頭の上でざわざわと木々が揺れている。
気が付いたら腕に抱えていた温度も重さもなくなっていて、背筋が震えた。
「ここ、どこだ?」
いや、どこかと聞かれると、先ほどまで炎を抱えて歩いていた夜道と景色は一緒だ。
ただ目の前に雲を突き刺すようにして高い塔が聳え立っていることを除けば。
「あの音……」
少し遠くからちりん、ちりんと鈴の鳴る音が聞こえる。
恐らく目の前にあるあの石の塔の中から。
躓かないよう歩くのが精いっぱいな程ぼんやりとした頭でそこに足を踏み入れた。
「なんだこれ墓石?」
目の前に規則正しく整列している、綺麗に研磨された石には様々な名前が刻まれている。
その塔の名前が"ロストタワー"だと知るのはだいぶ後だった。
人が居ないからか建物の中の空気は冷え切っている。
「……寂しい」
冷え切った墓石が並ぶ誰も居ない広々とした空間には吐きそうな程の虚無感が漂っていて、背筋が震えた。
それでもやっぱりずっと鈴の音は聞こえてきている。
先ほどよりも音が大きくなっていることを考えると恐らくこの先に持ち主が居るのだろう。
なぜこんな時間に。なぜこんなところに。一体何を。
普段であれば当たり前に抱くであろうその疑問があまり重要ではないと思ってしまったのはその時の彼女のコンディションが悪かったということと、その音が悲痛なほど寂しそうだったから。
一歩、また一歩と階段に足をかける。
ゆっくりと歩いて辿り着いた次の階にも人の気配もポケモンの気配もなく、ただ墓石が並んでいるだけだった。
その次も、その次の階も、寂しい空間が広がっているだけ。
そうして辿り着いた最上階は他の階よりも墓石数が少なく一番寂しい景色が広がっていた。
心なしか気温が一気に下がったような気さえする。
「あれ、この墓石、何も書かれてない……?」
今までの階にあった墓石には何かが刻まれていた。
名前なり愛称なり、きっとたっぷりと想いが詰まっているであろう文字が。
「空ってことはない、よな。ここに建ってるんだから」
『こんな時間にお客さんとは珍しいね』
背後からそんな声が聞こえてきて振り向く。
大きくて黒い目と目が合って、思わず動きが止まった。
『何をしに来たかはわからないけれど、早く帰った方がいいよ。ここ、あんまり良いところじゃないから』
肩をすくめる彼、カイリューは目を伏せながらそう言う。
良いところじゃない……一体どういう意味だろうか。
「それって、どういう」
『あれ、お嬢さん気付いてない? ここ、半分異界だよ』
「え、えっと……?」
彼の言っていることがよくわからず、綺羅は首を傾げる。
『ここの子達に気に入られて、連れてこられたんだね。確かに、良い匂いがする』
カイリューは近づいてきたかと思うと綺羅の周囲を回りながらふんふんと鼻を鳴らした。
そうして再び距離を取りながら、あのね、と話を切り出す。
『ここは生命を全うし終えた存在しかいないよ。ただ強い意志だけが残っているんだ』
「……幽霊がいる、ってことか?」
『ま、平たく言うとそうだね』
「ってことは、お前も」
『ああ。俺は違うよ。ちゃんと生きてる。ほら』
彼は大きな手で綺羅の手を握り、そのまま自分の左胸に綺羅の手のひらを宛がった。
どくどくと心臓の鼓動が手のひらを揺らす。
『ね。生きてるでしょ』
「本当だ……でも、じゃあなんでこんなところに?」
『ここが俺の居場所だから』
相変わらず言葉の真意はわからなかったが、そう言った彼の瞳が揺れているのを見て綺羅は口を噤んだ。
その視線の先にある何も刻まれていない墓石。
「あのさ、鈴の音が聞こえたんだ」
『鈴の音?』
「うん。なんとなく、本当になんとなくなんだけど、それを追いかけてここに来た」
彼は墓石から視線をずらし、こて、と首を傾げた。
数秒考えた後にずっと綺羅の死角になっていた右手を持ち上げる。
露わになったカイリューの腕にはピンク色のリボンで小さな鈴が巻き付けてあった。
『もしかしてこんな音かな』
彼が腕を振ると、ちりんちりん、と音が鳴る。
耳に馴染むようなその音に綺羅はこくりと頷いた。
すると彼は元々丸い目を更にまん丸く見開き、やがてその目を伏せる。
『……これ、ご主人がくれたんだよ』
再び名前が刻まれていない墓石に視線を戻した彼の口元は震えていた。
重たくなってしまった空気に、かける言葉など見つからなかったが、とりあえず何か言わなければと思い綺羅は口を開く。
だがその口から漏れたのは空気だけだった。
「ッぐ……?!」
突然全身にずっしりとした重力がかかる。
巨大な岩に押しつぶされているかのような感覚に肺から息が漏れた。
「が、っは」
『お嬢さん!』
息が苦しい。
思わず膝をついて、地面に座り込んだ。
そのまま世界が、反転して。
『お嬢さん! お嬢さんっ!』
ただ、少しずつ遠くなっていく彼の声を聞きながら意識は闇に葬られた。