『ッは…はあ……かは……』
流石に体力は人間のそれだったようで、噛みついて出来た一瞬の隙に頭突きをしただけで事態を収拾できた。
ポケモンとしてダメージを受け過ぎたのか、人間が受けるには痛みが大きすぎたのかはわからないが意識を手放した綺羅の前で安堵したように蓋は膝をつく。
綺羅を介抱しようと再度擬人化をするが、痺れとダメージのせいで体が言うことを聞かない。
どうしたもんかと頭を悩ませた次の瞬間、遺跡内が一気に騒がしくなった。
「綺羅! 蓋! こんなとこにいたのか……ど、どうした?! 何があった!」
先陣を切って入ってきた陽葉は目の前に広がった景色に驚愕する。
当たり前だろう、主人は力なく倒れ、蓋はボロボロ。
一瞬で状況を理解するのは難しい。
続々と遺跡内に入ってきた仲間たちも同様に。
「よう……お前ら……すまないが、綺羅をポケモンセンターに……っ」
「言われなくても分かってますよ! 陽葉、貴方は綺羅さんを! 僕はこっちのおっさんで我慢しますから!」
「お前、人が弱ってるのをいいことに言いたい放題かよ」
炎は蓋の脇に座り込み、力なく膝をついている蓋の腕を肩に回すと立ち上がる。
だが、体重は蓋の方が随分と重い。
よたついていると逆側に鈴がいつの間にか立っていて、蓋の身体を支える。
『ほらほら、危ないよ。おっさんに傷増やすつもり?』
「お前ら覚えとけよ」
本当に憎らしい。
吐き出した悪態に意地の悪い笑みを零す炎と鈴とを睨みつつ、二人に体重を預けた。
ぼんやりとした視界の中、しっかりと腰に回った二人の体温が頼もしい。
『麗水と魅雷は先にポケモンセンター行って、ジョーイさん起こしてきてくれる? 多分今の時間帯だとラッキーしか居ないと思うから』
『わ、わかった……!』
『おう!』
ばたばたと遠くなっていく小さな足音二つを聞きながら、蓋はゆっくりと意識を手放した。
* * *
酷い頭痛と吐き気に襲われて綺羅は飛び起きた。
少し動くだけで脳を直接揺さぶられているような、脳汁が沸騰するような、ひたすらに不快な感覚。
目につく場所には吐き出した感情を受け止めてくれるものがなかったので、口元を押さえて必死に深呼吸を繰り返す。
真っ白い天井と真っ白いシーツ……この場所は覚えがある。
ポケモンセンターの治療室もしくは看病用の部屋だ。
前に炎と出会った日、熱に浮かされて倒れたときも起きたらこんな部屋だったような気がする。
「どう、なったんだっけ」
曖昧な記憶の中で唯一覚えているのは、あの男の顔と激しい憎悪。
それから、優しい、声。
「綺羅」
名前を呼ぶ声がした方へと視線を向けると不安そうに眉をひそめた蓋と目が合った。
後ろ手でドアを閉めた彼はゆっくりと近づいてきたと思ったら、どこか気まずそうに視線を逸らす。
「具合はどうだ」
「ぼちぼちってとこかな」
「そうか」
「うん」
思わず空気に耐えられず、ふいと窓の外に目をやると、紺青の空の端から白が覆いかぶさり橙色が其の後をゆっくりと追っているのが目に入った。
時間帯的には恐らく朝方だろう、遠くで鳥ポケモンの鳴き声が聞こえる。
蓋とこんなに気まずくなったのは久方ぶりだ。
多分、旅立つ前、ちょっとした反抗期で喧嘩したとき以来だろう。
「止めてくれたの、蓋だろ。あいつに……アカギに、喧嘩売ろうとした俺を止めてくれたの」
「……ああ」
「あんま覚えてないんだけど、ただ、こいつは息の根を止めなきゃって、何をしてでも、刺し違えてでも、……って、そう思ったことだけは覚えてる」
もしあのタイミングで蓋が来てくれなければ、あの男か自分、どちらかは無事では済まなかっただろう。
あの男だって勿論抵抗をしただろうから。
「俺はお前の親だからな。そんな親不孝な真似はさせるわけないだろう」
「……うん」
ふいと窓から視線を室内に戻す。
すると、いつの間にか泣きそうな顔になっている蓋とまた目が合った。
「俺もさ、わかんないんだ。自分がなんなのか。ただ、思い出したことがある」
「思い出したこと?」
「うん。俺さ、多分だけど」
この記憶が果たして本当かどうかはわからない。
ただ脳みそが悪戯に紛れ込ませた幻想かもしれないけれど、あの時受けた痛みだけは何故かはっきりと覚えている。
「一回、死んでるんだよね」
これは自分の奥底で埃を被っていた、自分が自分に成る前の、記憶だ。