そんなことがあってから、数日後。
羽村さんの裁判がまさに行われているその裏で私は、一般人として神室町を歩いていた。
別に、なにか用事があったわけではない。
ただなんとなく仕事に行き詰まってしまって息抜きに外を歩いていただけなのだけれど、厄介なことに、街中で白昼堂々人さらいを実行しようとしている集団に遭遇してしまった。
「大人しくせぇや!」
「いやぁああッ! 助けて、誰かぁっ!」
関西弁の男たちに、無理やり車に押し込まれそうになっているのは一人の若い女性。
周囲はその様子を怯えたように見ているだけだった。
そんな現場に居合わせて何もしないなんて出来るわけもなく、私は女性の腕を無理やり引っ張っている男の肩を叩く。
「流石に、もう少し人目につかない場所でやった方がいいんじゃない?」
「あァ? なんやねん、女。邪魔すんなや!」
そうして振り向いた男の胸元でバッジが光ったのを見て、私はつい、最悪、と小さく零した。
関西弁。
見るからにカタギではない男たち。
胸に光るバッジ。
まず間違いなくこの男たちは、共礼会の組員たちだろう。
(ヤクザに喧嘩売っちゃった……でも、放っておくわけにもいかないし)
後悔を振り払いつつ、凄んでくる目の前の男を睨む。
「いいから引っ込んどけや!」
「その子を置いていってくれるなら、引っ込むよ」
「この……! 女にゃ甘いと思ったら大間違いやぞ!」
瞬間、右頬に鋭い痛み。
口の中にじわりと血の痛みが拡がった瞬間、私は男の顔面に拳を叩きつけた。
そのまま脇で油断していたもう一人には側頭部に蹴りを叩き込み、勢いそのままもう一人の鳩尾に飛び蹴りを喰らわせる。
これで、なんとか三人。
男たちが驚いているうちに怯えて縮こまっている女性の手を引いて、ヤクザ達から数歩、距離を取る。
「正当防衛成立ね」
「こ、この女ァ! もう許さん! お前も連れて帰って、全員でマワしたるわ! お前ら、やれぇ!」
さて、自分で喧嘩を売っておいてなんだが、どう切り抜けたものか。
向かってくるヤクザ達に私は内心冷や汗を垂らした。
腐っても相手は戦闘のエキスパートだ。
おまけにこの人数差。
正直、真っ向から向かって勝てる勝負ではない。
女性を自分の傍まで連れてくることには成功したものの、問題はここからどう逃げ切るか……。
なんとか相手の攻撃をいなしながら人数を減らそうとするものの、服の裾でも捕まってしまったら絶体絶命な状況に、思考は堂々巡りしている。
おまけに鉄バットまで取り出してきたし――これは、本格的に逃げないとまずい。
「もう逃さんぞ!」
「きゃあぁっ!」
しまった、と思った時にはもう遅かった。
流石はヤクザと言うべきか、ほんの一瞬生まれた隙を嗅ぎ分けたのか将又偶然か、私の気が分散した瞬間に女性が車に引き込まれてしまう。
瞬間、完全に私の調子は崩れてしまい、側頭部に思いっきり鉄バットの一撃を喰らってしまった。
「い、っつぅ……っ」
視界が歪み、意識がグラつく。
そうして私は重たい意識のまま――彼女と共に車へ詰め込まれてしまうのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
車に詰め込まれて運ばれた先は簡素なビル。
その一室に私と女性は放り込まれ、ヤクザが4人、見張りのため部屋に留まっていた。
しかし、どうやら鉄バットの一撃で私を戦闘不能に追い込んだと思ったのか拘束が一切されていないことは好都合だ。
たった4人を相手にするだけなら隙さえつくことができれば――突破できる。
ガンガンと痛む頭を振って周囲を観察していると、共に攫われてきた女性が不意に私を見た。
酷く怯えているその様子がなんだか申し訳なくて私はそっと彼女の手を握る。
「大丈夫。絶対一緒に逃げるからね」
耳元でそう囁き、彼女が震えながら頷くのを見た私はこっそり唇を噛んだ。
後先考えずヤクザの集団に飛び込んで、この有り様だ。
放っておけなかったとはいえ他にもっとやりようもあっただろうに、不甲斐ない。
もっとだ。
もっと私は――強くならなきゃいけない。
まあ反省会は一旦今の状況を切り抜けてからになるだろうけれど。
とりあえず、部屋に待機しているヤクザにちょっかいでもかけてみるか?
