「……ん、なんだあれ」
ミオシティへと空を飛んで向かう途中。
風が頬を撫でる心地よさに目を細めていたら、緑色が散らばっていた地上にぽつんと無骨な建物があるのを発見した。
一見は廃墟のように見えるが、建物にある煙突からは煙が上がっていて時折ごうごうと大きな音が聞こえる。
どうやら稼働はしているようだ。
『鉄が燃える匂いがするね』
「鉄……?」
『ちょっと寄ってみる?』
鈴の言葉に頷くと、彼はゆっくりと地上に降りていく。
少しずつその建物に近づいていくにつれて工場から聞こえてくる機械音に混じって人間の怒声が聞こえてきた。
『綺羅ちゃん! あれ!』
鈴が指した先には作業服に身を包んだ男性を取り囲むようにしてポケモンが数匹、睨みを効かせている。
聞こえてきた怒声は恐らくそのポケモン達を使役してるであろう数人の男のものだろう。
状況はよくわからないが、少なくとも穏やかではなさそうだ。
しかしただの内輪揉めだったら首突っ込むのも考えものだし……どうしたものかと足踏みしてしまったその瞬間、男たちが何やら指示したと思ったら一匹のポケモンが作業服の男性に向かって技を繰り出した。
「?! 鈴!」
『わかってるっ!』
橙色の背中にしがみつくと、鈴は一直線に急降下し作業服の男性の目の前に降り立つ。
そして勢いに任せ、綺羅を背中に乗せたまま拳一つで男性に迫っていたポケモンの技を掻き消した。
「な、なんだ?!」
綺羅は突然の襲撃に驚いているらしい男たちを睨みつけながら鈴の背中から飛び降りる。
「随分おっかないことしてるな、おっさん達。生身の人間をポケモンに攻撃させるなんて何考えてんだよ」
怯むことなく作業服の男性を背に庇うようにして立ち、鋭い視線を送る綺羅に男たちは煩わしそうに顔を顰めた。
「ガキは引っ込んでな」
「申し訳ないけどそれはできねえな。今、正義の味方ごっこにハマっててね。困ってる人を見逃すなんてできないのさ」
「クソガキめ……痛い目見ないと気が済まないみたいだな!」
そう一人の男が叫ぶと同時に脇に控えていたポケモン、グラエナが低く唸る。
それに呼応するように鈴の周囲を数匹のポケモンたちが取り囲んだ。
だが、それに臆することなく、寧ろ両腕を組んで余裕そうに笑みを浮かべた鈴は綺羅に振り返る。
『綺羅ちゃん。そのおじさんの近くで待ってて。こんな奴ら、君に指示を貰うまでもないよ』
「……うん、任せた」
そういって目を細める鈴。
最初のジム戦はあんなに怯えていたのに、随分頼もしくなったものだ。
他のパートナー達も援護はいらないと判断したようでボールの中で大人しくしている。
『気付いちゃったんだよねー。……俺、一対一より、一対複数の方が得意なんだなってことに』
そう言って、鈴はにやりと不敵に笑った。
* * *
「ありがとう! 本当に助かったよ!」
作業服の男性に何度も頭を下げられ、綺羅は両手を振る。
「こっちが勝手にやったことですし気にしないでください」
「いやいや! そういうわけにはいかないよ! なにかプレゼントできればいいんだけど……そうだ、とりあえず工場の中においで」
笑顔を浮かべる男性の誘いを断りきれず綺羅は鈴をボールに戻すと彼の背中を追いかけて無骨な建物の中へと足を踏み入れた。
建物の中は外から聞くよりずっと大きな音が響き渡っていて、時折、からん、と何かが転がるような音もする。
「うちは製鉄所なんだ」
「せいてつじょ?」
そういえば、さっき鈴が鉄の匂いがするとかなんとか言ってたな。
「鉄は今や生活に欠かせない重要な素材だ。原料は鉄鉱石っていう石なんだけどね、その鉄鉱石には色んな鉱石が混じってるんだ。だから鉄だけを取り出すために鉄鉱石が液状になるまで温めて、鉄とその他のものを分けるんだよ」
