――翌日。
まだ日の高い午前中、私は一人でシャルルの階段を降りていた。
兄はと言うと、何やら用事があると言って私をシャルルの前まで送り、どこかへ姿を消してしまった――なんだか探偵の仕事の用事らしいけれど、兄がぼそりと"変態三銃士"がなんちゃらと呟いていたのが気になる。
あの人、一体何に巻き込まれてるんだろう。
「……あれ。今日は東さんだけ?」
店の扉を開けて奥へ進むと東さんがカウンターにつまらなさそうに肘をついていた。
彼は私に気がつくと、おう、と小さく返す。
平日の午前中ということもあってかお客さんの姿はない。
「今日は俺が店番だ」
「へえ、ちゃんとシフト制なんだね」
「そりゃあな」
カウンターの向かいに置かれている青いベンチに腰掛けると、彼は不思議そうに首を傾げた。
「で、今日は何の用で来たんだ?」
「んんと。……謝りに?」
「あ? 何をだよ」
「……多分、これからまた大所帯になるから」
「はあ?」
怪訝そうな顔の彼から、つい気まずくて顔を背ける。
「また新しい仲間が来ます。今日」
「――……」
恐る恐る彼の顔を見るとぽかんと口を開けてこちらを見ていた。
本当に申し訳ない。
「お前ら、ここを秘密基地かなんかだと思ってねえか? それとも、俺をナメてんのか?」
「いやマジでごめん……」
とはいえ他に良い場所も見つからない。
ゴリ押せば東さんなら折れるだろうという兄の目論見もあるだろうけれど……。
なんだか諸々申し訳なくて俯いていると彼は深く溜息を零してから、ふと、カウンターに肘をついたまま私の顔を覗き込んだ。
「話は変わるけどよ。お前、目の下クマできてんぞ。寝不足か?」
「え、ほんと?」
ポケットに入れておいた手鏡で目元を見る。
確かに彼の言う通り、くっきりとまではいかないけれどクマがあった。
そういえば朝から目が重たく腫れぼったいような気もする。
結局昨日、あんまり眠れなかったせいだろう。
「もしかして今日うちに集まろうとしてんのと関係あんのか」
「ん、まあ、ね」
「お前がなんかイライラしてるみてえに見えんのも、そのせいか?」
「……、」
思わず自分の口角に触れる。
すると彼はくつくつと笑った。
「お、図星かよ。なんかいつもとちょっと雰囲気違えなと思ってよ。ま、殆ど当てずっぽうだったんだけどな」
「――東さんさあ」
「あん?」
思わず立ち上がって、彼と同じようにカウンターに肘をつき、彼の顔をじっと睨みつける。
突然近付いてきた私に彼は少し驚いた顔で上体を起こした。
「不意打ちでそういうことすんの、やめてよ」
「な、なんだよ。心配してやったんだろ」
「心臓に悪いっつってんの」
「お前に言われたくねえよ……」
呆れたようにそう零す彼に背を向け、カウンターに背中を預けた――ところで、物陰からこちらを覗いている星野さんと目が合う。
彼は「……あ」と零した後、しばらくどうすべきか迷っているようだったけれど、やがて清々しい表情でにっこりと笑った。
「僕のことは気にしないで、どうぞ続けてください」
「いや誰だよ」
東さんの声に星野さんは何やら楽しそうに物陰から出てきて、カウンター近くに立つ。
「もしかしてこいつか? 新しい仲間って」
小さく頷くと東さんは溜息を零し、当の星野さんは、ども、なんて小さく頭を下げた。
「早いね、星野さん。お兄ちゃん来るまでもう少しかかりそうだよ」
「大丈夫ですよ。お二人を見てたら時間潰せそうなので。さ、どうぞお気になさらず」
「……こいつ出禁にしていいか?」
「今回は見逃したげて」
そういうと東さんはぐっと顔を歪め、はあ、と深く溜息を零しながら煙草に火を付ける。
「ねえねえ、せっかくなんでお二人の馴れ初めとか聞かせてくださいよ。どうせ時間あるんですし」
「星野さん。そんなに元気が有り余ってるなら私と組手でもしよっか? 表出てくれる?」
事件のメンバーになれたことが嬉しいのか、はたまた非日常との邂逅にテンションがバグっているのか、いつになく馴れ馴れしい星野さんに私は笑顔でそう提案した。
するとようやく彼は「大丈夫です……」とぎこちない笑顔を浮かべて黙り込む。
