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「お先に失礼しまーす」
「お疲れさまでしたー」
定時ぴったりに決まった挨拶を交わして会社を出た。地方にしては栄えている街で就職してから早3年。事務という仕事は案外自分に合っているようで、それなりに充実した日々を送っている。
だがパワハラ上司やセクハラ先輩の存在もあり、転職を考えなかったわけではない。転職サイトを見ては、それをするだけの体力と気力がなく、そっとタブを閉じる行為を毎週のように繰り返していた。
秋分を過ぎると一気に日が短くなり、それに伴って朝晩の気温もグッと下がった。連日異常気象と騒がれる夏の暑さから一転したこの気温に、慌てて毛布を引っ張り出してきたのは私だけではないだろう。
会社から電車で二駅、そこから徒歩数分の我が家に辿り着いたときには、月が綺麗に浮かんでいた。今日の晩ご飯はどうしようかとぼんやり考えながら鍵を開ける。
「ただいま〜」
1DKの部屋は、我ながら笑ってしまうほど不気味だ。なぜなら、護符が壁と天井に隙間なく張り巡らされているからだ。どれも「立入禁止」や「悪霊退散」ばかり。少しだけ「無病息災」が混ざっている。
私には、誰にも言えない秘密が二つある。
一つ、皆には見えない化け物が見えること。
二つ、筆で書いた文字の意味が体現化されること。
前者はそのままだ。子どもの頃、急に見えるようになった。あんな強烈な存在を誰も話題にしないのを見て、自然と隠すことを覚えた。同じものが見える人には出会ったことがない。
後者はなぜそんなことが出来るのか、私にもわからない。ただ、小学生の時からずっと習っていた書道の練習をしているときに気付いた。ふざけて「悪霊退散」なんて書いて壁に貼っておいたら、化け物が部屋に入って来なくなったのだ。それから様々な文字を書いては実験して、今に至る。
家には入って来れないけど、外ではそうはいかない。だから私はいつでも胸元に作った「守護」の護符を御守りとして持っているし、バッグには「消滅」と書かれた護符も入っている。
化け物は基本的に何かしてくることはないが、ごく稀に襲ってくる。そのときに「消滅」の護符を貼ると、綺麗さっぱり消えるのだ。化け物に近付くのは怖いけど、私には「守護」の護符があるから怪我はしない。しかし攻撃されると破けて効力がなくなってしまうから、常に20枚以上持っている。
他にも、とっておきの護符も持っているから、私はなんとか外に出ることが出来る。護符がなかったら今のように生きていけないだろう。
定時で上がって帰宅して、ご飯を食べて寝る。土日は書道をしたり、趣味のスイーツ巡りをしたり。
そんな日常が崩れたのは、ある男に声をかけられた瞬間からだ。
「ねぇ、胸元とバッグに何入れてるの?」
仕事終わりの帰り道。新作のコンビニスイーツを無事購入できて、ホクホク顔でコンビニから出てきたときだった。
声の方を見ると、見上げるほど大きな身体に、黒い目隠しをつけた白髪の男がいた。全身真っ黒で夜の闇に紛れそうな服を着ているくせに、真っ白な髪がそれを邪魔している。目隠ししていても周りのことは見えていそうな雰囲気で、視覚障がいを示す白杖も持っていない。
極め付けは、胸元とバッグの中に入れているものを聞いてきたことだ。そこには自分で作った護符が大量に入っている。力を認識してから15年程経つが、今までそんなこと言われたことない。私の警戒メーターが一気に跳ね上がった。
「……」
相手は男、しかも長身。女の私がどうこうできる人間ではない。そう判断した私は、とりあえず今出てきたばかりのコンビニに逆戻りした。
「え!? …ちょ、マジか、そうくる??」
後ろで慌てた声がしたけど気にしない。自分の身の安全が第一だ。
「すいません、外に変な人がいて、よくわからないことを話しかけて来たので匿っていただいてもいいですか?」
怪訝そうな顔をした店員さんに男の特徴を伝えれば、先程私と同じスイーツを買っていったらしい。店員さんも変な人だなと思っていたらしく、すんなりと受け入れてもらえた。
しばらくしてから外に出ると、あの怪しい男はいなくなっていた。私はモヤモヤとした気持ちを抱えながらその日は帰宅した。
でもその男は、翌日も私の前に現れたのだった。
「ねぇ、君。もしかしてこれ見えてる?」
そう聞かれればそちらに目を向けてしまうのが人間の
「あ、やっぱ見えてるね」
「いえ、手が大きくてびっくりしただけです」
「いやいやいや、見えてるっしょ??」
「指も長いですし、爪の形もすごく綺麗ですね。理想の手です。では私はこれで。」
引き留められるかと思ったけど、ちょうど電話がかかってきたらしく、男性は追いかけて来なかった。その隙に急いで帰宅する。
今日は土曜日だ。先日オープンしたばかりのケーキ屋さんに行こうと思い、午前中から外に出た。あの怪しい男性に会ったのは夜だけだったから、心のどこかで昼間は大丈夫と思っていたのかもしれない。
「やぁ!」
「……」
普通に住んでいるマンションの前で出待ちされていた。いつもの黒服目隠しスタイルなら即通報するところだけど、今日は白いプルオーバーに黒いズボンで、目隠しの代わりに黒いサングラスをかけていた。今まで隠されていた美貌に口がポカンと開いたままになる。
「……目隠し取ったらイケメンって、一体どこの少女漫画??」
