「さーて。早速ジム行くかー」
真っ赤な太陽の下、綺羅は背伸びをしてそう零した。
この町に入ってから小さなアクシデントはあったものの結局やることは変わらない。
あの雨の日以降、綺羅の様子はいつも通りに戻り、仲間たちは密かに安堵の息を吐いていた。
「綺羅」
「ん? どした?」
「……いや、なんでも。それより、もうジムに行くのか?」
「そのつもりだったけど。どっか行きたいところでもあるのか?」
「そういうわけでは無いんだが」
「……? 変なの」
歯切れの悪い蓋の様子に綺羅は首を傾げるが、彼がそう言って話を逸らしたら再びその話を蒸し返すことは滅多にない。
諦めて靴紐を結びなおし、歩き出す。
「皆、ジム行って大丈夫か?」
『勿論。いつでもいいぜ』
『準備は出来ています』
『大丈夫だよー!』
『やってやるぜ!』
『俺も大丈夫だよ。……ちょっと恐いけど』
不安そうに揺れる鈴のボールに手を伸ばし、そっと撫でる。
もちろん、ここに来るまでにトレーナーとバトルをしたりしてウォーミングアップは済んでいる。
彼が覚えている技の確認も、戦闘時のビジョンも掴んだ。
後は彼の気持ち次第だ。
『軽くバトルはしたことあるけど、ご主人はジム巡りなんてしなかったから』
「鈴、大丈夫。お前は一人じゃないよ。いくらでも支えるから」
『……ありがと、綺羅ちゃん』
少しでも安心できたのか、ボールの震えは収まった。
静かになったボールを撫でてジムへと続く石段の一段目に足をかけた、その時。
上の方から奇抜なデザインの二人が駆け下りてくるのが見えた。
その後ろには見慣れた顔が。
「ま、待って!! 僕のポケモン図鑑返して!!」
その声を背に受けながら駆け下りてくる二人は先ほど顔を合わせたばかりのギンガ団だった。
その手には、すっかり自分のリュックの底で眠りについている真っ赤な機械と同じものが握られている。
二人は下段にいる綺羅と目が合うとにたりと笑い、拳を振り上げた。
「どけ、ガキ!」
「誰が退くかよ」
振りが丸見えのそれを躱し、勢いを殺せずに突っ込んできた一人の腹部に拳を叩きつける。
ブローが綺麗に決まり崩れ落ちた一人を、後ろをついてきていたもう一人に投げつけると二人仲良く残り数段を転がり落ちていった。
「ガキだからって油断したな。ポケモン出さなきゃ勝てるとでも思ったか?」
その手から転がり落ちたポケモン図鑑を拾い上げ、重なって倒れたギンガ団の目の前を踏みしめる。
「な、なんだこのガキ……?!」
「ただのガキだよ。さっさと失せろ」
軽く睨みつけると、ギンガ団は足を縺れさせながら立ち上がり、逃げ出した。
通行人を押しのけて逃げていく様子を見るとどうやら反省したわけではなさそうで、綺羅は軽く息を吐く。
「君はいつも私より先を行くんだな」
そんな声が聞こえて振り返ると、随分久方ぶりの切れ目と目が合った。
「ハンサムさん。どうも」
「この辺で窃盗が目撃されたと聞いて来てみたら…来る途中ボロボロのギンガ団とすれ違った。あれは君が?」
無傷の綺羅を見て少し安堵したらしいハンサムは腕を組み、片目を瞑る。
初めて会った時から思っていたけれどどうやらこれは彼の癖らしい。
「いんや。あいつらが勝手に転がったんだよ。俺は落とし物を拾っただけ」
手に持ったポケモン図鑑を見下げていると、恐らく持ち主であろう人影が階段を駆け下りてきた。
その人影は綺羅に向かって大きく手を振っている。
「綺羅さん!」
「おう、コウキくん。やっぱ君のだったんだな、これ」
息を切らせる彼に手に持ったポケモン図鑑を渡す。受け取った彼は赤いそれを大切そうに抱きしめ、にこりと笑った。
「ありがとうございます、助かりました」
「気にしないで。博士から預かった大切なものだもんな」
