真冬さんと別れたその足で『本丸園』へ向かった私達を、既に到着していたらしい杉浦くんと海藤さんが出迎えた。
豪快にヤンキー座りをして煙草をふかしていた海藤さんがふと、私の顔を見る。
「香織ちゃん、腹殴られたんだって? 平気か?」
「……それ、誰から聞いたの?」
思わず尋ねると海藤さんはふいと杉浦くんへ視線を送った。
それを受けた彼は肩を竦める。
「報連相は大事でしょ?」
「そうかもしれないけどさ……」
肩を落とした私に、杉浦くんが小さく笑った。
なんだか彼には恥ずかしい場面ばかり見られている気がする。
一応私のほうが年上なのだから、格好いいところを見せておきたいのだけれど。
「それより見て。さっきのワゴンが停まってるでしょ」
言われて杉浦くんの視線を追いかける。
そこには確かに、つい先程私と真冬さんの目の前に突っ込んできた黒いワゴンが停まっていた。
「ここも共礼会のアジトってことか……?」
兄がぼそりと零した言葉に海藤さんが、ああ、と頷く。
「多分な。中にどんだけ人数いるかはお楽しみだ。もう行く準備はできてるか?」
「ああ。いつでもいけるよ」
ゆるりと頷いた兄にバレないよう、こっそりと腹部を撫でた。
……少しヒリヒリするが大丈夫そうだ。
ふいと顔を上げるとちょうど海藤さんが吸い終わった煙草を結構な反動をつけて地面に叩きつけている場面に目が留まった。
「ちょっと海藤さん。お行儀悪い」
「なんだよ、見てたのか香織ちゃん。こっそりやろうとしたってのに」
くつくつと笑いながら彼は立ち上がる。
その目にはなんだか――苛立ちにも似たものが宿っているように思えた。
「あ、ねえ。作戦とかは?」
「そんなのいらねえ」
「はぁ?! でも……中、何人いるかわかんないんだよ?」
杉浦くんからの質問を冷たく突き放した兄の背中に、つい背筋が凍る。
こんなに怒っている兄を見るのは初めてだ。
それだけ、真冬さんの存在は彼の中で大きいのだろう。
「何人いてもやることは変わんねえってさ」
ふっと小さく笑った海藤さんに振り向かないまま、兄は、ああ、と頷いた。
「今は作戦とかそういう気分じゃないんだよ」
「なんで?!」
杉浦くんの悲鳴にも似たその声に申し訳なさが募る。
だが兄は、そんな彼をさっさと置いて歩き出してしまった。
少し遅れて歩き出した海藤さんが杉浦くんの背を追い越しながら横目で視線を送る。
「わかんねえか? さっき目の前で真冬ちゃんと香織ちゃん殴られたからだろ」
「うへ……マジかぁ?」
呆れたような声を出しながら杉浦くんは仮面を装着した。
顔バレ防止か、賢い子だ。
彼にとっては復讐相手のバックに付いている組織だし、そもそもヤクザに顔なんて割れない方が良いに決まっている。
実体験した私がそう思うのだから間違いない。
「――香織」
「ん?」
不意に。
一等先を歩いていた兄が振り向かないまま足を止めた。
つられて私も足を止める。
「絶対手の届くとこにいろよ。お前には、もう一発も入れさせないから」
「……過保護」
「そりゃ『たった一人の家族』だからな」
それは三年前、兄と再会した時に私が言った言葉だ。
今の兄は一体どんな顔をしているのだろう。
気になるけれど……覗き込むのはやめておいた。
「お前の手から漏れた分は俺がやっから安心しろよ」
海藤さんの言葉に兄はふっと小さく笑い、『本日貸切』と手書きで書かれた紙がぶら下がっている扉を見る。
「よし、行けやター坊。一番乗りはお前に譲ってやる」
無言のまま歩き出した兄の足取りは――いつになく、力強かった。
◇ ◆ ◇ ◆
「おう、待てこら。貸切やいうとるやんけ。――ん?」
キャバレーのロビーには6人ほどの男が待機していた。
男たちは貸切の札を無視して堂々と侵入してきた私達の顔を怪訝そうに見て、やがて顔をしかめる。
「お前……八神?!」
そういえばどこかで見た顔だ。
KJアートだったか、それとも先程の真冬さん誘拐未遂の時だったか。
まあ、どちらだろうとやることは変わらない。
「止まれやボケ!」
「お前ら、真冬さらってこんなとこに連れ込む気だったのか?」
男からの怒声に兄は、いつになくドスの利いた声を返した。
確かに、こんなところに彼女一人連れ込まれてしまったら一体何をされていたかわからなかっただろう。
「誰があいつを攫えって? 村瀬か? それとも塩屋?」
「なんやと……?」
眉間にシワを寄せる男たちを海藤さんが睨んだ。
「チンピラは引っ込んでろってこった」
彼の言葉に杉浦くんが、そうそう、なんてゆるい声色で同調する。
思わずその横顔を盗み見ると彼は私に視線を返し「なぁに?」と首を傾げた。
「……頼もしいなーって」
「でしょ?」
仮面の向こうで小さく笑う声がして、私はつい無意識に強張らせていた身体から力を抜く。
呼吸を整えて。
ゆるく拳を握った。
「やかましい! ええやろ上等や。ラクには殺さんでコラァ!!」
開戦の合図と同時に海藤さんが男たちへ突っ込み、豪快なドロップキックでまとめて三人をなぎ倒していった。
ロビーが無駄に広いおかげもあってか随分気持ちよく飛んだものだ。
