『あのっ、優…』
あの子と一緒に街を散策していた時だった。
あの子はちょっとだけ遠慮がちに、でもワクワクしたような表情で裾を引いてきた。
空いた片方の指で指したのは大きなドーム。煌びやかな装飾がされたその建物の中からは時折歓声が漏れ出てくる。
『私、あそこに行ってみたいです』
いつもあまり自欲を出さない彼女からのお願い。
無碍にするはずが無かった。
こくりと頷くとあの子は嬉しそうに笑みを浮かべ小走りでその会場へと向かっていく。
あの子のドレスのような身体がふわふわと舞って、その奥にある今にも折れてしまいそうな細く白い脚が見えた。
慌ててそれを追いかけると、彼女の紅色の瞳はその大きな建造物を見上げ、心なしかきらきらと輝いているような気がする。
「…出たい?」
性格からか育てられた理由からか、あの子は昔から何かと競うのが好きなようだった。
カロス地方でジム巡りをしていたのも彼女たっての希望。
こちらの問いに彼女は目を大きく見開く。
彼女の瞳の中に彼女と同じ色の瞳を持つ自分の顔が反射していた。
『いいんですかっ?!』
身を乗り出した彼女にもう一度微笑みながら頷くと、今にも飛び跳ねてしまいそうなほどあの子は嬉しそうにしてくれる。
やはりバトルとは違い、コンテストということもあって中々苦戦したが何とか初戦は白星で飾ることが出来た。
苦戦するという体験を滅多にしたことのなかったあの子がコンテストに夢中になってしまうのは必然だっただろう。
ルチアと出会ったのもその最中だった。
ルチアとは数えきれないほど同じステージに立った。
彼女とステージに立つ度に、彼女のカリスマ性を感じると共に自身の成長も感じられた。
ジム戦はジムリーダーと自分とお互いのパートナー達しかいない、いわばプライベート空間だ。
ただ相手を越えることだけを考えればよかった。
だが、コンテストは違う。
自分が観客にどう見えているか、あの子をどうしたら綺麗に魅せることができるか。
ステージに立つ度に考え、悩み、苦しんだがそれが心地よかった。
それはどうやらあの子も同じだったみたいで、私がコンテストについて対策を練っていると一緒になって、ああしよう、こうしよう、と悩んだ。
その甲斐あってかルチアに追いつくことが出来て、勝率も五分五分まで持っていくことが出来た。
負けて、勝って、負けて、勝っての繰り返し。
あのルチアに対して自信過剰かもしれないけれど私がルチアを追い越そうとするのと同じようにルチアも私を追い越そうとしてくれていたと思う。
それがとても楽しかった。
「これで同率だね。次は絶対勝つ!」
最後に立ったステージで、そう言ってルチアと交わした握手が懐かしい。
だけど結局、ルチアとは決着がつかないまま、あの子は………。
『優!』
もうあの子がそうやって私の名を呼ぶことは無い。
* * *
人だかりごと移動していったルチアを見送り、改めて市場へと歩みを進める。
『…優』
「んー?」
『"コンテスト"ってなんだ?それに、"あの子"って…?』
腕の中で首を傾げる翠の頭をそっと撫で、ずれたTシャツを元に戻した。
少しだけずり落ちてた彼を抱えなおして自分もパーカーについたフードを被る。
『優…?』
こちらを見上げて揺れる紅色の瞳を手で隠すようにして、目を逸らした。
「……ごめん。今は、話したくない」
『…そうか』
彼はそれだけ呟くと胸元に頬を摺り寄せる。
寄り添われているようで温度が心地よい。
「ごめんな」
『何故謝る?話せないことがあるのは俺も一緒だ。…それにお前は言ってくれた。過去がどうだったとしても関係ないと。その考えには俺も賛成だ。だから、無理に話さなくてもいい』
そう言ってくれる彼を思わずきつく抱きしめた。
「ありがと、翠」
それから出来るだけ目立たないよう人波を通り抜けて、市場の中に滑り込んでいく。
色々な商品が並び、色々な匂いが混ざり合った通りを迷いなく進み、やがて甘く爽やかな香りがするその木の実の山の目の前で足を止めた。
「おや、優ちゃん。いらっしゃい」
「こんにちは、椋さん」
カゴにこんもりと盛られた木の実を挟んだ向こうに居る男性が、にい、と口角を持ち上げる。
彼の背後には昨日木の実を取りにきたピジョットが居た。
彼は閉じていた目をゆっくりと開くと後ろから頭だけを出して優に向かって目を細める。
それから翠を見て楽しそうに喉を鳴らした。
『おや、昨日のちっこいの。お嬢ちゃんに抱っこされて幸せそうだのう』
