あれから早いもので、17年の歳月が経過した。
あの事件により両親を失った私はその後、遠方の親戚の元で幼少期を過ごした。
生活は――あまり、順風満帆ではなかったように思う。
もちろん、引き取ってくれた親戚の人たちはとても良い人たちだった。
だけどあの出来事はあまりにも、私に対して余計に気を遣うに十分すぎるほど凄惨な事件だったようで。
事件のあらましは端的に言ってしまえば、逆恨みだった。
弁護士であった父は、ひどく、優秀で。
優秀であるが故に――恨みを買うことが多かった。
被疑者の弁護に成功したときなんかは、特に。
今回の事件の動機もまた同じだった。
親を失い、兄と二人残された幼い私は、親族以外からはまるで腫れ物のように扱われてしまった。
それはきっと、その人達からしたら優しさだったのかもしれないけれど、私にとっては迷惑でしかなかった。
高校ではある種、いじめのようなものにもなっていたように思う。
あまり何をされたかなんて覚えていないけれど一つだけ強烈に覚えているのは――「いつまで悲劇のヒロインぶってんだよ」と言われたことか。
25歳にもなった今となっては、子供の戯言だと笑って済ませられるぐらいの出来事だけれど。
高校を卒業した私は美術系の専門学校へ進んだ。
そうして今、お世話になった親戚の元を離れ、フリーのデザイナーとして一人で生計を立てている。
あまり売れっ子とは言えないけれど、それにしたって女の一人暮らしだ。
趣味も特にないし、細々ながらも月に数回外食へ行けるぐらいの、普通でありふれた生活をしていた。
「……ふう」
1DKの部屋で、インスタントのミルクティーを飲みながら私は何の気無しにテレビを点ける。
トレンド情報でも落ちてないかと話半分にニュースを聞き流しながら仕事机に腰を下ろして月末納期の仕事に手を付けようとしたその時だった。
『……事件の被疑者、大久保新平に無罪が言い渡されました。彼の弁護を担当した八神弁護士によりますと――』
がたん、と。
私は椅子ごとひっくり返りそうな勢いでテレビに意識を戻す。
――"八神"。
それは、私の姓でもある。
この世に同じ姓の人間が存在しないとまでは言わないけれど、決してありふれたものでもない。
逸る心臓を抑えながら私は仕事をしようと開いたパソコンで「大久保新平 事件 弁護士」と検索をかけた。
そうして見つけた記事には――。
「担当弁護士……八神、隆之……っ!」
それは、まず間違いなく、兄の名だ。
あの日――両親を失った私達は、揃って親戚の元へ引き取られるはずだった。
しかし兄は、私だけを親戚の元へ預けて、自分はどこかへふらりと姿を消してしまったのだ。
以降兄とは会えていなかったけれどまさかこんな偶然、近付けるなんて。
それに、弁護士になっているなんて。
調べているうちにわかったことは二つ。
兄が所属しているのは源田法律事務所であること。
所在地は、神室町であること。
私はその日のうちに荷物をまとめ、貯金をはたいて引っ越した。
兄との再会を願い、胸を詰まらせながら。
◆ ◇ ◆ ◇
「あった……源田法律事務所……っ」
ニュースを見た翌日には、私はもう神室町の地面を踏んで、ビルの窓にプリントされた源田法律事務所という文字を仰ぎ見ていた。
指先が震え、今にも泣き出しそうになる。
本当にいるだろうか。
会えるだろうか。
そもそも、あのニュースで聞いた"八神隆之"の名は本当に兄のものなのだろうか。
そんな不安で心臓が痛い。
数秒、その場で留まり、深呼吸をした私はようやく覚悟を決め、源田法律事務所があるビルに足を踏み入れた。
どうやら事務所はビルの二階にあるらしく、早鐘を打つ心臓のあたりをぎゅっと握りしめながらエレベーターに乗る。
そうして現れた、「源田法律事務所」と書かれたドアの前でもう一度、深呼吸。
ついに意を決してその扉を開けて、中へ足を踏み入れた。
「……いらっしゃいませ」
出迎えてくれたのは、鳴り響く電話の音とそれに対応する声――その対応の中で必ず聞こえる"八神"という姓。
少なくとも、ニュースで見た"八神隆之"がいる事務所は、ここで間違いなさそうだ。
「あの、アポはお取り頂いてますか」
焦燥にかき消されそうなぐらい落ち着いた静かな女性の声が私の鼓膜をノックする。
声がした方へ視線を向けると、その女性は表情を変えないままゆっくりとデスクから立ち上がった。
「あ、いえ、その……人を、探してまして」
「人探し、ですか?」
その女性は目をまん丸くして困惑したような表情を浮かべた。
当たり前だ。
ここは弁護士事務所で、探偵事務所ではない。
ただでさえ忙しそうなのに冷やかしだと思われただろう。
「八神隆之という人がいる弁護士事務所は、ここ、ですよね。私、その人に会いたくて」
焦りでどもりながらそう話すと、彼女はますます困惑の感情を強める。
と同時に、どうやら電話対応が一段落ついたらしい奥のデスクに座っていた男性が、これみよがしに舌打ちをした。
彼の前には"新谷正義"と書かれた卓上ネームプレートがある。
「全く、どいつもこいつも、八神、八神って。うちはホストクラブじゃねぇんだよ」
彼の言葉に思わず一歩後ずさると、私の前まで歩み寄ってきた女性が振り向いて「新谷先生。やめてください、お客様ですよ」と制してくれた。
それに安堵したところでようやっと私は、自分の身分を一切打ち明けていないことに気がつく。
「あのっ、私……! 実は八神隆之の――」
ちーん、とエレベーターから聞こえた機械音が、私の言葉を遮った。
その数秒後――ゆったりとした足音と共に、誰かが事務所に入ってくる。
「ただいま戻りました。……ん。さおりさん、この人は?」
「おかえりなさい、八神さん。この方、八神さんを探していらっしゃるようで――」
私は勢いよく振り向く。
視線がかち合って。
17年前のあの日、私の顔を泣きそうな顔で覗き込んでいた兄の顔と、面影が重なった。
その人は確かに、私の兄の、八神隆之だった。
「うおっ?!」
気がつけば私は身分を紹介することも忘れ、兄の胸元に飛び込んでいた。
兄は驚き、背後で様子を見ていた事務所の人たちからはどよめきの声が上がる。
だけどそんなのは気にしないまま、私は兄の腰に抱きついて、ついに溢れ出した涙をこらえることもなく、彼の顔を見上げた。
「やっと見つけた――お兄ちゃん……ッ!」
「お、"お兄ちゃん"?!」
先程舌打ちをした新谷という人の驚く声が背後で聞こえる。
「お前、まさか……香織か? なんでここに?」
「なんでって、お兄ちゃんに会いに来たに決まってるでしょ! 何も言わずいなくなって……ッ、探してたんだよ! 17年も! このバカ兄貴!」
感情が溢れて止まらない。
兄だ。
確かに、世界にたった一人残された、私の家族だ。
「良かったっ、生きてた……! よかったぁあ……っ!」
周囲からの困惑は痛いほど感じていたけれど、私は結局気持ちを抑えられず、子供のように泣き喚く。
そんな私を兄は、17年前より少し力は弱かったけれど、確かに、抱きしめてくれていた。