「ええっと……検察側としてはやはり、星野君が犯人であることを主張します」
このケーキ事件、まだ続くんだ。
と、ぼうっと思いつつ、あまり緊張感のない真冬さんの冒頭陳述に耳を傾ける。
「その根拠は? 被告人はあなたにも犯行は可能だったと主張していますが」
「……裁判長。検察側にはその主張に対して、反論の準備があります」
ちゃんと手を上げて反論する真冬さん。
なんだかんだ彼女も真面目な人だ。
「藤井検事。どういうことでしょうか?」
「もし私が食べたとしたら……あるはずのものがないことになるのです。そうだよね、八神君?」
問いかけられた兄は、小さく息を吐いて口を開く。
「現場のゴミ箱にあるはずのゴミがなかった。たまたま今朝、ゴミ出しの日だったからだろう」
先程も確認したが確かにゴミ箱は空っぽ。
周囲の証言から考えるに一番最初に来ていた源田さんが片付けた。
それは間違いないだろう。
「ということは、もしも真冬がケーキを食べた場合、空っぽのゴミ箱にゴミを捨てることになる。そうなると当然、今もゴミ箱にケーキの包み紙が残されているはずなんだ」
するとさおりさんは「あ、確かに」と小さく頷く。
そこへ追撃するように真冬さんが口を開いた。
「でも包み紙は残されていなかった。だから、私がケーキを食べたはずはないってこと」
他のゴミ箱も空っぽだった。
彼女がゴミを隠し持っていたりしたら話は別だが、彼女は今、バッグ等は持っていない。
流石に仕事用のスーツに直接ゴミを突っ込むほどズボラな人ではないと思うけれど……。
「待ってくれ。さおりさん……こっちにも反論がある」
「弁護側の異議を認めます」
なんだか、兄だけまだこの裁判ごっこの熱量についていけてないようで、妙に裁判長になりきるさおりさんの返答にちょっとだけ詰まる。
「ゴミがないのがおかしいってのは確かだが、ゴミなんて、隠すことだってできるはずだ」
「異議あり。そう来ると思ったわ、八神くん。……ではここで、検察側から新たな証拠品を提示したいと思います」
「新たな証拠品だって?」
真冬さん、ちょっとノってきた?
本職として血が騒いだのだろうか。
「実は八神君たちが部屋を調べている間、私も独自に部屋を調査していたのだけど……その時、これがさおりの机の上の書類に紛れているのを見つけたのよ」
そう言って彼女が高々と掲げたのは――ビルの計画停電のお知らせの紙だった。
時刻は、午前1時から、午後9時。
「そんなものが?」
兄の疑問に星野さんが、そういえば、と口を開いた。
「その話、源田先生がしてましたね。事務所のみんなに注意してましたよ。ものが痛むから、冷蔵庫に何も入れるなって」
するとさおりさんが、「あ」と小さく声を上げた。
「そういえばそうだった。急用ができて、急いで帰ったから、すっかり忘れてた……」
「ん? ってことは……」
すると真冬さんは腕を組み、目を伏せる。
「そう。もしケーキが電源の落ちた冷蔵庫の中に一晩中あったなら、傷んでいたはず。冬とはいえ、今朝は珍しく暖かかったからね」
「でもそんなケーキを一口でも食べたら、すぐにでもわかりそうじゃない?」
さおりさんの問いに真冬さんは頷いた。
「ええ。綺麗に平らげるまで、気が付かないはずがない。だけど実際はケーキは綺麗さっぱり消えていた。つまり誰かが、新鮮なケーキを、ぺろりと平らげてしまった……ということよ。そしてそれが可能だったタイミングは、一つに限られる」
言いながら、彼女は星野さんを見た。
「ケーキが傷んでしまった今朝ではなく、"ケーキが痛む前の昨晩"……よ」
「ああ!! まさか……」
「その……"まさか"よ」
星野さんの悲鳴にも似たその声に、真冬さんはにやりと笑う。
つまり彼女の主張は、ケーキは痛む前に平らげられて、そのゴミは今朝源田さんによって片付けられたということらしい。
「ケーキを食べることができたのは昨晩、最後まで一人で残っていた……星野君。あなたしかいないの!!」
「そんなあー!!!」
状況だけを見るに無傷のケーキに触れた人物は、確かに、星野さんだけだ。
そこまで考えて、私は首を振った。
……いや、まあ、確かにそうかもしれないけれど。
停電という新たなカードに、"犯人はそもそもいない"という可能性を見出していた私はつい、首を傾げた。
確かに星野さんが食べていないという立証はされていない。
だけど同時に、星野さんの動機もまた、動機と呼ぶにはあまりに弱々しい。
それどころか……星野さんが、わざわざ"さおりさんが自慢してきたケーキ"に手を付けるとは考えにくいようにも思う。
それに――八時間にもおよぶ停電。
溶けた氷。
捨てられた牛乳パック。
既に処理されたゴミ。
昨晩から見当たらない、"冷蔵庫に入ったまま"のケーキ。
