その後、ジュンを探すというコウキと別れ、綺羅はコトブキシティを後にしていた。
最初は当初の予定通りテレビコトブキに向かったのだが、ドアが開いておらず入れなかったので断念。
諦めて大人しくクロガネシティに向かうことにした。
「はあ。それにしてもすっごい雨だなぁ」
綺羅は、先ほど購入した傘に力強く打ち付けて来る雨の音を聴きながら思わずため息を零す。
スニーカーにはすっかり水が染み込んでしまい、水たまりの上ではなくても歩く度に水音が響いた。
その不快感が尚更ため息を誘う。
「雨の音は嫌いじゃないけど、濡れちゃうと気が滅入るよなあ」
『洗濯物が乾かないし、雨は嫌いだ』
「母ちゃんか」
『俺はあんまり嫌いじゃないけど……あんまり多すぎると葉っぱが腐るから程々がいいな』
そんな話をしながら、クロガネゲートと呼ばれる洞窟に辿り着いた。
コトブキシティとクロガネシティとの間に位置するこの洞窟。
決して広くはないが、雨のせいか中は薄暗く、足元があまり見えないのも相まって、まるで永遠に続いているかのような錯覚をしてしまいそうだった。
『綺羅、足元気を付けろよ』
「うん、わかってる」
そう言いながら、普段の半分以下の歩幅でゆっくりと進んでいた綺羅の足に、熱を持った柔らかい何かが当たる。
外で降り続いている雨の音にかき消されて聞こえにくいが、よく耳を澄ますと荒い呼吸音が聞こえた。
足元の声の主を踏まないよう辺りを探りながらそっとその場にしゃがみ、そっと手を伸ばす。
柔らかくて、温かい…いや、熱い感触。
ポケモンは人間よりも体温が高いものなのだけれど、これは高過ぎるような。
『綺羅、どうしたんだ?』
「なんか、ポケモンだと思うけど、倒れてるんだ。呼吸が荒い」
そっと指先が触れるか触れないかぐらいの手つきで身体を撫でる。
微かだが、とくとく、と心音が指を伝わって脳に響いた。
「随分弱ってる。急がなきゃ」
『お、おい綺羅! 何を……!』
綺羅は、着ていたパーカーを脱いで、荒い呼吸のポケモンを注意深く包む。
ポケモンの頭が自分の心臓の辺りに来るようにそっと抱きしめ、走り出した。
* * *
クロガネシティのポケモンセンター。
降りしきる雨の音を聴きながら、ラッキーとジョーイとは仕事道具のチェックを行っている。
「すごい雨ね…」
その時、自動ドアが音を立てて開きはじめ……ドアが開ききるよりも前に、艶やかな黒髪から水を滴らせながら、少女が飛び込んできた。
薄いタンクトップと膝上までのズボンは水分をたっぷりと含み、華奢な肌に張り付いている。
「あ、あの……っ、お願いします」
乱れた呼吸を整えないまま彼女もとい綺羅はカウンターに速足で近づき、パーカーの中で荒く呼吸をするポケモンを差し出した。
そういえば今更気づいたが、彼女が抱きかかえていたのはきつねポケモン、ロコンのようだ。
「あらあら大変」
ジョーイはすぐにラッキーと共にてきぱきと治療の準備を始める。
やがて、ロコンは台車に乗せられ、ラッキーと共に奥の部屋へと消えていった。
「大丈夫よ。少し熱があるけど、休めばすぐに良くなるわ」
「そうですか……良かった」
安堵したらしい彼女は、差し出されたタオルでしっとりと湿った黒髪を少し乱暴に拭く。
タンクトップの裾を握って絞ると、水の塊が落ちてきて、床で弾けた。
「っくしゅ。……寒い」
「当たり前だ、馬鹿」
『それだけ濡れりゃあな』
明らかに怒気を含んだ蓋の声と、苦々しい陽葉の声とに綺羅はしゅんとする。
その様子に蓋はため息を零すと彼女の首にかけられたタオルを取り、相変わらず濡れたままの綺羅の髪を優しく拭き始めた。
「あまり心配させてくれるなよ」
「……ごめん」
「分かればいい」
蓋に促されてソファに座った綺羅の膝の上に陽葉が飛び乗る。
『綺羅、寒くないか?』
「ちょっとね。でも、大丈夫だ」
綺羅が目を細めて微笑むと、陽葉も嬉しそうに笑った。
その時、軽快な足音と共にラッキーが近づいてくる。
『患者さんの容態が安定したよ。大分意識も戻ってるみたい。様子を見てきてあげたら?』
「ありがとう、ラッキー」
差し出されたパーカーを受け取った。
どうやら乾かしてくれたようだ。羽織るとじんわりと温かい。
「さて、あの子の顔を見に行こうか」
ラッキーに案内され、ロコンの病室へと足を踏み入れる。
まだ顔は少し赤いが大分落ち着いているのだろう、不安げに周囲の様子を伺っていた。
怯えさせないよう、ゆっくりと近付いて、そっと声をかける。
「大分元気そうだな。よかった」
『……貴方は?』
「通りがかったトレーナーだよ。勝手かもしれないけど、ここまで運ばせてもらった」
そういうと彼はふいと視線をずらした。
警戒されているらしい。
「なんで、あんなとこに居たんだ?」
ここはシンオウ地方。
カントー地方が生息地のはずのロコンがこの地方に、野生としているのは珍しいことだった。
が、ロコンは視線をずらしたまま何も答えない。
「疲れてるよな。声かけてごめん。今日はゆっくり休んで。それじゃあ」
少しでも警戒を解こうと笑みを零したが彼の視線は少しもこちらに向かなかった。
残念そうに綺羅は肩を竦ませ、部屋を後にしようとする。
その時、視界がぐらりと歪んだ。
「あー……やべ」
膝に力が入らない。
未だ鳴りやまない雨の音を遠くで聴きながら、綺羅はそのまま意識を手放した。