翌日。
兄と共に病院を出た私は何故かそのまま、「目を抉られた死体」が遺棄されていたうち、一つの現場へ足を運んでいた。
「……神室町で目を抉られた被害者はこれまでに3人いる。この間の久米以外にあと2人。全員共礼会の組員だ」
「そいつらを全員殺ったのが、その『モグラ』だな?」
「ああ。そいつに羽村のカシラは久米を引き渡してたんだ」
――『モグラ』。
兄は、今回の事件の真犯人をそう呼ぶことにしたそうだ。
「……ねえ」
「ん?」
なんだか、真剣な顔で事件の話を始めた二人の間に、私は割って入る。
縫ったばかりの頭部がまだ少し痛い。
「なんか、これから本格的にそのモグラの調査しますーって雰囲気出てるけどさ……なんで私も一緒なの?」
すると兄と海藤さんは顔を見合わせてから、こちらへ向き直った。
「羽村のカシラは手段を選ぶような人じゃない。でも俺達はこの件から手を引くつもりはない。……そうなると、真っ先に狙われるのはお前だ、香織。お前を守りながら事件を追うなら、できる限り一緒にいるのが一番安全だろ」
「――まあ、そうだけど」
ついこの間までは仲間はずれだったのに、気がつけば私はもう事件の渦中に引きずり込まれているらしい。
嬉しいような、面倒くさいような、だ。
「話を戻すぞ。まず、俺が思うにモグラと羽村はグル。だけどあいつはそのことをまんまと隠しきったまま無罪放免……俺らをコケにしてくれた。借りはきっちり返さないとな」
「おう。やるならとことんやろうぜ」
金にはならねえけど、と海藤さんが続けると、兄は少し困りながら「そういうなって」と返した。
「だいたい、カシラはなんでモグラのこと庇うんだ? 下手すりゃ自分がムショにぶちこまれてたろ?」
「ううん。脅されたとか、あるいは、その協力をするだけに見合う見返りがあるとか?」
海藤さんの質問に私も一緒になって頭を悩ませる。
「さあね。まだほとんど何もわかっていないんだ。俺らはまずモグラを知る必要がある。だからここに来たんだろ?」
そうだったんだ……。
なんにも説明されないまま連れてこられたから、こっちは困惑していたというのに。
言葉足らずな兄に少し呆れていると、彼は路地を奥に進み、しゃがみこんだ。
「モグラの最初の犠牲者は……この場所で見つかったんだ」
なんとなく、兄の肩越しにそこを眺める。
両目を抉られた死体が遺棄されていたことなんて忘れてしまったかのように、そこはただの、昼間の神室町の路地として存在していた。
「ああ。第一の事件があったのは8月の末。被害者は共礼会の真柴健吉、27歳。久米よりさらに下っ端だ。目は抉られてて朝方、死体発見の通報があった」
「羽村さんが起訴された今回の事件とかなり状況が似てるんだ……でも羽村さんは今回の裁判で、最後の被害者の久米って人を殺してないって判決になったんだよね? つまり羽村さんが起訴されたのは最後の事件だけってことで、第一の事件と第二の事件には無関係だって警察側は判断したってこと?」
そう問いかけると兄は振り向かないまま口を開いた。
「ま、普通は無関係とは考えられないよな。だけど香織の言う通り、羽村のカシラが起訴されたのは久米殺しの容疑者としてだけ。聞いた話じゃ、警察としても似たような事件が三件もほぼ立て続けに起こって、そのどれもが未解決じゃメンツが立たないってんで、羽村の逮捕に踏み切った側面もあるらしい」
「警察のメンツ、ね……」
まあ確かに、一般市民からしてみれば日常的に両目を抉られた死体があがる街なんて冗談じゃない。
市民の不安を取り除いて街の安寧を表面だけでも取り繕うという目的だけに関して言えば悪い判断でもないのかもしれないけれど。
それも残念ながら不起訴になってしまったから、近隣住民は今日も眠れない夜を過ごしているのかもしれない。
「真柴はどこで、どんなポーズで倒れてたろう?」
「いや、ネットの情報じゃそこまで出てねえ」
「そっか。それじゃ調べようがないな」
そればかりは仕方ないだろう。
発見者が警察か探偵か、妙な人間じゃない限り、目の前の遺体がどんな倒れ方をしていたかなんて覚えていられるわけもない。
そんなことより、まずは抉られた両目に意識が行くだろうし。
以降黙り込んでしまった兄の背中に、ずっとスマホを見下ろしていた海藤さんが顔を上げ、「なあ」と声をかけた。
「警察だってモグラは探したはずだぜ? それでも見つけられなかった。俺らだけでやれんのかね」
彼の言葉に私の胸中にも似たような不安が灯る。
「まあ、普通に考えて、警察の方が個人の人間より手数も手段も多いもんね。対して私たちに出来ることと言えば聞き込みと足での調査ぐらいだし――」
「だろ?」
そこでようやく兄が振り向いて、私と海藤さんを見上げた。
「やれるかどうかじゃない、やるんだよ。でなきゃコケにされたままだ」
