男たちの要求は至ってシンプル。逃走手段の確保、人質の確保、警察のかく乱。
つまり彼らはこのポケモンセンターの客人を人質として立てこもり、逃走の準備をするつもりなのだろう。
あまりメディアに触れてこなかったため蓋は知らなかったが、どうやらそれなりに名の知れた犯罪集団らしい。
「変な気は起こすんじゃねえぞ。こいつを助けたければな」
そう言って、ひとりの大男が綺羅を親指で指す。
あまり広くはないポケモンセンターのホールに集められた宿泊客は身を寄せ合って事態の収拾を祈っていた。
そのホールの端、綺羅だけは仁王立ちする大男たちの背後でぐったりと壁に凭れている。相変わらず頬は紅潮し、先ほどよりも呼吸が乱れているような気がした。
「質問に答えてもらってませんが。あなた達、その方に何をしたんですか」
「しつけぇぞ、軟弱野郎。まあいいさ、教えてやる」
そう言い、中心にいたリーダー格らしき男は彼女に近づき、ぐいと顎を持ち上げる。
ひゅう、と空気が抜ける音がした。
やはりその瞳は人間とは思えないほど濁っていて、ただ苦しそうに荒く呼吸を繰り返している。
「タウリンさ」
「タウリン?」
「タウリンですって?!」
陽葉が首を傾げるのと殆ど同時、不安そうに話を聞いていたジョーイが勢いよく立ち上がった。
「タウリンはポケモンの攻撃力を上げるために使うものよ。ポケモン用に作られているものを人間に……ましてや、そんな小さな女の子に!!」
「まあまあ落ち着けよジョーイさん」
男が手を放すと、支えを失った綺羅の首はかくんと力なく項垂れる。
立ち上がった男はポケットに手を入れ、小さなビンを取り出した。
それを見せつけるように高く掲げ、くつくつと喉の奥で笑う。
「これは今アンタが説明してくれた通り、表向きはポケモンに使う。だが裏じゃ人間が使うんだ。何のためかわかるか?」
「いいえ。知りたくもないわ」
「だろうな。明るい世界に住むアンタ達にゃ理解できないお話さ」
ビンを開け、男は喉の奥にその中身を放り込んだ。
ごくりと液体を飲み下す音が聞こえる。
「これを飲むとな、ハイになれるんだ。まるで夢心地だ」
「……最悪ね」
「人聞きが悪いねジョーイさん。一種の娯楽だよ。言うなれば俺達の興奮剤だ。……ま、ガキにはまだちょっと早かったみたいで、飲ませた瞬間ぶっ倒れちまったがな」
品のない笑い声が室内にこだました。
それを割くように、びしり、と何かにヒビが入るような音が聞こえる。
「そんな危ないものを」
蓋の喉から滑り出た低音に男は笑みを崩した。
彼は一歩ずつゆっくりと前に歩み出ながら擬人化を解き、やがて男たちの前に進み出たその姿はとっくに原型に戻っていた。
『綺羅に飲ませたのか』
他のパートナー達は蓋の突飛な行動に目を丸くしていたが直ぐに意を決したように彼の後に続く。
大男たちを蓋、陽葉、炎、麗水、魅雷、鈴が囲んだ。
『覚悟は出来てんだよな?』
『その人に手を出したこと、後悔させて差し上げます』
『マスターに酷いことする奴はボッコボコにしてやるんだから!』
『無事で済むと思うなよ』
『手加減、してあげないから』
最後に発した鈴の言葉を合図に、蓋が走り出す。
人間の半分ほどしかないその身体からは想像もできない揺れが建物を揺らした。
勢いそのまま彼は一番近くに居た男の鳩尾に飛び込む。
男の身体は大きく吹き飛ばされ、ポケモンセンターの壁に叩きつけられ力なく落ちた。
「んの、ポケモン如きがッ!!」
背後でぐらりと鉄バットが振り上げられ、蓋は咄嗟に防御の構えをとる。
だが直ぐに凶器はがらりと音を立てて男の身体と共に床に落ちた。
鈴がふん、と鼻を鳴らす。
『その"ポケモン如き"の、技でもなんでもないただのボディーブローを食らって沈んでんのはどこの誰だろうね』
間髪入れず、他の男達も陽葉、炎、麗水、魅雷によって叩き伏せられていた。
一人残されたリーダー格の男は口をあんぐりと開け、ぽかんとしていたが直ぐに意識を取り戻し、振り返る。
「ち、畜生! 人質を……ッ」
だが、その手が綺羅を掴むことは無かった。
彼女の触れる直前の位置で止まったその腕には、細い指が巻き付いている。
ぎりぎりと肉が軋む音がした。
「あのさあ…なんか、寝起き悪いんだけど」
指先から、びし、と火花が散る。
びりびりと腕が痺れ、男は思わず後ずさった。
まだ若干赤く火照った頬が不満そうに膨らんでいる。
「アンタのせい?」
そう言うが早いか、男の身体はふわりと宙を舞った。
視界が反転して背中が地面に叩きつけられる。
がふ、と空気が肺から抜けていった。
自分より頭幾つ分も小さい、それも少女に背負い投げをされたという事実を受け止めきれないのか男は目を見開いたままぽかんと真っ白い天井を見上げる。
状況は理解できないままだったが本能が鳴らすアラートに従い、身体を起こそうともがいた。
「うっさい」
彼女の小さな拳はもがく男の顔のすれすれを掠め、ポケモンセンターの床に亀裂を入れる。
自分が背中を打ち付け自ら固いことを確認したはずの床がいとも簡単に崩壊したのを見て男はあっけなく気絶した。
まだ眠たそうな綺羅は暫しぱちくりと瞬きをして無傷の右腕を持ち上げ、駆けだそうとした体勢で固まっている蓋をみつめる。
「……このおっさん、誰」
そう言って彼女はこてんと可愛らしく首を傾げたのだった。