「"東城会系、松金組事務所前で銃撃。一人死亡"か……」
麗らかな日差しが差し込む午前。
太陽の光に照らされて埃がきらきらと舞っているのをぼうっと眺めていた私の意識は、兄が零した物騒な単語に現実へと引き戻された。
その事件はまさに昨日、東さんから聞いたばかりの"栗本さん襲撃事件"のことだろう。
「死んだのは栗本って組の古株だ。流れ弾でカタギにも怪我人が出てる」
ニュース記事を読んでいる兄に、私の正面に座って長椅子を優雅に独り占めしていた海藤さんはそう補足する。
すると兄はスマホから顔を上げて彼の顔へ視線を移した。
「栗本……?」
「いや、お前は知らねえかもな。べつに目立つやつじゃなかった」
殺害されたのは松金組の古株……となると、てっきり兄が知っている人かと思っていた私は、兄の顔を見る。
一方の兄は再びネットニュースの記事に視線を落とし、画面に指を滑らせた。
「犯人は自称会社員、その場で現行犯逮捕」
「そいつは共礼会の送り込んだ鉄砲玉だ」
「間違いないのか?」
「ああ。ゆうべ東から聞いたんでな」
思わず、私は肩を揺らす。
うっかり海藤さんにそれを見られたのではと心配して恐る恐る横目で見るも杞憂だったらしく、こっそり息を吐いた。
「へえ……この間、俺らに銃向けてたあいつが?」
「そう言ってやるなよ。なあ? 香織ちゃん」
突然。
海藤さんがにやにやとしながら私の顔を見る。
「な、なんで私に振るの」
「だってよ。昨日は結局東と一晩一緒に居たんだろ? 香織ちゃんから見たアイツの方が、ター坊にも伝わりやすいんじゃねえか?」
すると話を聞いていた兄も私へ視線を集中させた。
「なに、お兄ちゃん。こっち見ないでよ。変態」
「……なんだよ。見ただけだろ」
「うるさい、あっち向いて」
「んな理不尽な……」
溜息を零しながらも兄は手元のスマホに意識を戻す。
「――ははーん。さては香織ちゃん、昨日、なんもなかったな?」
なんだか自慢げな海藤さんの言葉に、ぎくりとした。
確かに彼の言う通り、昨日は一緒の部屋にいただけだった。
なんなら東さんは眠りに落ちる寸前に見たのと殆ど同じ態勢のまま朝を迎えていて、目の下にクマをくっきりと残したままの彼とホテル前で別れた経緯もある。
「当たり前でしょ。逆に何があるっていうの」
「何がって……そりゃ、なあ」
面白がっている海藤さんを睨みつけるも、彼はそれすら楽しそうに笑いながら受け流す。
どうも彼は、私と東さんのことになると随分お節介になるような気がした。
「なにもないよ。まだ、何も終わってないんだから」
「ん?」
「いいの。今は再会出来ただけで。その先はモグラの件が全部片付いてから考える」
「……ま、それもそうだな」
海藤さんが小さく頷くと、やっと私は一つ、深く呼吸をする。
するとニュース記事を読みながらも私達の会話に耳を澄ませていたらしい兄が口を開いた。
「で、事件の話に戻って良い?」
「……脱線させてごめんなさいね。海藤さんのせいだけど」
睨んで、彼に続きを促すと海藤さんはくつくつと笑った後、兄へ視線を戻す。
「じゃあ戻すが――東の話じゃ、犯人は栗本の身体にまず弾を四発。で、とどめに両目を撃ち抜いた」
「両目?」と繰り返した兄の眉間に皺が寄った。
昨日も東さんの口から聞いたばかりの事件のあらましなのに、私の背筋はひやりと冷たくなる。
それだけ、両目を撃ち抜かれていたという事実は、あまりにわかりやすく、重たい。
「要するに共礼会からモグラへの報復だ。だがこうなると松金組どころか東城会本家も黙ってねえ」
「――共礼会との報復合戦になる、か」
報復合戦という言葉に私は唇を結んだ。
その合戦に、東さんも巻き込まれる可能性は極めて高い。
