暗闇だ。
どこまでも、どこまでも続いていそうな。
なにもない暗闇の上を歩いている。
一歩踏み出すと足元に波紋が広がった。
「……だれか」
ここは地獄? 天国?
それとも私はまだ闇に囚われているのだろうか。
右にも左にも同じ暗闇しかなくて。
寒くて、寂しくて、駆け出したいのに足は重たくて満足に動かない。
「お父さん……お母さん……っ」
死ねば会えると思ったのに。
もう一度幸せな家族を感じられると思ったのに。
どうして、どこにもいないの?
どうして、会いに来てくれないの?
私は、どこに行けばいいの?
「誰か」
もう誰でも良い。
誰でも、良いから。
「山崎、さん……っ」
ここから――私を、助け出して。
◆ ◇ ◆ ◇
彼女が病院に運ばれてから、半月が経過した。
無機質な機械音が一定のリズムを刻んで真っ白い部屋にこだまする。
その音が、彼女とこの世界を繋ぎ止めている唯一の希望だった。
「咲さん」
間に合わなかった。
ちゃんと助けられなかった。
やはり最初に会った時、彼女を見送らずに追いかけるべきだった。
そうしたら、傷だらけの彼女の背中に一際大きな傷を刻みつけず済んだかもしれないのに。
医者曰く。
処置の結果、命に別状はなかったらしい。
しかし彼女は目を覚まさない。
まるでこの世に戻ってくることを拒むように。
それだけ彼女はこの世界に苦しみ、傷つけられた。
だけど、それでも、戻ってきてほしい。
これからは俺が、あなたを苦しめるもの全てから守るから。
だから――。
「毎日毎日、よく飽きねェな」
彼女の寝姿を身じろぎもせず見つめていた俺の背中に副長がそう悪態を零す。
そんな彼の横で局長が豪快に笑った。
「そう言ってやるな、トシ。お前だってそこそこの頻度でここに来てるだろ」
「俺は暇だから着いてきてるだけだ」
「素直じゃないやつだな」
けたけたと笑った局長に舌打ちをしながら副長はふいと視線を逸らす。
「さて、俺はそろそろ帰るとするよ。お妙さんが買い物に出る時間だから、鉢合わせる準備をしなければ!」
女性をストーカーしているという事実さえなければ、彼らは我らが誇る真選組局長なのだけれど。
足取り軽く病室を後にした局長に続いて、副長も病室の扉へ向かって歩き出す。
本当はもっとここに居て、なんなら一日中彼女のことを見守っていたいけれどそうもいかない。
江戸で事件が起こらない日はまず殆どないのだから。
「また、来ますね」
彼女にはきっと届きはしないだろうが、それでも。
そっと呟き、病室のカーテンを閉めて歩き出した――瞬間。
室内に一定のリズムで刻んでいた機械音が悲鳴のような単音に変わった。
それは無情にも、この世に繋ぎ止めていた命が途切れてしまったことを告げる音。
俺は足をもつれさせながら踵を返し、彼女の姿を隠しているカーテンを乱暴に開け放った。
「咲、さん……っ」
全身から力が抜ける。
張り詰めていた糸が切れる。
彼女は、そんな俺を。
ぱちくりと瞬きをしながら不思議そうな顔で見ていた。
心電図の針が刺さっていた場所には、ぷっくりと紅い血が浮き上がっている。
「よ、かった……ッ、良かった……!」
困惑している様子の彼女の指先を握るとそこには確かに、少しだけど、体温が宿っていた。
「……山崎さん? ええと、私……?」
次の瞬間、病室に医師や看護師が駆け込んでくる。
と同時に記憶をたどるようにして目線を泳がせている彼女の様子に彼らはほっと息を吐いた。
そうしてゆっくりと歩み寄ってきて、外れた器具の確認や針が抜けたことでついた傷の手当をてきぱきと始める。
俺はと言うと相変わらずぽかんとした顔のまま手当を受けている彼女を、煩い心臓を抑えながら見つめた。
「俺ァ帰るぞ。テメェも早く帰ってこいよ」
そう言い残して副長は病室を出ていく。
思い出したかのように煙草に火を点けながら。
「うん。問題なさそうだね」
患者着越しに彼女の心音を聞いていた医師は聴診器を首にかけ、にこりと笑った。
「今日一日検査をして異常がなければ、明日そのまま退院で大丈夫だよ」
「……は、い」
彼女が掠れた声で頷くと医師は立ち上がり看護師達と共に病室を後にする。
そうして残された俺と彼女は、ふと顔を見合わせた。
だけど第一声をなんと放つべきかがわからなくて。
俺は、あ、だの、う、だのと意味を持たない音を吐き出した。
(初恋してる小学生かよ……!)
自分のぎこちなさを情けなく感じていたら、彼女が、くすくすと小さく笑う。
少しぎこちない笑顔だったけれど。
それが、とても、眩しくて。
つい膝から崩れ落ちそうになるのを堪えながら、彼女にそっと歩み寄った。
「ええ、と。どこか痛いところは、ないですか?」
そう尋ねると彼女は「お医者様と同じことを言うんですね」とまた笑う。
……本当に良かった。
彼女のこの顔を見るために、俺は半月も待っていた。
「――死に損なっちゃった」
不意に。
彼女が笑ったまま、そう言った。
俺はと言うと目の前に切っ先を突きつけられたかのように固まってしまう。
「山崎さん。何があったか、話してくださいますか?」
「……わかりました」
俺がゆっくりと頷くと彼女は、きゅっと口の端を難く結んだ。