星野くんが夜のうちにケーキに手を付けていなければ……ある可能性が浮上する。
「異議あり!」
びしっ、と。
兄が真冬さんに指をさした。
思ったよりも乗り気な兄の姿に私はつい目を丸くする。
意外と楽しんでいたか……徐々にちゃんとした裁判じみてきた今の状況に、完全に火がついてしまったか。
「八神弁護士、反論があるのですか?」
さおりさんの言葉に私はちょっとだけ浮つく。
八神弁護士。
そういえばそんな言葉を、随分久しぶりに聞いたような気がして。
「……はい。結論を出すのはまだ早いと思います。"もうひとつの可能性"があるのですから」
「なんですって?」
真冬さんはなんだか、酷く焦ったような様子を見せる。
楽しそうだな、この人たち。
「さおりさんが冷蔵庫に入れていた牛乳が、きれいに洗われてまとめられていた。掃除当番を押し付けられた源田先生がやったんだ。……源田先生は、なぜ、そんなことをしたんだろう? まだ残っていた牛乳3本を、いっぺんに捨てるような真似を」
牛乳の話を持ち出してきた時点で、恐らくもう彼の中で、結論は出ているはずなのに。
兄はまるで勿体ぶるように一つずつゆっくりと"弁護"を始めた。
「たしかに不思議ね。どういうことかしら?」
首を傾げた真冬さん――もとい藤井検事に兄は、先程彼女が突きつけた停電の紙を提示する。
「停電にもかかわらず一晩中牛乳が冷蔵庫に入れっぱなしだったら、どうなるだろうか?」
「まあ、痛むでしょうね」
「そしてその傷んだ牛乳を、掃除当番の源田先生が見つけたとしたら?」
「まあ、捨てるでしょうね。……あ。じゃあ……」
と、真冬さんは目を丸くした。
「真冬はもう、わかったみたいだな。なぜ冷蔵庫からケーキが消えてしまったのか」
言いながらふと、傍聴席で仕事に精を出していた私を横目で見る。
その目にはなんだか妙に熱が灯っていて、久々に見た兄の"弁護士姿"に思わず笑ってしまった。
「香織。傍聴人として、お前はこの事件どう見る?」
「え、なに急に。巻き込まないでよ、面倒臭い」
「いいだろ。一人だけ仕事してないで、ちょっと付き合え」
「あのねえ……」
あの人が面倒に首突っ込んだせいでホテル生活を余儀なくされて、財布が寂しくなり、今必死に仕事をしているというのに。
呆れつつ私は仕事の手を止めないまま口を開いた。
「そもそも、"事件なんて起こってなかった"んでしょ」
「……どういうことですか?」
星野さんが首を傾げる。
一方の兄は満足げににやりと笑って続けた。
随分熱っぽく、お決まりの指差しポーズをしながら。
「そう。誰もケーキを食べていなかった。つまり……犯人なんて、いなかったんだ!」
「ええええ!!」
星野さんの叫び声が響く。……うるさいな、この人。
真冬さんも真冬さんで随分臨場感たっぷりに「なんてこと……」なんて呟いている。
「源田先生が……傷んだケーキを捨てたってこと?」
さおりさんの言葉に兄は頷いた。
「ま、そういうこと。昨日は、急用ができて急いで帰ったと言っていたが、そのせいで君は、停電のことを忘れていたんだ。そして掃除当番を押し付けられた源田先生は、傷んだケーキを見つけて、捨ててあげた」
「……全部、私の早とちりってことね」
と、裁判長もといさおりさんが項垂れた瞬間、事務所に少し重たい足音が響いた。
それはまさに渦中の人のもの――事務所に姿を現した源田さんは驚いたような表情を浮かべて、おう、と声を上げた。
「八神に、香織君。真冬君まで。どうしたんだ? 揃いも揃って……」
「あ、源田先生」
座ったまま源田さんを見上げた星野さんの言葉には何も返さないまま、源田さんは、そういえば、と口を開いた。
「誰だぁ? 冷蔵庫にケーキと牛乳入れっぱなしにしといたヤツは? 停電だからモノ入れんなってあれほど言っといただろう? しかもよりによって、俺が掃除当番の時に。生ゴミ捨てるの、めんどくせえんだけどな」
速攻で行われた答え合わせに、さおりさんは小さく呻く。
一生懸命並んで買ったレアものだと言っていたし、"誰かに食べられてしまった"のではなく、"無駄にしてしまった"というショックは相当大きいのだろう。
「……おう、さおり君。そういえば昨晩、こんなこと言ってたよな? "ごみを捨てる人の気持ちもわかってください"。今朝、さおり君のゴミ捨ててる時……その言葉、身に沁みたわ」
どうやら源田さんはゴミ当番を押し付けられたことを、割と、結構、根に持っていたらしい。
なんだかチクチクとしたその物言いに、さおりさんはしばらく沈黙していたけれど――。
「…………ご……ごめんなさーい!!!」
かくして。
『源田法律事務所ケーキ紛失事件』は、何も始まらないまま、終わりを迎えたのだった。