目に見える繋がりを作ってしまうのは危ないと思って連絡先の交換は申し出なかったけれど、しておけばよかったと、私は今更後悔した。
「ああ。今の神室町は相当ヤベえぞ。東もそう言ってた」
すると兄はゆっくりと、座っていた所長椅子から立ち上がって私を見る。
その険しい表情につい背筋が伸びた。
「香織。今後、動く時は絶対誰かといろよ。一人で動くな」
「んん。それはわかってるけど」
けど、という単語に兄は更に表情を歪める。
「連日ホテル泊は流石にもうしんどいよ。お金もないし、そろそろ仕事もしたいし。お兄ちゃんがホテル代出してくれるなら話は別だけど」
「……俺にそんな金あると思う?」
「思ってないから言ってんでしょ」
すると兄は気まずそうに目を逸らした。
「最悪仕事はタブレットを家に取りに行けばなんとかなるけど、問題は寝る場所なんだよね。事務所で寝泊まりも考えたけど、お兄ちゃんずっといるわけじゃないでしょ? ……どうしようかなって」
「俺か海藤さんと一緒に動けば?」
「あのねえ、体力オバケの二人と一緒にしないでよ。こちとら一般人なの。朝から晩まで動き回れないよ、仕事もしたいし」
私の言葉に兄と海藤さんは目を合わせる。
彼らはしばらくそのまま考えているようだったので、なにか妙案でも出してくれるのかと待っていたけれど、やがてこちらを向いた二人は――。
「まあ、なんとか頑張って」
「応援してるぜ、香織ちゃん」
「……一発ずつ殴って良いかな」
拳を握りしめる私に二人はふいと目線をそらした。
そんな彼らを睨みつつ、体力オバケ共についていくために筋トレでも始めようかと半ば投げやりに考えていたら、兄が事務所の扉へ向かって歩き出す。
「俺も東に詳しい話を聞きに行ってくる。香織、ついでにお前の家にタブレット取りに行くぞ。持ってきたらとりあえず、事務所に置いといて良いから」
「金銭援助は出来ないから大人しく仕事しろってことね。はいはい……」
ひらひらと手を振る海藤さんに見送られながら立ち上がり、私は兄に続く。
そうして愛しい我が家から仕事道具と数日分の着替えを回収し、いよいよしばらく家には帰ってこられないなとしみじみ考えつつ兄と自宅を出たところで、彼のスマホが音を立てた。
「ん? 星野君からか」
「え、星野さん?」
そもそも源田法律事務所の面子からの連絡が珍しいのに、更にその中でも"星野さん"から連絡が来たことに、私は首を傾げる。
スマホを取り出してスピーカーに耳を当てた兄の様子をじっと見ていると、その向こうから『八神さん! 助けてください!』という随分切羽詰まった声が聞こえた。
「星野君、どうしたんだ?」
『事件なんです! 源田法律事務所で!』
もしや羽村さんの手が源田法律事務所にまで、と嫌な予感がして、つい顔がこわばる。
兄も同じように考えたのか、「事件だって?」と繰り返す彼の声色がほんの少し低くなった。
とにかく助けて欲しいと懇願する彼の声に兄はすぐに向かうと力強く返し、私を見下ろす。
「香織、源田事務所で何かあったらしい。すぐ行くぞ」
「うん……!」
◆ ◇ ◆ ◇
エレベータの到着音を置き去りにして、私は兄と共に事務所へ飛び込んだ。
「星野君! いったい何が……」
そう言いながら、先に事務所へ踏み込んだ兄は言葉を飲み込む。
あの兄が言葉を飲むほどだなんて、一体どんな現場がそこに広がっているのかと焦りながらも一歩遅れて事務所の様子を確認した私の目に飛び込んできたのは、応接椅子に涼しい表情で座る真冬さんと、腕組をして仁王立ちしているさおりさん。
そして、その目の前で正座させられている星野さんだった。
(……あ。なんか、どうでもいい事件の気配がする)