男性はそう言って建物の中にある機械のうち一番大きなものを指差した。
透明な窓のようなものがついているそれは丸みを帯びていて、長く伸びた煙突は天井に繋がっている。
外から見えた煙突はこれだったんだろう。
機械の中では轟々と火が燃え盛っていて覗き込んでみると真っ赤に溶けた鉄が揺らめいていた。
「で、鉄と分けられた鉱石っていうのが例えばこういうやつ。珍しいものだから市場では高値で取引されててね。さっきの奴らは恐らくこういった鉱石を狙ってきていたんだろう」
そう言って彼は真っ赤な石を綺羅の目の前に差し出す。
まるで揺らめく炎のように光の角度によって色を変えるそれに思わず見惚れていると突然、腰に下げていたボールがカタカタと揺れて炎が飛び出してきた。
「うわっ?!」
彼は何も言わずふらふらと男性に近づくとそのまま真っ赤な石に向かって身体を伸ばす。
夢中になってそれを見上げている小さな体を見やすいように抱き上げてやると、彼の目はきらきらと輝き出した。
「急にどうしたんだよ、炎。びっくりするだろ」
『す、すみません……なんだか、この石が気になって仕方なくて』
そう言い、申し訳無さそうに目を細める炎の背を撫でる。
「はっはっは。どうやら、その子はこれが気になるみたいだねえ」
豪快に笑った男性はそのまま炎にそっと石を近づけた。
途端、彼の小さな体は眩い光に包まれる。
「え……っ?!」
何が起こったかを理解するより早く炎を包んでいた光は収まり、そして彼が元いた場所にいたのは白く美しい毛皮を持った九尾のポケモン、そう、キュウコンだった。
『え……ええっ?! な、なんですかこれ?!』
どうやら本人が一番今の状況についていけていないらしく、急に自分の体が大きくなったことにおろおろと動き回っている。
ひとまず綺羅は炎の背中を撫でて落ち着かせながら目を丸くしている男性に視線をやった。
「まさか……? あの、おじさん、さっき見せてくれた石って"ほのおのいし"…ですか?」
「あ、ああ、そうだよ。よく知っているね」
男性の答えに綺羅は小さく、やっぱり、と零した。
ロコンは"ほのおのいし"でキュウコンに進化するポケモン。
アイテムで進化する様子を見るのは初めてだったので突然で驚いてしまったが……別に何もおかしなことではない。
「炎、進化おめでとう」
『へ……進化?』
「ああ。他の仲間たちが進化したの見たことあるだろ? あれと同じだ。普通はバトルで経験を積んだりして進化するんだけど、お前はちょっと特殊で"ほのおのいし"っていうのに近づいたら進化するポケモンなんだよ」
『そ、そうなんですね……? ってことは、僕は前より強くなれたってことですか?』
「そういうことになるな」
彼の言葉に頷いてみせると、不安そうだった炎の瞳は少しずつきらきらと輝いていく。
『これでもっと貴方の役に立てるようになったでしょうか…?』
「何言ってんだ。もう十分お前は頼もしい仲間だよ」
『……ふふ、ありがとうございます』
目を細めて笑う炎の様子にひっそりと安堵の息を吐いた綺羅は彼をボールへと戻した。
そして改めて、男性に向き直る。
「"ほのおのいし"……事故とはいえ消費させてしまってすみません」
ぺこりと頭を下げると男性は、かかか、と笑い、首を振った。
「とんでもない。むしろお役に立てたようで良かったよ。ポケモンが進化するという神秘的な現場にも立ち会えたことだしこっちがお礼を言いたいくらいさ」
その言葉にお礼を返すとまた彼は豪快に笑う。
気持ちのいい人だ。
たまたま通りかかっただけだけど、ここに寄って良かった。
「じゃあ、俺たち、そろそろ行きます。お邪魔しました」
「おう。またいつでも見学においで!」
ひらひらと手をふる男性に見送られながら、綺羅は鈴の背中に飛び乗り、再び空の旅へと飛び立つのだった。