いや、落ち着け私。
なんて脳内でひとり押し問答をしていたら、不意に。
部屋の扉が音を立てて開いた。
もしかして増援か、と背筋が凍ったが、部屋に入ってきたのは随分と見慣れた顔だった。
「セイヤの妹だな? もう大丈夫だ、助けに来た」
その言葉と同時にその人……もとい兄は私の隣の女性に目を向け――そして、私と視線が交わった瞬間、目をまん丸くしてその場に固まった。
「あれ、お兄ちゃん? なんでここに?」
「……いや、こっちの台詞なんだけど。なんでお前、ここにいんの?」
「ええと、色々あって?」
「しかも――怪我までして」
ぴりっ、と。
空気が張り詰める。
兄がその内側に怒りを燃え上がらせていることは、明らかだった。
「八神? 野郎……いつの間に? っつーかこいつ、お前の妹なのかよ」
男たちは立ち上がり兄を睨みつける。
というかお兄ちゃん、名前思いっきり割れてるんだ……。
そう考えると同時にこの人たちが「羽村さんの件」に絡んでいて、今この状況もその地続きなのだとなんとなく察する。
「その二人を解放しろ。今すぐにだ」
「解放ぉ? 何のこっちゃ? この通り縛ってるわけでもない。いつでも好きに帰れるやんか」
兄の言葉に、ヤクザの一人がニヤケ顔で返した。
途端、私は拘束されていなかった意図を理解する。
つまり彼らは今の状況を「法的に問題がない」ように作り上げているのだ。
「あー、なるほど。あんたらもカタギの監禁はヤバイと思ったわけか。ま、裁判の間だけしのげたらいいんだもんな? 考えたね」
兄のその言葉に、もう少しだけ状況が見えてくる。
裁判の間だけ凌ぎたい……ということは、この女性はその裁判の関係者。
しかし、神室町を普通に歩いていた様子から察するに裁判には参加していない。つまり直接的な関係者ではなく、いわゆる"関係者の関係者"なのだろう。
実際兄は先程、この女性に「セイヤの妹」と声をかけていた。
そして今、おそらく裁判所に居るであろう関係者もといセイヤという人物に何かしらの要求を飲ませるため、今の犯行が行われているわけだ。
「けど、それじゃ言い訳にならない」
「あ?」
兄の、怒りが滲んだ声が、狭い室内に響いた。
我が兄ながら、頼もしい限りの圧だ。
「しばって拘束する行為だけが監禁じゃないんだよ。もうちょっと勉強しな。――っつーかそもそもうちの妹は怪我してるわけだけどね」
「やかましい!」
「ちなみに逮捕・監禁罪は3ヶ月以上7年以下。当然、怪我までさせたらもっと長くなる」
鋭い兄の視線に私は思わず目を逸らした。
兄は怒っている。
それは勿論、私をここまで連れてきたヤクザに対してもそうだけれど――図らずもヤクザに喧嘩を売ってしまった私に対しても、きっと。
「へっ、そん時は殺して薬で溶かしたるわ。死体が出んかったらそれでしまいや」
得意げなヤクザに兄は、ふん、と鼻で笑ってみせた。
「はい脅迫罪。また一個罪重ねたね?」
「くそが……! おう、このガキ、口利けんようにしたれ!」
ずいぶん長い前フリだったけれど結局最終的には暴力に行き着くらしい。
まあ、仕方がない。
力でねじ伏せるという行為は最も簡単で、手早く、わかりやすい行為だから。
「手伝おっか、お兄ちゃん」
するとずっと怒りを滲ませていた兄はようやくその表情を崩し、苦笑した。
「いいから、大人しくしてなさい」
「……はぁい」
そうして始まった戦いは、一方的とまでは言えなかったけれど。
だけどあまりにも鮮やかだった。
思えば兄が戦っているのを間近でまじまじと見るのは、これが初めてだ。
軽やかに、でも重たく。
兄の繰り出す一撃にはしっかりとした芯があった。
(やっぱ、お兄ちゃんに稽古つけてもらおうかなぁ)
なんて考えているうちにヤクザ4人を片付けてしまった兄は、私の手を握りながら怯えて縮こまっていた女性に寄り、「行こう」と小さく声を掛ける。
彼女の背を支えてゆっくりと立ち上がった瞬間、騒ぎを聞きつけてかもう一人、派手な青いスーツに身を包んだ男が部屋に飛び込んできた。
「そこにおれや、八神」
「村瀬さん……なあ、もういいだろ? これ以上騒いでも泣き見んのはあんたらだけだ」
どうやらまた知り合いのようだ。
口を噤んでこちらを睨みつけるその村瀬という人に、兄は続けた。
「羽村にはアリバイがある。久米を殺ったのは別の人間だ。だからセイヤの証言止めんのにあんたらが身体張る価値はない」