もはや事件と呼んで良いのかすらわからない朗らかな雰囲気に心配して損したと思っていると、兄もまた、その光景を前に「は?」と声を零した。
しかし、どうやら当の本人達――殊更さおりさんは随分真剣なようで、私達の乱入には目もくれず、口を開く。
「あなたがやったんでしょう!?」
「だから、違うんですって!」
「素直に白状なさい!」
滅多に聞かない彼女の荒々しい声にぽかんとしていると、兄がなんだか、呆れたような声色で「おい」とその場に声をかけた。
すると星野さんは助かったとでも言いたげな顔で兄と私を見上げる。
「八神さん! それに香織さんも、来てくれたんですね!」
すると、ずっと険しい顔で座っていた真冬さんも顔を上げ「八神くん、香織ちゃん」と、小さく微笑んだ。
「真冬まで……なあ、星野君。事件ってどういうことなんだ?」
「見ての通り、さおりさんと真冬さんに容疑者として尋問されている最中なんです」
「――星野さん、なにやらかしたの?」
ついため息と共にそう零してしまうと星野さんは縋るような顔で私を見る。
「完全に冤罪なんですよ……」
なんだか雨に濡れた子犬のようなその様子に、少し罪悪感が湧き上がって、小さく「ごめん」と呟いた。
が、それにしたって状況が見えてこない。
とりあえず話を聞かないことには何が起こっているのかもわからないだろう。
そう思い、兄の顔を見る。
すると兄は小さく息を吐いてから、私から星野さんへ視線を移した。
「星野君、一体さおりさんに何をしたんだ?」
「何もしてませんよ……。問題は、ケーキなんです」
……ケーキ?
とても事件性のある単語には思えず、私はつい首を傾げる。
すると兄もまた同じことを考えていたのだろう、「どういうこと?」と不思議そうに訊ねた。
「さおりさんが冷蔵庫に保存しておいたケーキを、僕が食べたって疑われてるんです」
「ただのケーキじゃありません。ゴトー・ガトーの生ケーキです!! あれは何時間も並んで買った超レアなものなんです!」
今日はさおりさん、声よく出てるなあ。
なんて、珍しい彼女の様子にどこか夢を見ているような感覚を覚えていると、兄が呆れたように零した。
「は? 容疑ってそんなことかよ……」
兄の言葉につい肩の力を一緒になって抜く。
まあ、危ない事件に巻き込まれていなくて良かったけれども。
「ところで、なんで真冬がいるんだ? 今回の事件と関係あるのか?」
「……たまたま、仕事で用があったの」
「それで事件に遭遇したと」
「うん。なんか突然さおりが騒ぎ出して……話を聞いたら、確かに星野君が犯人としか思えない状況だったから」
するとさおりさんが星野さんを鋭く見下ろして続けた。
「だから真冬には、検事として立ち会ってもらってるの」
「検事って……法廷じゃあるまいし」
兄の口から深い溜息がこぼれる。
「そもそも、なんで星野君が疑われてるんだ?」
「星野君だけなんです。ケーキのことを知っていたの」
すると、未だに床に座ったままの星野さんは縮こまりながら口を開いた。
「確かに自慢されて知ってましたけど……だからって犯人扱いはひどいですよ」
「ちなみに、最後にケーキが目撃されたのはいつ?」
そういって呆れつつもなんだか少しだけ真剣な顔をする兄の姿を見た私は、息を吐く。
兄の探偵魂と弁護士魂に火がついてしまったような気がする。
……これは長くなりそうだ。
聴取を始めた兄の後ろを通り抜けて、私は真冬さんの正面の空いていたソファに腰掛けた。
(仕事しよ……)
決して多くはない荷物が詰め込まれたトートバッグから、ついさっき取ってきたばかりのタブレットを取り出した私は、真横で開かれている裁判を話半分に聞きながら、仕事のメールを確認するのだった。