仕事が増えたので早く終わらせたいんですけどーーー」
「ッハハ!!」
悟が無下限を切って生身で触れることがどれだけすごいことかを知らない美桜は、心底迷惑そうに言った。ジタバタと手足を動かして、大きな身体から逃れようとする。
ようやく解放した悟は乱れた髪を手櫛で整えながら自席に戻っていく美桜の背中に話しかけた。
「今日の晩ご飯なに?」
「ロールキャベツです! この前食べたいって言っていたので!」
「……、」
確かに言った。言ったが、本当に独り言だったのだ。ボソッと誰にも聞こえないくらいの音量で呟いた言葉をまさか聞かれているとは思わなかった。しかも作ってくれるなんて、夢にも思わなかった。
悟は口元に手を当てながら決断した。
( ……結婚しよ )