「なら、久米は誰が殺ったんや?」
「それはまだわからない。ただ……」
なるほど、だいたい事件のあらましが見えた。
まず――羽村さんは、共礼会の組員が殺された事件の容疑者だ。
そして今回、この誘拐事件を起こしたのは共礼会の組員たち。
更に言えば現状の兄の目的は「羽村さんの無実の証明」であり、兄が発した「セイヤの証言」という言葉から逆算するに、そのセイヤという人物は羽村さんのアリバイを証言してくれる人なのだろう。
しかし、組の人間を殺された共礼会にとっては羽村さんが無罪になることは許せない――だから、羽村さんの無罪を主張してくれるセイヤさんが証言を出来ないように、人質として妹さんを攫った。
こんなところか。
「羽村ならそれを知っている。あいつは、真犯人とグルだったはずだ」
「なんやと?」
ここで、新情報に私は息を呑んだ。
兄はどうやら羽村さんは実行犯ではなかったにせよ、事件には確実に絡んでいると見ているらしい。
「事件の夜、久米はアムールを出てからあんたに連絡するまでもなく姿を消してる。その後は街中の防犯カメラにも映らず目撃証言もない。俺が思うに……久米はアムールから解放されなかった」
アムールというのは確か、神室町にあるクラブだったはず。
「羽村から真犯人に引き渡されたんだよ。そして羽村がサウナでアリバイを作っている間、真犯人はどこかで久米を殺しその目を抉り出した」
「……スジは通っとるな」
「羽村がムショに入ったらどうやって今の話を確かめる?」
「せやから羽村は泳がせろっちゅうわけか?」
村瀬という人の言葉に兄は少し拍を置いて、続けた。
「証言止めるために女の子脅すよりかはスマートだ。こんなもん、大の大人が何人も集まってやる仕事か?」
その言葉を最後に口を噤んだ兄は私へ近付いてきて、私が支えていたセイヤさんの妹さんをそっと請け負った。
「フン。わかったわ……行けや。今日は探偵さんの度胸を褒めといたる。そっちの、事情も知らんとただ女助けるためだけにヤクザに喧嘩売ってきた、妹さんもな」
「……どうも」
歩き出した兄に続き、私はビルを後にした。
とりあえず、怯えたままの妹さんを無事に家に返してあげなければ。
「大丈夫? 住所、言える?」
「は、はい。……ありがとう、本当に」
私の言葉に頷きながらタクシーに乗り込んだ彼女はようやく、少しだけ微笑んでくれた。
「お礼ならうちの兄貴に言ってあげて。正直、私一人じゃどうにもできなかっただろうし」
「……ううん。それでも、一人じゃなかったから。あなたも、お兄さんも、ありがとうございました」
彼女の乗ったタクシーが遠ざかっていくのを見届けて、そっと息を吐く。
途端、ぐらりと、視界が反転した。
「お、おい! 香織?!」
兄に支えられた瞬間に倒れかけたのだと自覚する。
頭がガンガンと痛い。耳鳴りもする。
流石に、鉄バットのフルスイングは重たかったらしい。
「ごめん、お兄ちゃん。気が、抜けちゃって」
「いいから喋るな。頭殴られたんだろ? すぐ病院に連れていくから――」
スマホを取り出そうとした兄に、私は首を振った。
「お兄ちゃんは、裁判に戻って。病院は一人で行ける」
「は?! お前なに言ってんだよ」
「……いいから。戻って」
膝が笑う。
だが、必死に兄の腕から抜け出して、私は自力で立ってみせた。
しばらく、兄とそのまま見つめ合っていると――誰かが私の背中をそっと支える。
「おいおい、こりゃどうなってんだ? なんで香織ちゃんがいて、おまけに怪我してんだよ」
「――海藤、さん」
大きな手のひらに支えられ、私は身体から力を抜いた。
そんな私の身体を、海藤さんは何も言わず支えてくれて――かと思えば、ひょいと簡単そうに私を横抱きにして持ち上げた。
「海藤さん。ここまではしなくていいよ?」
「なァに言ってんだ。怪我人に歩かせるわけねぇだろ。――ター坊。状況は香織ちゃんから聞く。病院にも俺が付き添う。だからとにかくお前は裁判に戻れ。わかったな?」
海藤さんの登場にようやく安堵してくれたらしい兄は、少し名残惜しそうにしながらもタクシーに乗り込んだ。
「で、何があったんだ?」
「ううん、どう説明したら良いのか……ちょっと、わかんな、い、かも……」
「香織ちゃん? おい、香織ちゃん!」
声が、音が。
少しずつ遠くなっていく。
支えてくれているその人の温かな温度を感じながら、私の意識は闇に飲み込まれていった。