「本当に言っても聞かないな、君は」
「…はは……」
乾いた笑いを零し、周辺を調査するハンサムの背中を見つめる。
「来てしまったものはしょうがない。ここからは共に行動しよう。その方が安全だ」
彼の言葉に頷きながらその辺りに散らばったモンスターボールをそっと棚に置いた。
いずれ解放するつもりだが、ひとまずこのまま床に放っておくのは忍びない。
その時、がたん、という音と金属同士が擦れる音がして綺羅は肩を震わせた。
「…なんだ?」
「あっこら。勝手に動くんじゃない」
彼の制止を聞かず飛び出した綺羅にハンサムが追いついてくると同時に、その音をだした主を見つけた。
端に煩雑に寄せられた、小さな檻。
「なんだこれは…綿?」
ハンサムの声に首を振る。
違う、これは……ポケモンだ。
炎が入れるかどうか怪しいサイズの檻の中から、低い唸り声が聞こえた。
本来は柔らかいのであろう体毛は薄汚れ、身体に張り付いている。
円らな瞳は鋭く細められていて、こちらを睨みつけていた。
何を思うでもなく、綺羅はそれにそっと手を伸ばす。
『触るな…!』
「ッ…」
およそ手入れなどされていないであろう、伸びきった爪で綺羅の手を弾いた。
鋭い痛みが走り、手のひらから鮮血がじわりと溢れる。
「だ、大丈夫か?!」
駆け寄って来たハンサムを追い越し、蓋が飛び出して対抗するように低く唸った。
『てめぇ…何しやがる』
「大丈夫です。蓋、やめろ、下がれ。不用意に近づいた俺が悪い」
蓋の身体を手で制しながら、改めて檻に近付く。
剣幕に押されたのか、檻の中の主は小刻みに震えながら威嚇を続けた。
その瞳には希望は無く淀んでいて、悲痛なほどに鋭い。
『やめろ…来るな…ッ来るな…!オレに、近付くなぁッ!』
ぴり、と空気が揺れる。
泣き叫び、懇願するような声。
彼が動くたびに着けられているきつそうな首輪が不快な音を立てた。
何度も、何度も。
吼える度に、足掻く度に。
「人間の所業じゃないな…」
ハンサムがぽつりと呟く。
後ろに居るので表情は見えないが、きっと今の綺羅と同じような顔をしていることだろう。
かける言葉が見つからない。
すると檻の中の主は、綺羅から少しでも距離を取ろうと、ぎゅうぎゅうに狭い檻の隅っこへと寄った。
『なんなんだ…なんなんだよ、お前ッ』
「…俺、綺羅っていうんだ」
『…は……?』
「お前を、助けに来た」
皆を助けるような、ヒーローにはなれない。
だけど、たった一匹を、助けるだけなら。守るだけなら。
『な、なに言ってんだよ、お前…意味わかんねえよ…』
「"何言ってんだよお前。意味わかんねえよ"」
『…ッ?!』
鋭かった瞳が、大きく見開かれた。
『わかるのか…?言葉が、通じるのか…?』
「ああ。わかるよ。お前の言葉、全部」
どうやら会話は成立するようで、綺羅は内心胸を撫で下ろした。
途端。
「綺羅くん、誰か来るぞ!」
ハンサムに手招かれるまま、パートナー達をボールに戻し物陰に身を潜めた。
「ったく、なんで俺たちがこんなことを…」
「まあ文句言うなって。……あれ、前の奴電気消し忘れたのか?」
部屋に入って来たのは二人の男。
一人は心底嫌そうに、もう一人は諦めたように文句を言いながら大量に並んだボールの間を抜け、小さな檻の前で止まった。
「こいつ相手にすんの、本当に面倒なんだよな」
「まあ今のところ強さでいえばコイツがトップレベルだから、仕方ないさ」
一人が、檻を乱暴に蹴った。
派手な音が響き、檻はバランスを崩して横に倒れる。
「色んなポケモンを見てきたけどよ、こんなに反抗する奴は初めてだぜ」
「今までの奴は3日か4日くらいで言うこと聞くようになったしな」
趣味の悪い奴らだ。
今すぐにでも飛び出して奴らを伸してしまいたいが、ハンサムがそれはダメだとでも言うように綺羅の腕を掴んで離さない。
彼は一体どのくらい、あんな狭い空間に押し込められているのだろう。
「いくら強くても使えねえんじゃ意味ないぜ。さっさと死ねばいいのによ」
下品な笑い声が響いたその瞬間、綺羅はハンサムの腕を振り払い、物陰から飛び出していた。
少し後ろで様子を見ていた下っ端の背後に回り、脳みそ目掛けて靴の側面を叩きつける。
勢いそのまま床を蹴り、一人目が倒れるより早く二人目の正面に回り込んだ。
「なんだお前…ッ」
姿勢を低く構え、足を払う。
バランスを崩して倒れ込んだ二人目の鳩尾目掛けて拳を振り下ろした。
二人目の腕が力なく投げ出される。
「何者…だ…お前…」
一人目が這いながら声を絞り出した。
一歩ずつ、それに近付く。
「…通りすがりのトレーナーだよ。ばいばい、おじさん」
そっと拳を振り上げた。
「やめろ、綺羅」
振り下ろされんとした固く握られた拳をそっと手のひらで包み込み、華奢な身体を後ろから抱きしめ、蓋は綺羅を止めた。
「そんな勢いでやったら殺してしまう」
既に意識を手放している下っ端を見やり、諭すようにそう言う。
綺羅は小さく息を吐いた。
「…ごめん」
「いいさ。そのために俺がいる」
拳がそっと下ろされたのを見て蓋は綺羅に回していた腕を解く。
蹴られて転がった檻に手を掛け、なるべく中にいる彼が辛くないようゆっくりと起こした。
毛玉の奥、瞳は不安げに揺れている。
再びそっと手を伸ばすと、弾かれることは無かったが、苦しそうなほど端へ端へと寄っていく。
『やめろ…怖い…!嫌だ…っ』
綺羅の細腕は、鉄格子の隙間へ滑り込んだ。
そのまま彼女の腕は檻の中の主へと伸びていき、彼の手を握る。
「…俺も怖いよ」
『ひっ…』
きゅ、と握る手に力が入る。
その手からは微かな、しかし確かな温度が伝わって来た。
彼はちゃんと生きている。
「でも、怖いことって、誰かと一緒に居ると怖くなくなるんだ。本当だよ」
『おれ、オレは…』
手を放し、汚れた毛を撫でる。
ぱちぱちと静電気が流れる音がした。
「もしよかったら…ここを出るまででいい。一緒に行かないか?」
『一緒に…?』
「そしたら、俺も怖くないから」
彼の目が大きく見開かれる。
「ここを出てからはお前の好きにすればいいさ」
『でも…でも、オレ、出られない…』
「こんな檻、俺がどうにでもする」
どうしたい?と彼に問いかける。
握った彼の手から体温が流れ込んできて心地よい。
自分の熱も、彼に届いているだろうか。
『ここから、出たい…ッ』
彼は声を絞り出した。