「よしっ完成!」
アヤコが鏡越しにそう言い、にこりと微笑む。
彼女が手を添えるその少女は短めの髪を簡単にまとめ上げ、頬の色を真似る様にその唇に薄桃色を湛えていた。
その身を包んでいるのは麗水が胸につけているリボンと同じ群青色をベースに作られたマーメイドドレスで、どことなく大人びた印象を覚える。
たった三センチ程のヒールも履きなれないせいか足元がぐらぐらした。
『うわー! マスター! すっごくキレイだよ!』
「そ、そうか…? 自分じゃないみたいで、違和感が凄いな……」
アヤコがメイク用品などの片づけのためスタイリングルームを出ていったそのタイミングを狙って麗水が膝の上に飛び込んでくる。
『きっと今観客席にいるおじさん達びっくりするだろうなあ』
「おじさんって」
『こんな素敵な人が僕のご主人だって皆に自慢できるんだよね? ふふ、楽しみだなあ』
「そういうこと言うなよ……恥ずかしいから……」
『なんで? 本当のことを言ってるだけだよ』
そう言い、麗水は綺羅の膝を飛び下りた。
途端目の前に彼の顔がずいと滑り込んでくる。
いつの間に擬人化を……。
「なあ、麗水」
「んー? なあに、マスター」
「麗水はいつからそうやって擬人化できるようになったんだ? 俺に声を掛けてくれた時には、もう出来るようになってたよな」
「えっとねえ。マスターを助けなきゃ、って思ったあの瞬間だよ」
「? あの瞬間?」
「マスター、あの時しつこくテレビマンに声かけられてたでしょ? 困ってるみたいだったから、助けてあげなきゃって思って。一歩踏み出したら、人間の姿になってたんだ」
結構最近だったんだ。
もっと昔からできるんだと思っていた。
「そっか。……ありがとな、麗水」
「どういたしまして」
にぱ、と花の咲くような笑顔を浮かべる彼に釣られて笑みを浮かべる。
それにしても彼らのする"擬人化"というのは随分不思議な現象だ。
今までは蓋だけができていたから、蓋が何かしら特別な力でも持っているのかと思っていたけれど……麗水や陽葉もそれが可能なんだと考えると、蓋だけが特別ってわけでもなさそうだし。
でも彼ら以外のポケモンが人に変化する現象はみたことがない。
というか……今まで当たり前過ぎて気にしていなかったけれど、昔から当たり前だと思っていた自分は兎も角、他の人が"擬人化"を目の当たりにして何のアクションも起こさないのは何故だろう?
他の人にはあまり馴染みがないはずなのに。
「マスター?」
「っ! ご、ごめん。ちょっと考え事してた」
「ふうん。僕と二人っきりなのに、他の考え事なんて。酷いね、マスター」
頬を包み込まれた。
コトブキシティで彼とベンチに座ったあの時と同じ光景。
でもなんか、雰囲気が……。
「マスターさ、陽葉とか蓋とかが擬人化した時と、僕が擬人化した時とじゃ反応違うよね」
「……そ、そんなことないぞ」
「なに?今の間。言っとくけど、僕、これでも男なんだからね」
ひんやりとした彼の掌が頬を伝って首筋に落ちる。
その感触に思わずびくりと肩を揺らした。
「いっつもうるさいおじさん達も居ないし、コンテスト始まるまでまだちょっと時間あるし。ねえ、何しよっか、マスター?」
「り、麗水……? ちょっ、お前どうしたんだよっ」
「ふふ。マスター良い匂いする。なんかね、最初会った時からなんだけど、マスターは人間っぽくないんだよねえ……人間に欲情なんて絶対しないって思ってたけど、マスターは特別」
「よく…っ?! な、何言ってるんだよ!」
「照れてる? あのね、これでも僕、人間の年齢的にはもうえっちなお店とか入れちゃうんだよね」
「マジで?! 衝撃の事実!!!」
「……ね、マスター。イイ、でしょ?」
耳元で囁かれ背中に走ったぞくぞくとした感覚に、思わずきつく目を瞑ったその時だった。
「おうゴラ何してやがんだクソガキ」
ばぁん、と。
激しくドアが開き、ぎらりと紅い目がその向こうで怪しく光った。
「……イイとこだったのに。邪魔しないでよ、おじさん。てかなんでわかったの」
「誰がおじさんだ! 俺の中の警報がけたたましく鳴ったんだよ! 案の定だ、貴様うちの綺羅に何してくれとん……じゃ……」
ぴたりと蓋の動きが止まった。
そして。
「うちの子が尊い……!!」
「なんかオタクみたいなこと言ってるー!!!」
『あっ、コンテストそろそろ始まるよ! いこ、マスター!』
がくんと項垂れた蓋を残し、麗水に手を引かれその場を後にする。
あのままで大丈夫だろうかとコンテストが始まるまで終始心配だったけれど、会場から客席を見上げたら一番見やすそうなど真ん中を陣取っていたので置いてきた後悔は掻き消えたのだった。