そうしてやっと静かになったシャルルの中、そういえばここで一度も遊んでいなかったことを思い出してアーケードゲームを暇つぶし代わりにやっていると、海藤さんと杉浦くんが店に顔を出した。
「お。早いな、香織ちゃん」
「こんにちは」
どかっとベンチに腰を下ろした海藤さんと壁にもたれた杉浦くんと挨拶を交わしていたら次いで、兄が顔を出す。
これで一旦フルメンバーか。
にしても、初期と比べると大所帯になったものだ。
人数が増える毎に心底面倒くさそうな表情にどんどん変わっていく東さんを盗み見ていたら、兄はふと、シャルルの端にいた杉浦くんの名を呼びながら少し驚いたような顔で彼を見た。
「海藤さんに声かけてもらったんです。仲間外れにしないでくださいよ」
海藤さんと杉浦くん、いつの間にそんな連絡を取り合うほど仲良くなったのだろうか。
どうやらまた海藤さんの人誑しが炸裂しているらしい。
……いや、誑されているのは海藤さんの方かもしれないけれど。
「俺は遠慮なく仲間はずれにしてくれていいんだぞ? ていうか、なんでここに集まろうとすんだ?」
ため息と共に東さんがそう零すと、話を聞いていた星野さんが「でも良い人ですよね、東さんって」と口を開いた。
「そう言いながらちゃんと場所貸してくれるんだから」
「ヤクザなめんなよ、兄ちゃん」
「そうやって凄むとむしろかえって良い人の部分が見えちゃいますよね」
「な、なんだと?!」
精一杯の脅しが通じなかったことに驚いて東さんは肩に力を入れながら声を荒げる。
とはいえ、彼が吐き出す冷たい台詞にはイマイチ覇気がないと言うか、人のよさが滲んでしまうことには大いに同意だ。
ふと、横顔を盗み見られていることに気がついたらしい彼と目が合う。
彼はこれまた嫌そうな顔で私を睨んだ。
「へえ、星野君って見た目より肝据わってんだね。案外腕も立ったりして?」
言いながら杉浦くんが星野さんへ歩み寄る。
……あれ。
杉浦くんより星野さんの方が年上、だよね……?
いきなりの"君"呼びとタメ口に少し驚く。
最近の若者はパーソナルスペースが狭いんだろうか。
「一応、空手は三段です」
星野さんの返答に、腕組して様子を見守っていた東さんが「え……?」と小さく零す。
そんな彼へ視線を返しながら星野さんは喧嘩では使ったことないですけど、と付け加えた。
すると東さんはふん、と鼻を鳴らす。
……もしかして星野さん、東さんより強い?
「そういえば香織さんも空手やってたんですよね。香織さんも三段持ちですか?」
不意に投げかけられた視線に私は苦笑いを零した。
「私は黒帯取っただけ。星野さんよりも下だよ」
「いやいや、まさか。……あ、もしかして帯だけ取ってストリート中心に切り替えたんですか?」
なんだか楽しそうな彼に呆れつつ頷く。
確かに彼の言う通り、黒帯もとい初段を取った段階で私はストリートに切り替えた。
私の目的は空手を極めることではなく強くなることだったし、初段以上の段位はどちらかといえばメンタル面や型の美しさ重視になってくる。
物理的に強くなりたかった私としては黒帯を取るのが最終目標だった。
「いいなあ、なんかそっちの方が格好いいですね。能ある鷹は爪を隠す的な?」
「……はいはい、ありがと」
ふと、そこで会話が一旦途切れる。
そろそろ本題に入ろうと全員の意識がまとまったところで兄がスマホを取り出しながら切り出した。
「源田法律事務所の新谷弁護士が殺された」
兄のスマホには昨夜見たばかりの彼の死に顔が写っている。
一瞬息を呑むけれど。
口の中に溜まった唾液を喉の奥に押し戻した。
「遺体は両目を抉られてて、その手口から"モグラ"が絡んでる可能性が高い。みんな……手ぇ貸してくれるか?」
そういえば、兄はいつも勝手に事件に首を突っ込んでいく人だけれど、ちゃんと正面切ってこうして誰かに助力を求める姿を初めて見たような気がする。
20年前は私のことを置いてどこかへ行ってしまった兄。
その兄が今、一人ではなく、誰かとともに凶大な闇へ挑もうとしている。
それがなんだかとても嬉しくて。
……自分もそこに加われていることが、誇らしくて。
もう誰も失わない。
内に点火した覚悟が消えないよう、私は拳を握りしめた。