「ブニャット、"ねこだまし"よ!」
指示と同時にブニャットは重たそうな身体をひょいと持ち上げ麗水の前に飛び出すと、彼の目の前で器用に両手を打ち鳴らす。
突然のそれに驚き、麗水の身体と意識とは一瞬だけ動きを止めた。
「"ひっかく"!」
「麗水!」
本当にほんの一瞬だったのだけれどその隙を彼女が見逃してくれるはずはなく、麗水の目の前で打ち鳴らした腕を振り上げ勢いそのまま振り下ろす。
指先に生えた鋭い爪が麗水の顔面を引っ掻いた。
ガリッと嫌な音が鳴る。
『ッくぅ…!』
「あらまあ、痛そう。可哀想に、ふふ」
にた、と笑う彼女の顔は悪魔を想起させた。
先程までの彼女からは想像もできない表情だ。
「麗水、大丈夫か?!」
『う…ん、だいじょぶ、だよっ!』
「反撃するぞ!"アクアジェット"!」
『お返しだぁッ』
彼の目が細められると同時に足元からは透き通った水が噴き出し、柔らかな身体を包み込む。
技名通り、水は勢いを増し、麗水の身体はジェット機のように飛び出した。
「避けて、ブニャット!」
「旋回だ!逃がすな!」
身を捩って避けたブニャットの背中を追いかけ、突っ込む。
体勢を崩して前につんのめったブニャットをそのまま引きずるようにして壁に叩きつけた。
がふ、と息を吐く音が聞こえる。
「畳みかけろ!"れいとうビーム"!」
『えーいっ!』
「ブニャット!立って!避けるの!」
相手が壁からずり落ちるのを待たず、八重歯の光る麗水の口から淡い水色を孕んだ光が穿たれた。
ぱき、と音が鳴り、冷風が綺羅の裾を弄ぶ。
思わず瞑った目を再び開いたとき、張りつけられるようにして壁際で凍っているブニャットが見えた。
その目は回っている。
「ブニャット…!」
悔しそうに唇を噛んだ彼女は素早く取り出したボールに凍ったままの相棒を仕舞いこんだ。
『勝ったよ、マスターっ!』
「格好よかったぞ!ありがとな、麗水」
麗水は綺羅の足元まで来ると短い手を精一杯伸ばして抱っこをせがむ。
身体を抱き上げると、彼は甘える様に頬を擦り寄せてきた。
同時に、かつん、とヒールの音が冷え切った廊下に響く。
焦ったように麗水をボールに戻し、距離を縮めてきたマーズを睨んだ。
その時。
「おやおや…子供に負けるとは」
彼女の背後から、やたら紫色を配色した制服に身を包んだ初老っぽい男がくつくつと喉の奥を鳴らしながら姿を表す。
不健康そうに曲がった背筋は彼が笑う度に不気味に揺れた。
「…プルート」
「まあいいさ。電気はたっぷり頂いた。これだけあれば十分だろう。さあさ、マーズや。ここは引き上げるとしよう」
「うっさいわね!あたしに命令して良いのはこの世界でボスただ一人なの!新入りの癖に偉そうにしないでよね!」
彼女は悔しそうにそう声を荒げ、苛立ちを隠そうとしないまま大股で発電所から出て行った。
残された男、プルートは再度嘲るように喉を鳴らし、こちらに視線を移す。
眼鏡の奥にあるらしい目の色は反射で見えない。
「ほう…我々に楯突くというからどんな奴かと思っていたが…」
品定めするような下品な視線に思わず後ずさる。
全身を舐めまわすように見られ、思わず自分の肩を抱いた。
「我々に楯突くのはあまりオススメしないがね。まあ君で実験をするのを楽しみにしているよ」
* * *
「…きみは」
発電所を出たところで、茶色いコートに身を包んだ顔の濃い男性と目が合った。
「どうも、ハンサムさん」
険しい顔をする彼に肩を竦めて見せると彼はなお顔を顰める。
「この発電所にギンガ団がいると聞いて飛んできた。…中が随分静かなようだが、まさか君が追い払ったのか?一人で?」
「いやあ、俺もさっき来たばっかりで…」
ふいと目を逸らす。
つい今しがた発電所の研究員たちにお礼を浴びせられたばかりだった。
彼は片目を瞑り、腕を組む。
「…君がトレーナーとしても人間としても強いというのはわかった。だが、怪しい奴を見かけたら私に言うよう言っただろう。相手は大人だ。次もこう上手くいくとは限らない。…それに、あまりギンガ団には関わらない方がいい。大人の相手をするのは大人だ。わかったな?……なんだ、その意外そうな顔は」
「えっと、いや…怒られるとは思っていなくって」
「怒るに決まっているだろう。子供が危ないことをしているのを止めない大人がいるもんか」
ハンサムは小さく溜息を零した。
同時に、綺羅の頭に大きな手のひらを乗せる。
「では、私はそろそろ行くよ。もうじきこの辺りには警察が来る。面倒ごとに巻き込まれたくないならはやく立ち去ることだな。道中気を付けるんだぞ」
「はい…ハンサムさんこそ、気を付けて」
颯爽と立ち去る彼の背中を見送った。