それから、しばらくして。
兄と海藤さんがシャルルに戻ってきた。
見知らぬ青年を一人連れて。
「……なあ、あんたら。なんでわざわざうちに集まって来んだよ?」
すっかり大世帯になってしまった店内を見て、東さんは心底迷惑そうに零した。
そんな彼に、椅子に腰を下ろした海藤さんが視線を返す。
「もしかして迷惑だったか?」
「そりゃ、兄貴たちといるところカシラに見られたら……」
「羽村のカシラは雲隠れしてんだ。しばらく大丈夫だろ? それとももしかして、"迷惑"じゃなくて"お邪魔"だったか?」
言いながら海藤さんは、カウンターすぐ近くに椅子を置いて座っていた私の顔を見た。
目があった彼を、私は軽く睨みつける。
「海藤さん」
「なんだよ香織ちゃん。そんな怖い顔しちゃ美人が台無しだぜ」
「はあ、もう」
思わず足を組むと海藤さんは楽しそうにくつくつと笑った。
「……だいたい、そいつ誰です?」
そう言って東さんは、兄と海藤さんに連れられてシャルルへやってきた青年に視線を送る。
その子はなんだか見覚えのある仮面を手に――。
「あーっ?!」
思わず、私は声を上げながら立ち上がった。
横にいた東さんと、正面にいた海藤さんが揃ってびくりと肩を震わせる。
「な、なんだよ。どうした、香織」
目を白黒させる東さんに言葉を返さないまま私は口を開いた。
「もしかして、お兄ちゃんのスマホ、スってった人……?!」
「あ、そうそう。その人」
兄が頷くとその青年は私の顔を見て小さく微笑み、ひらりと手を振る。
彼のせいで私は兄とはぐれて源田事務所へ一人で行く羽目になり、おまけに兄はビルから落ちかけた。
正直あまり良い印象は持っていないけれど、様子を見るに、兄はどうやらそうでもないらしい。
「名前は?」
「杉浦。……杉浦文也」
そう自己紹介をした青年、もとい杉浦くんから目線を外さないまま兄は、何度か彼に助けてもらったのだと口にした。
つまりビルから落ちそうになって以降も彼とどこかで会って助けられ、そして今回はKJアートの偵察の際に共礼会の組員に絡まれ、危ないところを助けてもらったのだという。
「そのお面……例の神室町の窃盗団ってのが、たしかそんなの被ってんだよな?」
「あそこはもう抜けたよ。今はひとり」
ということは元窃盗団のメンバーだったということか。
実際遭遇する機会は少ないけれど、そういえば、夜にビルの上をぴょんぴょんと動き回る若者たちを、何度か見たことがある気がする。
パルクール、と言うんだったか。
「それよりお前、さっきはなんであの場にいた?」
あの場、という兄の言い方が気になって私は首を傾げる。
すると兄は共礼会へ乗り込んだらうっかり組員たちに囲まれ、挙げ句にナンバー2である塩屋まで出てきたと説明してくれた。
……いや、ナンバー2に遭遇って、さらっと説明して良い内容ではないのだけれど。
一方、杉浦くんは兄に視線を返しながらも何も言わない。
そんな彼に、兄は「言いたくないか?」と問いかけた。
「あ、いや。どこから話したもんかと思ってさ。ちょっと込み入った話でね」
「ん?」
兄の疑問符に杉浦くんは少しだけ考え込んで――口を開く。
「僕ね、前は梶平グループで働いてたんだ。関西の本社で」
「梶平……? 共礼会のバックについてる?」
海藤さんが怪訝そうな声を漏らした。
「そう。そこで社内のIT管理の仕事をしてたの。サイバー攻撃を防いだりとかそういう……システムエンジニアってやつ」
なんだか意外な経歴に私は、へえ、と小さく零す。
ちゃんとした職業っぽいのに、どうして今は窃盗団にいるのだろう。
……いや、窃盗団ももう抜けたんだったか。
「ある日僕は、たまたま経理のデータに数字の改ざんを見つけたんだ。グループの幹部が何人かで裏金を作っていたわけ。奥単位で領収書のいらない金が隠されてたんだ」
なるほど、有り得そうな話だ。
「で、僕はそれ見て面白がってたんだけどさ……その覗き見が連中にバレちゃった。そこからは早かったよ。僕はなぜか会社の金を横領したことになってクビ。何を言っても信じてもらえなかった」
彼の話に私達は黙って耳を傾ける。
「ただそれでも僕は、幹部連中の裏金が共礼会ってヤクザに流れているらしいことは掴んでた。KJアートはその行先のひとつでさ。もしその金の流れを証明できれば……僕をハメた連中に仕返しが出来る」
つまり彼は、あらぬ罪を被せて自分を会社から追いやった人たちに、復讐をしたいがために動いていた、ということらしい。
窃盗団に入っていたのもそのためなのだろうか。
とはいえ、彼の目的がそういうことなら少なくとも兄たちと向いている方向は同じなはず。
兄はモグラを追う上で浮上してきた共礼会ひいては梶平グループとの繋がりを調べている。
杉浦くんは、共礼会と梶平グループの裏金の繋がりを証明したい。
ヤクザの抗争云々は兎も角として、少なくとも梶平グループについての利害は完全に一致しているというわけだ。
