「……! ……ッ!!」
誰かが呼んでる。
すごく、すごく聞き慣れた、愛しい声が。
「……綺羅ッ!! 起きてくれ……!」
「ッ?!」
これが、生き返った、という感覚なのだろうか。
頭がくらくらして、意識もはっきりしないけれど、目の前に居る蓋の顔だけははっきりと見えた。
「あ……蓋、」
掠れた声だったがそれは彼に十分届いたようで、心配そうに歪められていた顔は少しずつ綻んでいき、安堵したように溜息を零す。
だけど瞳はまだ揺れているような気がした。
「良かった……戻ってこられたみたいですね」
右手を握ってくれていたらしい炎がそう微笑む。
次の瞬間。
『ふえぇえん!!! マスタああぁあぁ!!』
『綺羅ーッ!!』
「綺羅……!!」
「ぐふあっ」
横から激しい衝撃が飛んできて、吹き飛んだ。
脳汁が震え、頭がぐわんと揺れる。
重たい腹部へと目を向けると泣き叫ぶ彼ら……麗水と魅雷が、陽葉は人型の状態で後ろから抱きついてきていた。
「お、お前ら……」
「綺羅っ、綺羅ぁ……!! お前、ぶっ倒れたっきり、起きない、からっ」
陽葉が涙目で、鼻を啜りながらそういう。
一方の魅雷と麗水とは泣きじゃくるばかりで何も言えずにいる。
その時、耳の近くでちりんと鈴の鳴る音が聞こえた。
『おはよう、お嬢さん。こっちの世界では初めましてだね。参ったよ。助けに行こうと思ったら、現世に弾き出されちゃって』
「こっちもビックリしたぜ。倒れた綺羅に駆け寄ったら急に何もないところからこいつが現れて……雨も降りだしてきたから、とりあえずここに運び込んだんだ」
にこやかに右手を持ち上げたカイリューに陽葉が溜息を零しながらそう言う。
確かに周りを見渡すと、先ほど"向こうの世界"でカイリューと出会った時と同じ景色だ。
『ちゃんと戻ってこられたみたいで安心したよ。……あれ?』
「? な、なに……?」
いきなり距離を詰めてきた彼にたじろぐが、逃がすまいとするように腰にオレンジ色の腕が回ってきた。
ちりんと鈴が鳴る。
勢いそのまま引き寄せられて、お互いの息がかかるくらいの距離になった。
どこかで感じたような、ふわりとした柔らかい香りが鼻をくすぐる。
「っ……?!」
「!!!! 何してやがる!! うちの娘から離れろ!!」
『ああああー! ちょっとマスターにセクハラしないで!!!』
ぎゃいぎゃいと喚く二人を気に留めることなくカイリューの顔は首筋まで移動し、その場で少しだけ動きを止めた。
首に息がかかってくすぐったい。
「っひ、ふは、カイリュ、くすぐったい……っ」
『動いちゃだめー』
「ふわあっ?! く、くすぐったいって……!!」
何の前触れもなく彼の顔は耳元に移動する。
耳朶に息がかかると思わず身体が跳ねた。
「離れろって言ってんのが聞こえねえのか?!」
『うわあ、ちょっと何するんだよ。危ないなあ。この子が可愛いのはわかるけど、ちょっと過保護過ぎないかい?』
蓋が擬人化したまま繰り出した蹴りをひらりと避け、カイリューは綺羅の背後へと回る。
そうして今度は彼女の短い黒髪に顔を埋めた。
「俺に喧嘩売ってんのか……ああ?」
『んー。やっぱりご主人の匂いがする』
擬人化を解きかけた蓋には目もくれず、カイリューは綺羅を抱きしめる腕に力を籠める。
『お嬢さん、どこかで俺のご主人と会った?』
相変わらず、あの香りは彼から漂っていた。
次の瞬間首を傾げるカイリューと綺羅との間に炎が割って入る。
べり、と音が聞こえた気がした。
「僕を綺羅さんのところまで案内してくれた女の子が居ました。白いワンピースで、長い髪で……左手に、鈴を着けていた」
『……!!』
「その子が説明してくれました。僕と綺羅さんは失われた魂が漂う異界に飲み込まれてしまったんだと。僕はたまたま女の子の近くに飛ばされましたが、綺羅さんはど真ん中に飛ばされてしまったって。どこにいけば助けられるのかを教えてくれたのも彼女でした」
綺羅を背に庇うようにして炎は言葉を続ける。
「そして、生きていながら異界に留まっているポケモンがいる、ということも。……あなたのことですよね」
『ご主人は、僕の事をなんて?』
「それ以上は何も。僕に聞かなくても、あなたならわかるんじゃないですか? 長年連れ添ったご主人なんでしょう?」
カイリューは暫し炎と見つめあった後、視線をずらし、口元に手を当てた。
『そろそろ、自立しろってことなのかな』
彼はぼそりとそう呟き、そして。
『ねえ、お嬢さん……いや、えっと、綺羅ちゃん、だったかな』
黒い瞳と目が合う。
初めて見た時とは違い、揺れていない、しっかりと意思が通った色。
『君は、ポケモントレーナーで、旅をしているんだよね』
「ああ。そうだよ」
『お願いがあるんだ。俺も、一緒に連れてってくれないかな』
背後でパートナーたちが息を呑む音が聞こえてくる。
思わず振り向くと、蓋と目が合った。
「……はあ。好きにしろ」
蓋は小さく溜息を零し、困ったように笑う。
「このパーティのリーダーはお前だ。お前の決定が絶対だよ、"お姫様"」
「はは。そうだったな、"お父様"」
改めてカイリューに向き合って真っ直ぐその目を見つめ返し、こくりと頷いた。
すると彼は安心したように息を吐き、嬉しそうに微笑む。
『ありがと、綺羅ちゃん。これから宜しくね』
「ああ。なあ、カイリュー。お前、名前は?」
『名前かあ。ご主人は"リンリン"って呼んでたよ』
「名前、そのまま呼んだ方がいいか?」
彼はふるふると首を振る。
『綺羅ちゃんはご主人とは違うから、別の名前がいいな』
「……じゃあ、ちょっとだけもらって、"鈴"でどうだ?」
『うん、いいね。じゃあ俺は今から"鈴"だ』
綺羅は取り出した空のボールをカイリュー改め鈴に投げた。
彼はそれを受け取り、自身の右腕に押し当てる。
かちりと音が鳴ってボールが開き、ちりん、と鈴が揺れた。