「……はーあ。ちょっと暇になっちまったなー」
ハンサムの背中を見送った綺羅は大きく伸びをする。
次の目的地はいまいち定まっていないけれど、とりあえず彼が言っていたミオシティってのに行ってみようかな。
タウンマップを広げると待ってましたと言わんばかりに仲間たちが飛び出してきて一緒になってマップを覗き込む。
『ねえねえマスター! あのおっさんが言ってたミオシティってこれじゃない?』
麗水が短い手でぺちぺちとマップを叩いた。
そこに視線をやると、少し掠れて見えないが確かに“ミオシティ”と記されている。
『うんが?ってのがあるって言ってたよな! 運河ってなんだ?』
「運河っていうのは運輸や灌漑だったり、生活のために人工的に作られた川のことだ」
『へー! で、そのかんがい?ってなんだ?』
「畑に水を引くことを灌漑というんだ」
『へー! 畑ってなんだ?!』
「畑っつーのはだな……」
「……あの人、ウィキペディアみたいになってますね」
「子供のなんでなんで攻撃に律儀に返事しちゃうあたり、親の素質あるよねえ」
「誰か止めないと蓋が本当にウィキペディアになっちまうぞ」
賑やかなその景色に綺羅は思わず笑みを浮かべた。
蓋と二人きりだった世界がいつのまにかこんなにカラフルになっている。
それぞれ盛り上がっている彼ら、このまま放っておいたら歌でも歌い出すんじゃないかと思ったその瞬間、脳裏に浮かび上がった姿。
「あー!!」
ただでさえ古いタウンマップがきつく握りしめられて、くしゃりと悲鳴を上げた。
突然大声を出した綺羅に驚き、仲間たちは肩を震わせて振り向く。
なんだなんだと次の言葉を待っていると綺羅はタウンマップを睨みつけて、ぼそりと呟いた。
「色々あって忘れてたけど……ノモセジム、挑戦してないじゃん……」
その言葉に仲間たちも「あ……」と声を揃える。
完全に忘れてた。
一応ここまで順番にパッジを集めているわけだし……気分転換も兼ねて、久しぶりにジム戦に挑むというのも悪くない。
最近は肉弾戦ばっかりで不完全燃焼気味だったし。
「……久しぶりに、自分たちのためだけに戦おうぜ」
そう言いながら仲間たちの顔を見渡すと、彼らはうずうずと体を震わせる。
待ちきれないといった顔だ。
「じゃあ、いこうか。鈴、ノモセまで特急で頼む」
『はいはーい。まっかせて!』
* * *
ジムの前に立ってドアを開けようとしたその瞬間、逆側から思い切りドアが開いて思わず綺羅は後ずさる。
何事かとぽかんとしていると、ドアを開けた張本人……マキシが安堵したような顔でそこに立っていた。
「綺羅……! 帰っていたのか!」
そういえば、彼と最後に会ったのはリッシ湖のほとりだったか。
「あのハンサムとかいう男からエイチ湖に向かったと聞いちゃいたが……あの辺はシンオウの中でも特に厳しいところだからよ、ちっちゃいお前は吹き飛ばされちまうんじゃねえかって心配してたんだぞ」
「あはは……お陰様で、無事です」
「良かった良かった! んで、今日は何の用だい?」
に、と口角を上げるマキシを下から見上げる。
「用なんて。ここに来たら、一つしか無いでしょう?」
そう煽ってみるとマキシは気のいい笑顔から一転、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
久しぶりに浴びる敵意とも殺意とも違う、挑発的な視線に思わず背筋が粟立つ。
「そういうことか。いいぜ、入んな」
彼に通されるままジムに足を踏み入れると、さらさらと水が流れる音が聞こえ、さらに瑞々しい水の匂いが鼻先を撫でた。
なんとも心地よい空間だ。
真夏はずっとここにいたいと思うぐらい涼しい。
「靴、脱いだほうが良いぜ。フィールドに水が張ってあるんだよ」
彼の言葉に従って靴と靴下を脱ぐ。
そうして目の前に広がった景色に綺羅は思わず息を吐いた。
「すげえ……」
水の都、と表現するのが良いだろうか。
フィールドの周囲には大きな滝がいくつも設置されていて、しきりに水が流れ落ちている。
そして彼の言葉通り、フィールドには薄く水が張ってあった。
嵩は3cmくらい。
水の音に和んでしまいそうになるけれど、向こう側のフィールドにマキシが立ったのを見て気が引き締まる。
「さあ綺羅。始めるぞ、いいか」
「はい! ……あれ、審判は?」
「うちは審判はいねえんだ。二人っきりで、水の音を聞きながらバトルなんて乙なもんだろ? ゴングはそっちに任せるぜ」
そう言い、彼はボールを天高く掲げた。
するとフィールドに巨大な影が落ちてくる。
……初手は、ギャラドス。
あまりの大きさに思わず口を開けて見上げてしまった。
まるで戦艦みたいだ。
「腕がなるぜ……なあ、魅雷?」
『へへっ! 信頼してるぜ、綺羅!』
飛び出してきた魅雷は嬉しそうに笑って、足を踏み鳴らす。
魅雷も気合十分。
相手にとって不足なし。
心臓が高鳴って仕方ない。
「いくぜ、マキシさん!」
「おう、来い!」
まるで静かなゴングのように、足元にある水面が激しく揺らいだ。