『…羨ましいだろう』
目を細め、そういう翠に首を傾げる。
優にはピジョットの声は聞こえない。
翠と意思疎通が出来ているのは彼のテレパシーのお陰だ。
あの子ともそれで会話をしていた。
その時、小さな女の子を連れた女性が優の隣に並んだ。
「すみません、モモンの実を五つと…」
「あっ!らりゅとしゅだーっ」
連れられていた少女が優の腕の中に居る翠を指してそう言う。
翠の種族…ラルトスというポケモンはその可愛らしい見た目から絵本などにも登場することも多いため広く知られているが、野生ではなかなか人前に、ましてや町なんかに出ることがない。
姿を現したとしても人前に長く居ることが滅多にないポケモンなので連れているトレーナーは割と珍しがられることが多いのだ。
その進化系であるキルリア、サーナイト、エルレイドも同様。
だからか、常にあの子と一緒に歩いていたら声を掛けられることも少なくなかった。
「おかーしゃん!らりゅとしゅだよっ」
「あら、本当。かわいいわね」
少女に服の袖を引かれた女性は翠に視線を向けると微笑んだ。
それから優にも笑みを向ける。
母親らしい優しい微笑みに少しだけたじろぐが、すぐに笑みを返した。
「らりゅとしゅーっ」
少女は腕の中に居る翠に少しでも近づこうとぴょんぴょんとその場でジャンプする。
その様子に思わず笑みがこぼれて、ちょっとだけ腰を曲げた。
「ラルトス好きなの?」
「うんっ! かわいくってだいすき!」
「そっか。でもごめんね、この子恥ずかしがりやさんなんだ」
「えー…なでなでしちゃだめ?」
残念そうに眉を下げる少女の手を、木の実が入った袋を抱えた女性が引く。
「こらこら、お姉さんを困らせちゃだめよ」
「えー…らりゅとしゅ…」
「ごめんね」
そう謝ると少女は小さく頷いた。
「困らせてしまってごめんなさいね。お話してくれてありがとう」
「いえ、かえってすみません」
優が申し訳なさそうに微笑むと女性はゆるゆると首を振って微笑み、会釈をして少女と共に市場を立ち去った。
それを見送り、腰を伸ばしたところでテントの下にいる彼と目が合う。
彼は今しがた売れたばかりの木の実を補充しつつ嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱり優ちゃんのとこの木の実は売れ行きがいいね。若い子の愛情がたっぷり詰まってるから美味しそうに見えるのかな」
「椋さん、その言い方おじさん臭いですよ」
そう言いうと、彼は頬を掻く。
「もう充分おじさんだよ」
「二十七歳はおじさんじゃないですよ、椋さん」
「そうかい?でも優ちゃんからしたら年増じゃないかな…」
「じゃあ五つしか変わらない私もおばさんですね」
やがて彼は参ったとでも言いたげに肩をすくめた。
「あんまり自分のこと卑下しないでくださいね。椋さん、素敵なんですから」
丁寧に並べられている、丹精込めて育てた木の実を眺める。
ふいと目線を持ち上げると椋が手のひらで顔を覆い、そっぽを向いているのが見えた。
「? どうしました?」
「いや…なんでもないよ」
彼は深呼吸をすると普段と変わらない笑みを浮かべる。
その様子は少し不思議だったが、深くは言及しないことにした。
「そういえば、その腕に抱いている子は…?」
優のTシャツを着た翠の顔を覗き込み、彼は首を傾げる。
「家の近くで倒れてたんです。行くところがないって言うので今はうちに居ます」
「…そうか」
彼は少しだけ警戒している様子の翠の肩を叩いた。
「頼むよ。優ちゃんを支えてあげてくれ」
そう言われ、翠の表情は警戒から疑問に変わる。
その疑問はもちろん優も一緒だったが、ふいと見上げた空が赤く染まり始めていることに気が付きその疑問はどこかへ吹き飛んだ。
「もう日が傾いてきちゃった。そろそろ帰りますね。買い物にも行きたいので」
「…ああ。気を付けて帰るんだよ」
「はい。それじゃあ、また」
「はいはい。またおいで」
去っていく優の背中を見送った彼は小さく溜息を零し、ピジョットのふわふわの毛に顔を埋める。
「なあ、サン…あの子気付いているのかな…。気付いてるとしてあの台詞って脈ありだと思っていいのかなあ…わかんないよお…」
『ご主人も報われないお人だな』
「あー…優ちゃんんん……なんであんなに可愛いんだよお…」
『流石にそれは気持ち悪いぞご主人』
密かに寄せられている想いを知ってか知らずか当の本人はさっさと買い物を済ませて帰路に着くのであった。