「だから今日もあそこにいたのか」
「僕はずっと前からあのビルを監視してるからね。初めて八神さんがKJアートに乗り込んでったときも見てたよ。――その少し前に、そっちのお姉さん……香織さんがビルに連れ込まれてるとこもね」
杉浦くんの言葉に私はきゅっと唇を結んだ。
それはつまり、無謀にもヤクザに喧嘩を売ってあっけなく攫われたところを見られていたということで。
いつの間にやら名前を知られていたことよりも、恥ずかしさが先に来た。
名前に関しては……まあ、KJアートの周辺にいたのなら、私の名前が兄や海藤さんの口から出たのを聞いていたのだろう、きっと。
「なんだその話。俺ぁ聞いてねえぞ」
じとりとした目で東さんがこちらを見る。私はそれを無視して、兄に続きを促した。
顔の横にはまだ彼の視線を感じる。
あの件に関しては、既に兄と海藤さんから説教を受けたのだ。
もう一度掘り返して怒られるなんて御免被りたい。
「じゃあ、さっき俺らを助けてくれたのはなんでだ?」
兄の口火で再び話題が杉浦くんに戻っていく。
一旦、東さんも私から視線を外したのを確認して、ひっそりと息を吐いた。
「八神さん、この間"一緒に仕事しないか"って僕を誘ってくれたじゃない? じつはその時も、悪い話じゃないのかなって……いつか組んでも損はないと思ってたんだ。八神探偵事務所とはさ」
すると杉浦くんは海藤さんへ視線を注ぐ。
「――特にそっちの、海藤さん」
「あ?」
「さっきだってヤクザが何人いても全然負けそうになかったもんね。見ててほれぼれしちゃったよ」
すると海藤さんは、フッ、と少し自慢げに笑った。
「お前、若いのになかなか見どころがあるな、うん」
なんだかコロッと懐柔されてしまった海藤さんに兄が「調子よすぎだって」と釘を刺す。
まあとはいえ、ここまでの話を聞いても杉浦くんに悪意らしきものは感じなかったし、"共犯者"として共に歩んでも良いのかもしれない。
なんて、これからの協力関係に前向きになっていたら、ずっと黙って話を聞いていた東さんが、なあ、と小さく零した。
「――やっぱこの話、俺んとこでする必要あったか?」
……まあ正直。
ここじゃなくても良かったことは否めない。
が、誰もそれには返さず、ゆったりと立ち上がった杉浦くんに再び視線が集中した。
「どうかな、僕ら? 仲間とまではいかなくても持ちつ持たれつって感じでやるのは。八神さんはモグラ。僕は共礼会……追いかける相手は違っても、結構協力し合えそうだよね?」
すると兄は少し嬉しそうに笑いながら、杉浦くんの顔を見上げる。
「そっちに連絡する時はどうすればいい?」
兄の言葉に杉浦くんは、ポケットからスマホを取り出して、なにやら操作する。
携帯番号でも教えてくれるのかと思っていたら、彼のスマホからは発信音がして――兄のスマホからは、着信音がした。
「これで大丈夫でしょ?」
スマホの画面を見た後、兄は訝しげに杉浦くんの顔を見る。
「なんで俺の番号知ってんだ?」
「携帯を勝手に拝借したでしょ? そのときチェックしてたから」
随分、抜け目のない子だ。
これは頼もしい協力者を得たかもしれない。
驚く私達を置いて、杉浦くんは一足先にシャルルを去っていった。
その背を見ながら兄は「なんてやつだ」と、感心と驚きが混じったような声で呟く。
そのまま立ち上がり、東さんに目を向ける。
「なあ、もう帰れよあんたら。うちも今日は店じまいだ。……そもそも、あんま気軽に来んじゃねえよ」
「でも香織のこと匿ってくれてたんだろ」
兄の言葉に東さんが、ぐ、と小さく零す。
「目立つから大人数で来んなっつってんだよ」
「ふうん。じゃ、香織一人で来る分にはいい、と」
「八神テメエ、もしかして俺に喧嘩売ってんのか?」
すると兄は小さく笑った。
「まさか。これからもうちの妹をよろしく頼むよ」
「……フン」
カウンターに肘をつき、そっぽを向く東さんはなんだか可愛らしくて。
一年前――ただの一般人と極道という関係だった頃より、随分と彼の背中が近くに感じた。
それがなんだか嬉しくて私はつい、少しだけ勢いづけて立ち上がる。
「にしても杉浦くんは、なかなか良い青年だったな」
と、相変わらず嬉しそうな海藤さんが零すと兄はため息を返した。
「あんたちょっと褒められただけでそれか?」
「まだ信用できるわけじゃねえがよ。持ちつ持たれつぐらいでやってく分には悪くねえと見たぜ」
「かもな。まあとにかく、今夜はもうあがりだ。俺は事務所に戻るよ」
「おう。じゃあな」
すると兄は私へ視線をよこした。
「香織はどうする? 今日も海藤さんとか?」
「……いや、事務所行くよ。着替え置いてきちゃったから」
「そ。じゃ行こうか」
歩き出した兄に続いてシャルルを出ると、欠けた月が、ビルの隙間から小さく見える。
「寒いねえ」
「そうか? ……風邪引くなよ」
「はいはい」
白い息を吐きながら、私は兄の背を追いかけた。