『改めて訊くが、あのピジョットはどうして木の実を持って行ったんだ?』
夕食後。
割れてしまったのとは別のコップでホットミルクを啜りながら、翠はそう尋ねてきた。
何となくテレビのチャンネルを回していた優は、面白い番組は見当たらなかったのかテレビを消しはソファの背もたれに身体を預ける。
「ああ。あれね、代わりに木の実を売ってくれてるんだ。卸業者っていうんだけど、昨日持って行ってもらった木の実は市場で売られてその売り上げがうちに入ってくるってわけ」
『卸業者……そうか、人間は金がないと生存を確立させられないのだったな』
「なんかその言い方嫌だな…」
思わず苦笑いを浮かべる。
「そういう知識、どっから拾ってきてんの?」
『叩きこまれたんだ。金や流通に関してだけではない、勝敗を左右しそうな情報はポケモンの情報であろうと人間の情報であろうとインプットされている』
「へー。何のために?」
『…それは言えん』
ふいと視線をずらし、俯いた彼から視線を外して何も映っていないテレビを見つめた。
「そっか。まあ、無理して言わなくても…」
『無理をしても言えないんだ』
優の言葉を遮った彼はカップを置いて、不思議そうに自分に視線を再び戻した彼女を見上げる。
自分と同じ色の瞳が揺れていた。
『"言わない"んじゃない、"言えない"んだ。何があっても言えないように作られている』
「……作られてる、って…どういう…」
そう言ったきり俯いてしまった翠に小さく溜息を零し、その背を撫でた。
「ま、別に過去がどうだったとしても関係ないよ。翠は翠だから」
それからテーブルの上を拭き、空になった皿を持ち上げてキッチンへと向かう。
どこか申し訳なさそうに小さくなってしまった彼をどうしたものかと考えながらスポンジを手に取った。
手元で食器が綺麗になっていくのを眺めながら、
「あ」
ふいとキッチンから頭を出した。
こちらを見ていたのか、翠と目が合う。
「ねえ、明日、一緒にお出かけしようか」
* * *
翌日、朝食の後、翠は優に連れられて共に山を下りた。
流石に手首に付いた手錠と鎖とは目立って仕方ないだろうから彼に服を着せる。
優のTシャツなので少し大きいが、まあ昨今ポケモンにお洒落をさせるのも当たり前になってきているのでそう怪しまれはしないだろう。
彼がついてきているのを確認しながら人の手が加えられていない獣道を抜けると、きれいに舗装された道路が姿を現す。
「ここをまっすぐ行けば街に行けるんだよ。そこに市場があってね、色んなものが売ってるんだ。昨日持っていってもらった木の実もそこで売られてるんだ」
『市場、か』
その道路に沿って進んでいくとやがて潮の匂いと共に大きな街が見え始めた。
しばらくして見えてきた白い石畳に足を乗せると、喧噪が鼓膜を揺らして今まで緑と茶色とだけだった視界が華やかに染まる。
行き交う人々の個性あふれる服が視界に優しくパステルカラーを垂らした。
「森の中もきれいだけど、こういう街もいいでしょ」
心なしか楽し気にきょろきょろと辺りを見渡す翠をひょいと持ち上げ、優は街を歩き出す。
彼女の意図がわからず翠は彼女の顔を見上げた。
「ん。人多いから、抱っこね。迷子になったら危ないから」
確かに小柄な自分が人波に飲み込まれてしまっては簡単に迷子になってしまいそうだ、と思い諦めて彼女の腕の中に納まっておくことにする。
「なんかいつもより人多いな…イベントでもあるのかな?」
彼女はそう言い、きょろきょろと周囲を見渡した。
市場があるということで普段から人通りは多いけれど今日はいつになく人の行き来が激しい気がする。
それになんだか男性の割合が異様に多いような……。
首を傾げていると少し遠くの方から野太い大きめの歓声が聞こえてきた。
あまりにも突然だったせいか優の腕の中で翠がびくりと肩を揺らす。
『なっ…なんだ…?』
「なんだろね。行ってみよっか」
『行くのか?!』
「大丈夫だよ。街中だし」
不安そうな翠を抱え直し、彼女は歓声が聞こえてきた方向へと進んだ。
少し歩くと大きな建物の前にそれに負けないほど大きな人だかりを目にする。
とんでもなく大きな人だかりだったがふいと見えた隙間から、その中心にいる人物が見えた。
「ルチアだ」
『…? るちあ?』
翠は首を傾げる。
人込みの隙間で鮮やかな水色の長髪を揺らし、可愛らしい衣装に身を包んだ少女と目が合った。
その少女、ルチアはホウエンきってのアイドルであり、常に最前線をいくコンテストの覇者である。
ホウエン地方においてコンテスト王者と称されるミクリと並ぶほどの実力の持ち主だ。
その時、少し遠くに居たルチアが人だかりの中をするすると通り抜けて優の元へと駆け寄ってきた。
「優ーっ!!」
人懐こい笑顔で駆け寄ってくる彼女にそっと手を振ると、彼女の笑みは更に深くなる。
「久しぶり、ルチア。コンテストの帰り?」
「そうだよっ! たった今マスターランクで優勝してきたの!」
「流石ルチアだね」
嬉しそうに頬を染める彼女はふいと優の腕に抱かれた翠に視線をずらした。
彼女と目が合った翠は肩を震わせて目を逸らして自分を抱きしめている優の服をきつく握る。
「あれ…その子、」
ルチアはふいと首を傾げる。
「家の近くで倒れてたんだ。行くところがないって言うから一緒に住んでる」
「…そっか」
そう言うと、ルチアは眉を下げ、優を見上げた。
「ねえ、優…またコンテスト出る気、ない…?」
「え?」
彼女の視線の先には怪訝そうに首を傾げている翠が居る。
脳裏に、あの子と一緒に立った煌びやかなステージの景色が広がった。
「優ならまた同じステージに立てるよっ! …確かに、あの子のことは残念だったけれど…あなたなら…!」
「……ごめん、ルチア」
零したその声は我ながら思ったよりも冷たくって、慌てて笑みを浮かべる。
ルチアの柔らかそうな髪がふわりと揺れた。
「あの子以外とステージに立つつもり、ないの」
「っ…ご、ごめん…優…」
「ううん。気持ちは嬉しいよ、ありがとう」
そう言うとルチアは名残惜しそうに小さく笑い、その場でくるりと回って見せた。
衣装に付いた装飾がふわりと舞い踊る。
「ねえ優、チルルが前よりも素敵になったのはあなたのおかげでもあるんだよ。優が育てた木の実で作ったポロックを食べる時のチルルは凄く嬉しそうなの。立場はこれまでと違うけれど…これからも仲良くしてね」