「はい……あれっ、その人……」
ぺこりと頭を下げた彼は綺羅の背後に居るハンサムを見つめる。
数秒考えた後、ぽん、と手を叩き、
「コトブキで会った変な人」
「……果てしなく失礼なことを言うのだな」
「あ、ご、ごめんなさい。つい」
まあ初対面があれだっただけに仕方ないとも言えないのだけれど。
「まあいいさ。それにしても、子供の持ち物を奪おうとするなんてギンガ団の悪事は小さいな。それがかえって不気味でもあるんだが。少年、盗まれたのはポケモン図鑑だけか?」
こくりとコウキが頷くとハンサムは眉を顰め、考えるようなそぶりを見せる。
そしてふいと視線を町の入り口に送った。
「綺羅くん、この街の入り口、倉庫があっただろう。まさか、入ったりしていないだろうな?」
「倉庫? 入ってないけど」
「そうか。君のことだからてっきりギンガ団倉庫に忍び込ん……」
そこまで言いかけたハンサムは、失言だったとでも言いたげに自分の口を塞ぐ。
だが残念ながらその声はとっくに綺羅の鼓膜に届いてしまっていた。
目を細める綺羅に、ハンサムは頭を抱える。
「ハンサムさん、今からそこ行くの?」
「い、行かんぞ」
「ふうん……? じゃあ、俺が行こうかな」
そう言いながら、彼の真似をして片目を瞑った。
すると彼は小さく溜息を零す。
「全く、君はいつからそうやって大人を脅すようになったんだ」
「ハンサムさんの真似さ」
「っぐ……う」
心当たりがあるのか彼は口を噤んだ。
やがて観念したように息を吐き、綺羅に背を向ける。
「一人で行かれるよりマシだ……付いてこい、綺羅くん」
「やったぜ。じゃあコウキくん、またな!」
「あっはい。また……」
靡くコートを追いかけながら、ぽかんとしたままのコウキに手を振った。
彼に見送られながらハンサムと町の入り口付近にあるギンガ団の倉庫へと向かう。
「なんか、すごく仲いいな……変な人と……」
コウキが不安そうにそう呟いたことを、綺羅が知ることは無かった。
* * *
恐る恐る顔だけを出して倉庫の中を覗き込む。
薄暗い倉庫の中は思ったよりも狭く、前に忍び込んだビルよりも設備は貧相だった。ただ、開かない扉があること以外は。
「随分錆びてるな」
「こ、こら、綺羅くんっ……勝手に行くなと何度言ったらわかるんだ……」
後ろから息を切らしながら追いかけてきたハンサムはさておき、そっとドアを撫でると指先は一気に茶色く染まった。
「なんだ……誰もいないっぽいし、コンテナも全部空っぽだ」
ハンサムはつまらなさそうにそう言う綺羅の頭を小突く。
「なんだとは何だ。平和は良いことだろう」
「いやまあ、そうなんだけど」
錆び付いた扉には鍵がかかっているようだ。
この奥に何があるかはわからないがここはかのギンガ団の倉庫……平和的なものがあるとは思えない。
「ハンサムさん。あいつら、何が目的なんだと思う?」
「? 急にどうした」
「前にさ、ギンガ団がナナカマド博士の研究の成果を狙ってきたのを追い払ったことがあるんだ」
「君はまた私の知らないところでそんな無茶を」
「あれはあっちから仕掛けてきたんだよ。でさ、その時博士が言ってたんだ。ポケモンが進化するときのエネルギーを活用する方法を調べようとしてたみたいだって。そのあとは発電所で電気を盗んでたし、次は人のポケモンを奪って、そんで今回はポケモン図鑑」
手についた錆びを払って落とし、後ろに居たハンサムに振り返った。彼の顔を見上げる。
「やってることは滅茶苦茶だけど、ただ悪事を働くことが目的じゃないようにも見える。ハンサムさん、さっき悪事が小さくて不気味だって言ったけど俺もそう思う。きっと、絶対になにか裏がある。何かを目標として活動しているんだ。……ねえ、ハンサムさん、それ、なんだと思う?」