握った手が温かい。
冷たかった彼女の手には体温が戻ってきていた。
ただ。
「あ、あの…陽葉」
「ん、どした?」
「えっと、やっぱなんでもない…」
先程からこんな感じなのだけれど。
隣を歩く彼女を見下げると上目遣いの彼女と目が合う。
目が合うと彼女はふいとそっぽを向いてしまうのだ。
会話もあまり進まないし…やっぱり蓋じゃないとダメなのかなあなんて落ち込む。
「うわわっ」
「あ、おいっ」
割れた床に綺羅の足が取られた。
ぐらついた彼女の身体に手を伸ばすが支えきれず一緒に倒れ込む。
せめて彼女の小さい頭を守る様に胸に収めた。
「痛てて…綺羅、大丈夫か?」
彼女の顔を覗き込んだ瞬間、ぐい、と胸元を押される。
彼女との距離が広がった。
「……綺羅?」
「え、あ…その、ごめ」
またふいと視線を逸らされてショックを受ける。
手を引いて立ち上がるのを手伝いながら思わずつぶやいた。
「ごめんな、綺羅。一緒に居たのが蓋じゃなくて」
「え?」
「昨日今日から一緒に居るような俺じゃ頼りないよな」
言ってて悔しくなってきた。
綺羅の中の蓋の地位など到底脅かすことが出来そうもない自分に、そしてそれを諦めて受け入れてしまっている自分に。
成り行きでついてきたようなものだけれど、共に過ごすうちに綺羅の存在は何よりも大きくなっていって。
確かに蓋や炎、麗水、魅雷は大切な仲間たちで誰一人欠けて欲しくは無いけれど、それは彼女が、綺羅がいるからだ。
彼女が居なければ今頃自分たちは一緒になっていない。
出会っていない。
色んなトレーナーを、そのパートナー達を見てきた。
概ね皆幸せそうだったけれど自分以上の幸せ者はいないと胸を張れる。
それだけ彼女は温かくて心地よくて、愛しい。
そんな彼女に胸を押し返された。
「よ、陽葉…何の話だよ…?」
「…だって、今、こう、ぐいって」
先程されたように彼女の胸をそっと押し返してみると彼女は頬を紅潮させる。
「違…っ嫌だったんじゃないんだ、ただ」
「ただ?」
「蓋以外の人…てかポケモンと、こんなにくっつくこと今までなくって……その、照れるっていうか、恥ずかしいっていうか」
ごめん、と口元を抑え彼女は瞼を憂い気に下げた。
相変わらずその頬は桃色を帯びている。
「ええ…?だって、麗水とか…」
「りっ、麗水は、ほら同年代というか、友達っぽい感じで来るし、こんな風に緊張しないし」
「じゃあ、さっきから目が合ったら逸らしたりしてたのも…?」
こくんと綺羅は小さく頷いた。
やばい。
あれだけ落ち込んで柄にもなく色々考えていたというのに、心臓はあっさりと晴れ渡り激しく踊る。
単純な自分に呆れかえった。
「笑うなよ、しょうがないだろっ。慣れてないんだから…!」
「ははっ。俺は嬉しいぜ」
「なんだよそれ…」
何やら不服そうに頬を膨らませる彼女の髪をそっと撫で、ふわふわと跳ねるそれに唇を押し付ける。
「ほら、行こうぜ」
「…うん」
彼女の手を引き、二階の部屋の探索を始めた。
恥ずかしいとはいえやはりこの空間には怯えているのか素直に彼女は手を引かれて歩く。
本人には申し訳ないが隣をちょこちょこと歩く姿はとんでもなく愛らしい。
気を取り直して。
まだ入っていなかった向かって右の階段の上にあった部屋のドアをそっと開けた。
書庫らしいその部屋には擬人化している陽葉の身長の二倍程ある本棚が並び、難しそうなタイトルの本が収められていた。
タイトル順に並べられているところを見ると、この家の住人は随分まめな人間だったことがわかる。
何か手掛かりがないかと本棚を見上げるがこれといって脱出の手がかりになりそうなものは無かった。
「ここは何にもなさそうだ」
「そうだな。別の部屋に行くか」
振り向く。
ぐらりと嫌な音がした。
ぼとぼとと落ちる本とぱたりと力なく開いた真っ赤な背表紙はまるで血痕のようで。
彼女の上に迫る巨大な影はその小さな体を押し潰すには十分だったろう。
必死に手を伸ばすが、果たして彼女にそれは届いただろうか。