「ブッ!!」
イケメンさんが吹き出したのを見て、ハッと我に返る。余計なことを口走った気がするけど、気にしない。
「今日も胸元とバッグにいっぱい入れてんね。部屋も同じような感じでしょ? 5階のあの部屋」
男性が指差したのは、間違いなく私の部屋だった。きっと出てくるところを見ていたのだろう。そう思うことにして歩き出した。
男性はずっと着いてくる。途中信号待ちしてるときに名刺を渡された。
「五条悟。呪術高等専門学校で教師やってるの。君も見えている呪霊を倒すためのアレコレを教える学校さ。」
「……じゅれい?」
私が初めて反応したからか、五条さんは嬉しそうに笑った。
「そ。呪いに幽霊の霊って書いて、呪霊。人間の負の感情から生まれる化け物さ。」
「人間から生まれてるの!?」
「そーだよー。正確にはあの化け物を認識できない人間から。僕たちからは生まれない。」
「……」
気付いたら普通に会話してしまっていた。連日私に話しかけてくる怪しい人なのだ。しかも今日は出待ちされていた。普通に考えれば誰かに助けを求めるところだけど、今まで同じものが見えている人に出逢ったことがないせいか、とても気になる。
( 呪術高等専門学校… )
あの化け物の倒し方を教えている学校らしい。ということは、もちろんあれを認識している人がいるのだ。とても気になる。めちゃくちゃ気になる。
「……ってことで、君のこと聞きたいからどこかでお茶しない? 美桜ちゃん」
「……なんで名前、」
「そりゃあ調べたからね。優秀な調査員がいるのさ」
私はゆっくりと頷いた。
正直、あんな化け物にビクビクしながら生活するのに疲れていたのだ。家は安全だと頭ではわかっているけど、物音がしたら心臓が飛び跳ねるし、襲われる悪夢を見て飛び起きたのも一度や二度の話ではない。何より、この気持ちを共有できる人がいないのが辛かった。
そして、元々行く予定だったケーキ屋さんにやって来た。
「ん〜〜!! やっぱ疲れた時は甘いものだよね〜!!」
「美味しい!!」
私はかぼちゃのモンブランとスイートポテトケーキ、五条さんは私と同じのにさらにチョコレートケーキと苺ムースケーキを注文している。そんなにたくさんの皿を載せることを想定していない2人用のテーブルは置くところがないくらいだった。
一通りケーキを堪能してから五条さんは真面目な声で言った。
「で、色々聞きたいんだけど。」
化け物、もとい呪霊が見える人ということと、一緒にケーキを食べたことでだいぶ警戒心が緩んだ私は、フォークを置いてコーヒーを一口含んでから答えた。
「……どうぞ。」
「ありがと。じゃあまず、親族に呪霊が見える人はいる?」
「いいえ。そんな話聞いたこともないです。」
「だよね、了解。じゃあ呪霊が見える人に出逢ったのは僕が初めて?」
「はい。私以外に見える人がいるなんて思っていなかったです。」
「確かに
私は生唾をごくりと飲み込んで次の言葉を待っているのに、肝心の五条さんはかぼちゃのモンブランを食べて「うま、」とか言っている。本題だからもっと真面目な雰囲気を出して欲しいけど、これがこの人のやり方なのかもしれない。
「美桜ちゃんにも呪術師になって欲し」
「無理です。」
「はっや、即答じゃん、ウケる」
なれるわけない。呪霊を倒すなんてこと、私には出来ない。───正確には出来るけどやりたくない。
「見たくもないですし、近付きたくもないです。なので倒すことはできません。」
「でもその札を使えば出来るでしょ?」
「ッ!!」
護符の持つ力を知っているような顔で五条さんは言い放った。私は誰にも言っていないのに。
そもそも初めからおかしかった。なぜ私が胸元とバッグに護符を入れていることを知っていたのだろうか。マンションの部屋も知っているようだし、護符の持つ力も知っている。不気味だ。
私の考えていることがわかったのか、五条さんはサングラスを少しずらした。南国の海よりも透き通っていて、それでいながら宇宙を覗き込んでいる錯覚を起こさせるような底の見えない瞳と目が合う。
「僕は目が良くてね。美桜ちゃんの護符の力も、部屋に貼っている凄まじい数の護符も、美桜ちゃんが持つ術式も、全部読み取ることが出来るんだ。」
「……なんかえっちですね」
「ブッ!!!」
人が隠したいと思っていることばかり見えてしまう目なんて、なんて破廉恥なんだ。五条さんはお腹を抱えて笑っているけど、私は一番知られたくなかったことを勝手に見透かされて、内心頬を膨らませた。でも同時に安心した。もう知られたくないことは何もないからだ。
「まぁ呪術師は無理だとしても、補助的な位置にはいて欲しいんだよね。放っておくには惜しい人材だ。」
「……そこにいれば安全ですか?」
「そりゃあもちろん、結界の中だからね。呪霊が出たら警報が鳴って呪術師がすっ飛んでいくよ」
「……私に出来ることはありますか?」
「ある!! めっちゃある!! 正直その護符だけでも喉から手が出るほど欲しいよ!」
「……」
私は考えた。
今の生活、つまりは呪霊に怯えながら日常生活を送るのと、呪霊を倒す専門家たちがいる結界の中で護符を作る生活とを天秤にかける。すぐに一方に傾いた天秤はそこで止まった。しかし、即決できる根拠がない。全て五条さんの嘘の可能性もあるのだ。
私はメロンソーダを啜っている五条さんに言った。
「職場見学させてください。」
