ここはどこだろう。
真っ黒くて、寂しくて、寒くて、虚しくて。
身体は全く言うことを聞かなかった。指の一本すらまともに動かせない。
五感だけが辛うじて機能している。
「あ、ぐ……っ」
次の瞬間、仰向けになっていた身体がゆっくりと、だが確実に沈み始めた。
どんどん周囲は闇に包まれていって、だんだん息が苦しくなってくる。
うまく息ができなくて、ただただ呻きと一緒に二酸化炭素だけが体内から漏れていく。
苦しい。
苦しい。苦しい。苦しい。
寒い、寂しい、虚しい。
活発に動いていた五感もゆっくりと機能を停止して、匂いが、音が、感触が、味が…わからなくなっていく。
視覚すら、もう殆ど機能していない。
ただひたすら、闇。
怖い。
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い。
一人は嫌だ。
淋しい。
つらい、さむい、くらい。
『だカら、一緒ニ逝こウ?』
性別も年齢もすべてをごちゃまぜにしたような声が耳元で響いて、途端、呼吸がこれまでとは比べ物にならないほど苦しくなった。
大きくて冷たい手に、心臓を、喉を鷲掴みにされているような、そんな感覚。
ぎり、と首のあたりで肉が音を立てる。
『ずっと一緒には居られないってわかってた。そんなの、わかっていた。だけど、だけど…! どうして忘れてしまうの…? どうしてもう来てくれないの…? 約束したのに…! 確かにあの子は言った! いつまでも、何歳になっても、絶対会いに来てくれるって! お花を持ってきてくれるって! だから、だから…ずっと待ってたのに! 信じて待ってたのに! どうして、なんで来てくれないの! 寂しい…! 暗い、寒い、悲しい…! ボクは、わたしは、俺は、あたしは! 決して死にたかったわけじゃないのに!!!』
幼子のように泣きじゃくりながら、喚きながら、締め付ける力はどんどん強くなった。
『だカらボクは考えタ。こコに来る人を引きずり込ンデしまえば、一緒になッテしまえバ、寂しクナい。暗くてモ平気、寒くテも平気、悲シクない、辛くなイ。だから、ダからボクは…!』
ここに足を踏み入れて感じた感想は決して間違っていなかったんだ。
やっぱり寂しくて悲しくて暗いんだ、この場所は。
抵抗する体力はとっくに残っていない。
もう限界だ。
酸素が足りなくて頭がぼうっとする。
多分このまま引きずり込まれるんだろう。
残してきた仲間たちの事が心配だけれど抵抗できないのだからどうしようもない。
「み、んな……ごめ、んな……」
指先から力が抜けたその時。
闇へと飲み込まれそうになった指先が、角ばった手に包まれた。
そのまま力任せに引っ張られて闇の中から引きずり出される。
「っが、かはっ……はあ……っ」
急に酸素が入り込んできて激しく咳き込んだ。
確かめるように何度も呼吸を繰り返す。
そうしていると掴まれたままだった手が強く引かれ、掻くようにきつく抱きしめられた。
冷え切った身体にじんわりと温度が広がる。
「綺羅さん……っ!」
自分を抱きしめている人物を見上げる……が、見たことのない顔に首を傾げた。
声だけは聞き覚えがある。
それに、この暖かさは。
「ま、間に合ってよかった……良かったぁ……!!」
「えっと、もしかして、炎……?」
「綺羅さん、倒れて……っ動かなくなっちゃって……! 僕、もう、どうしようかと……!!」
えぐえぐと、しゃくり上げる彼の背をぽんぽんと叩いた。
さらさらの朱色の髪をそっと撫でる。
「ありがとう、助かった。でも、炎、いつのまに擬人化を……?」
「え? あれ? わ、ほ、本当だ……人の手だ……」
彼は自分の身体を見下げ手を握ったり開いたりを繰り返した。
その口元はどこか嬉しそうに持ち上がっている。
だが、すぐにこちらに視線を戻し、改めて綺羅の腕を握り、立ち上がった。
「そんなことより! 綺羅さん、こんなところ早く出ましょう。ここは危険です」
「わ、わかった……。というか炎、どうやってここに?」
「教えてくれたんです、女の子が」
女の子?
首を傾げたその時、視界の端でふわりと白い布が揺れた。
それは純白のワンピースで、それを身に纏う少女の真っ白い肌とよく似合っている。
「君は、」
彼女は目が合うとにこりと微笑んだ。
そして綺羅が引きずり込まれかけた闇とは逆の方向を指す。
その左手にはピンク色のリボンで鈴が括り付けてあった。
ちりん、と音が鳴る。
『行って。早く』
「ありがとうございます! 綺羅さん、行きましょう」
「う、うん」
彼女とすれ違う、その瞬間。
ふわりと柔らかい香りが鼻先をくすぐった。
『素敵なトレーナーさん。あの子に、宜しくね』