「ナメくさりおって!」
海藤さんのドロップキックについ視線を奪われていた私へ男が一人手を伸ばしてくる。
それをサッと横に避け、その勢いで回し蹴りを――。
「がはっ?!」
しようとした私と男の間に兄が滑り込んできて、力任せに男を殴った。
男の体はそのままふっ飛ばされて床に転がる。
「お兄ちゃん、急に入ってきたら危ないよ。蹴るとこだったじゃん」
「悪い」
そうとだけ言って兄は怒号と共に繰り出された別の男からの拳を易易と受け流した。
バランスを崩した男の顔がちょうど目の前に来たので、顎を蹴り上げると、男は白目をむいて床に倒れ込む。
「こっちも終わったよ」
後ろから声をかけられて振り向くと、一人をきっちり伸したらしい杉浦くんが涼しい様子で立っていた。
一方海藤さんも流石の手腕で、彼の足元には男が三人倒れている。
背中を預けられる人が三人もいる頼もしさたるや。
戦いやすさが段違いだ。
相手が6人いようとあっさり勝敗が決してしまった。
無言のまま歩き出した兄は、そのままロビーにあった扉に手をかけ、さっさと開けて奥へ進んでいく。
「今のお兄ちゃん、ちょっと怖い」
彼の背中にそう茶化すと、彼は少し、目を丸くしてこちらを振り向いて。
かと思えば「うるさいよ」と困ったように笑った。
少しは冷静になってくれただろうか。
「はぁ……?」
だけど、扉の向こうに広がっていた光景は再び兄の神経を逆撫でしてしまう。
恐らくそこはキャバレーのメインホール。
少し薄暗いが煌びやかなライトで照らされたその空間の奥にはステージが用意されていて――ヤクザが6人、肩を組んでラインダンスの練習をしていた。
「そこ、ワンテンポ遅れとるでぇ! そんなんで笑い取れる思たら大間違いや。もっと真剣に踊らんかい! はい、アン・ドゥ・トロワ! アン・ドゥ・トロワ!」
こちらに背を向けたスキンヘッドの男の怒号が飛ぶ。
ヤクザってあんなこともしないといけないのか……大変そうだなあ。
「なにやってんだ、アイツら?」
「どうも緊張感のない連中だね……」
心底呆れたような声色を零す海藤さんに杉浦くんが呼応した。
「関西の人って愉快だねえ」
「香織さん、本当に思ってるそれ?」
なんて話をしていたら、兄がさっさと奥へ進んでいってしまう。
少し足早にその背を追いかけると、踊っていたうちの一人が「あ、兄貴! 八神や!」と声を上げた。
途端、踊っていた男たちとその指導をしていたスキンヘッドの男が向かってくる。
さっきまであんな愉快なダンスを踊っていたとは思えない切り替えの速さだ。
……とはいえあのスキンヘッドの人は相当な強敵だろう。
ガタイもいいし、なんなら兄より背が高い。
とりあえず敵の数を減らして孤立させてから囲むほうが良さそうだ。
まとまっていられると人数差で押し切られる可能性もある。
先手必勝。
近場にあった椅子から跳んで高さを出しつつこちらへ勢いよく向かっていた男を二人、回し飛び蹴りで巻き込んでなぎ倒した。
呻きながらも立ち上がろうとした二人へ、兄と海藤さんがトドメを刺す。
「香織ちゃん、杉浦。このデカブツは俺とター坊でやる。残りの雑魚は任せたぜ」
「だってさ、香織さん」
兄と海藤さんはそのままスキンヘッドの男へ向かっていき、杉浦くんが私の隣についた。
「僕もあの二人に比べて軽い方だからさ。お互い背中守りながらゆるくやろうよ」
「……だね」
なんて言うけれど、杉浦くんも結構アグレッシブに動ける子だ。
正面切ってやりあえば兄や海藤さんには及ばないだろうが、先程から見ていると、他者を翻弄するのが随分上手に見える。
「こンのガキが! ちょこまかと……ッ!」
トリッキーな杉浦くんの動きに苛立ったのか落ち着きがなくなった男の背後に回って側頭部に一撃。
するとすかさず彼が飛び蹴りで追撃を食らわせる。
そんな感じの戦術を繰り返しているうちに2対4はあっさりと終わってしまった。
「香織さんってさ、格闘技出身だからかな。すごい硬派な戦い方するよね。基本に忠実っていうか。合わせやすくて助かるよ」
「作戦も立てず私にそっくり合わせられる杉浦くんの方が凄いと思うけど……」
「そう? あは、褒められちゃった」
相変わらず懐っこい子だな、なんて思っていたら背後からどさりと重たいものが倒れる音がする。
振り向くとスキンヘッドの男が床に沈んでいた。
目を合わせた私達はそのまま先へ進もうとして――。
「待たんかい……!」
スキンヘッドの男が床に倒れたままタイミングよく近くにいた杉浦くんと海藤さんの足を掴む。
杉浦くんは手で男の手を剥がそうとし、海藤さんが足で男の頭を蹴るも、その手はびくともしていないようだった。
見た目を裏切らない流石のしぶとさだ。
「しつっこいなぁ!」
「先行け、ター坊、香織ちゃん!」
海藤さんにそう言われた兄は「いや、でも……!」と一瞬躊躇う。
足を掴まれている二人の背後では扉が開き、増援が数人こちらへ駆けてきていた。
「いいから行けっつってんだろ!」
「……悪い、任せた! 行くぞ、香織!」
彼らならきっと大丈夫だ。
頷き、私は兄と共に駆け出した。