「なるほどな、わかったよ」
覚悟が決まっているらしい兄の顔に思わず背筋が伸びる。
それに軽快に承諾する海藤さんも、特に緊張している様子はない。
流石というか……当たり前だけれど、彼らは私とは踏んできた場数が違う。
ここまで来た以上、最後まで付き合うつもりではいるけれど……私は兄の覚悟に、本当についていけるだろうか。
「ええっと、次に第二の犠牲者が出たのは……10月、とある。場所は天下一通りの裏路地だ。行ってみるか?」
すると兄は立ち上がりながら私の顔を見た。
「いや、そっちは俺と香織で行くよ。その代わり海藤さんは前言ってた情報屋に連絡取ってくれるか?」
「ん? 綾部のことか?」
「警察の情報を流してくれるんだろ? 俺らにはモグラの捜査資料がいる」
初出しの情報に首を傾げる。
「情報屋?」
「ああ。海藤さんのツテに情報を横流ししてくれる刑事がいるらしい」
「刑事が情報を横流しって、それ思いっきり汚職だよね……?」
「まあな。でもそいつのおかげで俺らでも情報を得られる」
「それはそうだけど……うぅ、なんかどんどん"一般人"の称号から遠ざかっていく気がする……」
そろそろ、平和な日常にはサヨナラを告げる覚悟を決めるべきなのかもしれない。
なんだか切ない気持ちになっていると、ずっと話を聞いていた海藤さんが「わかった、聞いてみる」と小さく頷いた。
「宜しく。よし、じゃあ香織。第二の現場に行くぞ」
「はーい……」
半ばヤケになりながら兄の後を追い、裏路地に足を踏み入れる。
そこは第一の路地よりも随分奥まっていて、明るくて賑やかな表の世界とはなんだか少し断絶されたような場所だった。
「モグラの二人目の犠牲者が見つかったのはこの辺か」
「こんなとこ、よく見つかったね。最初の場所より、大分見つけにくいと思うけど」
「確かにな――最初の遺体が見つかって多少は警戒したのか……どちらにせよ、調べていかないと真意はわからないけど」
そう言いながら兄は周囲を見渡す。
「そもそも、第二の被害者はどうやってここまで連れてこられたんだろう。路地の入口は細い道だったし、車とかでは無理だよね」
「ああ、そうだな。そうなると被害者は自分の足でここに来たか、それとも殺されてからモグラの手で運ばれたか。こんな裏道に詳しいとなると、モグラは普段から神室町に溶け込んでいる人間の可能性もあるかもしれない。どっちに結論づけるにしてもこの現場の状況だけじゃ情報が足りないけど」
「うん……せめて血痕でも残っていればもうちょっとわかりそうだけど、流石に綺麗に掃除されちゃってるだろうし」
「だな――ええと、確か遺体はゴミ捨て場にあったんだったか」
そう言うと兄はゆったりとした足取りで、ゴミ袋がまとめられている場所に近付いた。
「事件が起こったのは10月。流石にもう痕跡は残ってない、か……ん? おお、これって……!」
「ん、なに? なんかあった?」
なんだか少し嬉しそうに何かをつまみ上げた兄の手元を一緒になって覗き込む。
が、そこにあったのはよく出来た綺麗なネジだった。
「……ただのネジだねぇ」
「なんだよ、全然事件と関係ねぇ……!」
そのまま兄は何故かネジをポケットに突っ込み、立ち上がる。
――持っていくんだ。ネジ。
「やっぱ痕跡なんて残ってないか。これ以上現場で調べることはなさそうだな」
「そうだね。今のところ一番のアテはやっぱり、情報屋さんかな――」
と私が言いかけたところで兄のスマホから着信音が鳴った。
彼はポケットからそれを取り出し、通話ボタンを押す。
もしもし、と。
兄が電話に話しかけた瞬間、駆けるような足音が近付いてくるような気がして、私は路地の奥を覗き込んだ。
――途端。
飛び出してきた仮面をつけた人物に驚いている間もなく、その人は兄のスマホを奪い取ってそのまま走り去っていってしまった。
兄は一瞬驚いて手元を見下ろしたが、すぐスマホの在り処に気が付き、仮面の人を追って走り出す。
「おい待て!」
「えっ、あ、ちょ、お兄ちゃん!」
一歩反応が遅れた私は、駆け出した兄とそれを追うように目の前を走り抜けていく警官二人をぼうっと見送ってしまった。
警官はというと、走り続けている兄に「そこ止まれ!」と叫び声を上げる。
兄は一瞬それに戸惑ったようだったけれど――そのまま大通りを走って行った。
そうして私は一人、路地にぽつんと残される。
「――もう! 一緒に行動しないと危ないって言ったのは、そっちでしょうよー!」
慌てて叫びながら通りへ出るも、もう兄の姿も警官の姿も見えなくなってしまった。
仕方ない。
とりあえず、兄と連絡が取れるまで安全な場所に待機しておこう。
ここからだと――源田法律事務所が近い。
源田さんなら状況もわかってくれそうだし。
そう判断した私は、大きく溜息を零しながら、重たい足取りで歩みを進めるのだった。